嬉しくない感じ

 自分の言う「後ろめたさ」は何だ。親に関する事ーー親の言動に関する事ーー親の言動を体現する事が出来ないことーー「やりたいことをやれ」という言葉の通りに、自分の楽しんでいる姿を見せられない事。

 

 上は親に向けての発言しか無い。自分に向けての発言は無い。パフォーマンスだ。勉強をしているようにみせかけるのと同じ。

 見栄えが良ければいいというわけではない。体裁を整える事が、はたして重要なのかどうか。相手の機嫌がその場で悪くなるからと言って、その場その場で見栄えを変えていく事が正しいとは思えない。

 衝突する事を恐れすぎているのか。少し、はき違えていたかもしれない。自分の考えをいう事が何より理解につながる。少なくとも家族の間では。

 

 それが行き過ぎていたのかもしれない。自分の生活範囲を縛るように、趣味の範囲を縛るように。親に認めてもらう為に、親の気に入る形を求めていたのだ。それは親の都合だ。

 親に嫌われる、というのはおそらく私の家族間ではないと思われる。

 高校の時勉強をしなくなったのも、試験の前にひっそりと勉強をさぼっていたのも、ひょっとしたらそういった反抗だったのかもしれない。

 こういった考えを、一旦認識したので今まで気にかけていた事(意識的にせよ無意識的にせよ)は、行動にも出にくくなるのだろう。重要視する比率が変わったはずだ。今までと何か違った結果が出てくるのだろうか。何かがキッカケで出てきても、恐らくそれほど心動かされないのではないか。それまでと比べる事が出来たなら、冷たい人間になった とか、そういう感想を持たれるのかもしれない。でも、その感想も響きづらくなるのではないだろうか。分からないな。

 

 今までよりかは気楽にいられる事が多くなりそうだ。