意識をただよわせて、歩いてみても面白そう。
カプコンは駄目でした。連絡がなかった。
まぁ、おかげでパース云々に興味が行ったのでどっこいどっこいといった所でしょう。
最近、知識が増えれば増えるほど、余計な心配をしやすくなっていくんじゃないかと思いはじめてます。
もちろん、過去の膨大な人々が、研究を重ねて書き記したものや、それをもとに発展していった現代の法則やルールはあります。実際に、自らに重ね合わせられる記述があると、とても心強く思えて、正しくみえると思います。
ですが、どうにも私自身があまのじゃくのせいか、本当にそれでいいのか?と勘ぐってしまうことが多くなりました。
とかく、識者、博士、大家、といった方々が書いたものは、無条件に飲み込んでしまいそうになります。
はっきりと言葉にはできないのですが、無条件でひれ伏すというか、言うことを聞くというか、そんな縛られている感覚に陥ります。
でも、いくら本に書いてあっても、講演をしていても、それはその張本人が得心がいっただけだと思うのです。
そういった先人達の積み重ねたものの結晶である、科学や医療などを否定する訳ではないのですが、与えられた情報を、そのまま飲み込むのは自分に対して無関心すぎやしないかと思うのです。
不用心とでも言いましょうか、自らの生物として生きていくための感覚が鈍っている気がして仕方がないのです。
自分が生きていくために、これは必要、あれはいらない。そういった直感的な鋭さ、敏感さが十分に働いてない気がします。
そしてそれは無意識で行われることで、くだらない心配事から解放してくれるのではないかなぁと思っています。
私はまだまだ直感が働いてないですね。必要な知識と不必要な知識の選別、精進します。
また電車の中で描いてました。
フォトショで邪魔になった線は消しました。
いらん描きこみがあったりするのは、変な欲があるからですね。
悟れ!
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