過去俺

10/29 今日は歯医者へ。少しでも痛いと麻酔をしてくれるようで、助かるやら複雑な気持ちやら。痛みに耐える事が出来なくなってきそうで。痛くないのは歓迎です。そのあとそば屋へ。鴨せいろって美味しいんだな。初めて食べたけど、満足満足。

 ダイソーの石粉粘土を使ってみた。ある造形師さんの「ラク造」ってのを真似しようと思ったので、試しに使ってみたら意外に使いやすかった。ちょっとパサパサしてる感じがあるけど、水を含めればすぐに柔やわになってひっつきやすいので驚いた。少ししか使えないんだろうなぁくらいのイメージで買ったけど、ちょっとサクッと勢いで作る分にはちょうど良かった。作品には使えないっぽい。水を吸いすぎるので。

 

 

10/30 コミティアへ行ってきた。といっても友人との会話をあてにしていた。最近元気が出ないので、人と会う事で得られたら良いと思っていたのだ。結果は良かった。彼と話すと相談のような愚痴のようなことがポロポロと出てくる。仕事で疲れていた上に一睡もせずに会場に来たとの事で、眠ってりもしていたのでその友人ともよく話していた。それもまた良いものだった。

 あー、何を書いても思ってもすっからかんなことだ。頭が固くてしょうもない。

 

 

10/31 最低な発言をした。それに尽きる。俺が生きて関わってきた、今まで協力してくれた人々への裏切りだ。そして両親へも。本当にどうしようもない。

 自分のやりたいことを素直にやらず、人が考えて発した一言へ全ての責任をなすりつける。自分が常に誰かに動かされていると思わなければ保つ事の出来ない自我。自分は何一つ進んでせず、一言をただ待ち続け、動き、その苦労を語り、一歩を踏み出させてくれた人へ感謝をせず、自分はやりたくてやっているわけではないと愚痴を言う。人に心配をさせておきながら、アドバイスをくれたらそれを罵倒するとは、そのおぞましさを表現出来る言葉はない。

 こんな事を言ってはいけない。悲しく、恥ずかしい。ただの当てつけだ、こんなものは。自分が泣かずに人を泣かせてどうする。自分の為に泣くのは自分だけでいい。なるべく、なるべく進むようにしたい。

 

 どうしたって自分の中にある感覚は消え失せる事はない。未だに自分の経歴は、周りの人間の采配で決まっていったように感じる。自分の実力なんてものは見えもせず、評価もされていないように考えていた。ただデッサンだけは、あの予備校時代に毎日作っていったデッサン、平面、立体だけは周りの人間が一切を画策し、介入していない実感があるのだ。それ以外は全て、学年の進級も、高校の入学も、大学の合格も、成績のつき方も、作品の評価も、周りにいた人達が動いた事で、自分で勝ち取ったものではないのだ。協力ではなく、俺に知られないようにやっていたと妄信している。妄信なのは解っているのに、そう考えなくてはいられない。自分のしてきた積み重ねに価値を見出せない。どうしても褒められない。認めたい自分がいるのに、頑にそれを拒否する自分がいる。面白いと思っても、かならずアラを探してそこを重点的に見るようにしてしまう。どうしても自分を弱く弱くしておきたいのだ。

 もっと素直に笑いたい。怒りたい。泣きたい。喜びたい。叫びたい。

 良い思い出も悪い思い出も、抑圧していって思い出せなくなるのは嫌だ。ちゃんと感動したい。ぐらぐらと心を動かしたい。胸の中心が重くてしんどいよ。でもほどけないんだ。今も文章を書いてほんの少しほどけたけど、時間が経ったら元に戻ってしまった。前よりも固く重く殻を形成していっている。打ち壊してしまうにはどうすればいいんだ。俺にはわからないよ。