過去俺

8/25 一日おきにやることを設定した方がいいかもしれない。あきれるほど集中できない。昨日寝たのが遅かったせいでもあるかもしれない。でも集中できないこととはちょっと違う気がする。第一目的の事をやったら、次の日は別のことをしよう。そしてその次の日に改めて作業を進めよう。

 なんだかんだで、他のこともやらないまま過ごした。進まないことが気になるから、それ以外のことにも集中できないし、やる気も起きない。気になるのに進められないのは何故だろう。周りに目を引かれたわけでもない。パソコンで気になることを延々と調べていったから時間を消費したわけでもない(下の段落に書いてあることは昨日から気になってたから調べたけど、二時間もかからなかった)。「やりたくなかったから」か。これがしっくりくるな。特に他には理由が無い。「締め切りに合わせる為に気になる気になる」ので、「達成の為の義務感」からやろうとするのは考えものだな。机にしがみついてても出来ないもんは出来ないし。早めに上げようとするのは、チェックの時間を増やす為。でも終わらせようとするあまりに、変な縛られ方をしていたら逆効果だ。もっと柔らかくいこうや。

 しょうもない感じにしか書けてないけど、結構重要な所な気がする。気が向く環境を作るというのは分かってるけど、今日の気分は朝起きた時からだった。気の向く環境は自分なりにやってるわけで、朝一の気持ちが既に向いていなかったからには、他の気の向くことを早くできるようにした方が良いな。第一目的のことは簡単な確認作業だけにするとか。今はキャラ造形だからアウトラインのチェックとか、小物のチェックとか、単純な色塗りとか、それだけにして他のことに集中できれば良い。

  

 侍スピリッツに出てくる「妖怪腐れ外道」というのに、目を引かれた。人食いで人型の怪物は、何故か気になってしょうがない。その妖怪はなんかドロドロした感じが詰まってて良く出来てるんだ。どうしようもない欲とか、薄暗い部分とか、ごちゃまぜになってるものが噴き出して形になったようなところまで感じた。まぁ、多分思い込みだけど。それでキャラデザが内藤泰弘さんだったのには驚いた。鉄とかビスとかつぎはぎがいっぱいあるやつ以外も描いてたんだね。

 

 

8/26 予定通り、色塗りを終える。時間がかかったけど。でも何かスッキリしない。尾を引いてるというか、モヤモヤした感じが残ってる。何だろうこれは。昨日と似てる。見て見ぬ振りをしているような気分だ。「もっと出来るはず」とか、そんな思いがあるのかな。少なくとも損得で考えてる時の感覚ではない。

 「これから先どうすればいいのか分からない、もしくは不安」って感じか。たぶんこいつだ。どうやって描けば良い評価を得られるか分からないから、答えを見つけられるまで先送りにしてしまおうみたいな本末転倒な考えだ。その評価を得るための、自分が出来ることを見つけるために早く終わらせようとしてんだ。とりあえず終わらせれば良いんだよ。それから変えていけば良い。何か「失敗」っていうものにビビる癖があるみたいだな。

 昔っから「失敗すること」が怖かったけど、なんで怖がってるんだろう。「失敗」をしたことで怒られたりとか、悲しい目にあったことって思い出せないんだよなぁ。失敗が悪いこと、怖いことっていつから思い始めたんだろう。周りを見てからかな。例えば算数の時間に、黒板に直接答えを書く時に誰かが計算間違いをするとその周りが笑いを含んだ空気になったりとか。例えば体育のリレーで走るのが遅くて野次を飛ばされたりとか。で、笑われることが怖い、恥ずかしいってなってきた?記憶か想像か、区別がつかないくらい曖昧なものだけど。

 じゃぁ、何で恥ずかしくなるのかな。未熟な人間として見てほしくないから、っていうのは考えられるな。自分の出す成果が他の人の視点や価値観では充分なものでなく、ちゃんと評価をしてもらえないのがたまらなく嫌だ、とか。でもそんな所じゃない気がする。何だろうね、あのグァーッと顔が熱くなる感じ。俺の意識していない弱点を突かれるとかかな。なんかね、「違うんだよ、いやこれは違うんだ。俺は本来こんな人間ではないんだ。」っていう、防衛反応。うっすらとした意識として築いているプライドが、決壊していくような感じか?外面を気にするところか。外っ面か?俺のイメージというか、こうありたい姿には邪魔なものがあるんだけど、それはいつもは隠していられるのにひょんなところから噴出してしまった外向け出来ない部分か。それが恥ずかしさの原因かな。

 んー、まだ足りない感じがするけどこれ以上は今の頭じゃ無理だ。眠くて出来ない。でも書いてるうちにずっと感じてたのは、今はあまり気にならないって感覚だった。

 

 

8/27 歯医者に行ったあと本屋に寄って、日本史、世界史、天文学、宇宙論の本を買った。ただ歴史に関しては、ほんとうに膨大な量の資料が無いと理解できないということを思った。教科書買って、あとは補足して見ていけばオッケーなんて考えが甘かった。教科書として採用されているようなものの書き方って、実はそんなに統一された見方じゃなかった。政治にフォーカスしたり文化にフォーカスしたり。世界史なんかもっとザックリでぶつ切り過ぎてわけ分からんかった。また、政治からの見方。文化からの見方。宗教からの見方によって違いが出てくるわけで。先は長そうです。まぁ、物語として読んでいくつもり。

 そういえば本屋や図書館に行くと異様に疲れるのは何ででしょうね。タイトルの文字に圧迫されるというか。本が棚ごと倒れてきて下敷きになる恐怖とかではなくて、文字に操られるというか。よく分からないんだよな。

 オカルト方面の書籍も読みたいのが出てくればいいなぁ。幽霊でも魂魄でもUFOでも異世界でも前世でも、今ひとつ手が伸びない。宗教観が邪魔をしてるのかな。そういえば、よしもとおもしろ水族館ってところで、NO-UMA展っていうのがやってるらしくって行きたい。31日までだから最終日に行くかな。荒俣宏さんが監修してるらしくて、どんなものか楽しみだ。荒俣さんとは関係ないけど以前国立科学博物館で、化け物の文化誌っていうのがやっててそれが面白かった。妖怪がどんな存在だったか、文化や風俗や生活から見ていく催しだったんだけど、それはそういうものとしてすんなり「受け入れていたらしい」所が良かったですね。もちろん娯楽の一つとして楽しんだりもしていたようで、センザンコウのうろこを龍のうろこと言ったり、人魚を作っちゃったり。でも広く見れば、自分達と直接的な関係はなくとも、どこかでつながってんだろうなぁ、みたいな感覚を持っていたように感じられたのが良い。

 俺もそんくらいおおらかになれればなぁ。警戒心を持つのは結構だけども。まずはお札とか、お守りとか、風水とか。そういうところから入って慣らしていくか。入れる所から入っていけば無理する感じはないから。