2012年
2月
23日
木
過去俺
1/6 たった今マスクがスライドして両目ん玉に直撃した。体験した事のない痛みで、何とも気味が悪い。目玉が引き絞られるようだ。
zoo団フィギュアの表面処理。時間かかるわ終わらないわで、やり方を考えないとダメだこれ。2日で一体とか、目標立てないと。決めた。明々後日から、一体につき1日でヤスリを終わらせるようにする。
1/8 アルバイト先の人達と新年会。7日からほぼぶっ通しで飲んで食べてしゃべって笑って、気持ちのいい日を過ごさせてもらった。まったくなんて魅力的な人達なんだろうか。アルバイトという限定された関係の中でも、新鮮で生命力溢れる会話が止まらないなんて、仕事は関わってみるものだなぁ。お酒をそんなに飲めなくても飲み会には行ってみるものなんだな。うん。
本当に濃くてほぼノンストップな飲み会だったので、感想がバラけてしまって書けない。そうだ、年賀状もらったんだ。しっかり作ってあって、これは張り合わないといけないなと思った。それから自主的に、少人数でお題を出して締め切りをつくって競い合うという話も聞いて、なるほどそれは経験をためるいい機会だなと、話を聞きながら思ってた。クロッキー帳や作品を見せてもらったり、こちらのを見てもらったりと、ありがとうございました。あぁ、なんであんなにも気持ちが高ぶっていたんだろうか。滅多に無いと思っていた感覚が、怒濤のように押し寄せてきて、幸せだなぁ。楽しいなぁ。あんな人達と仕事出来るなんて嬉しいなぁ。頑張らないとなぁ。
また女性陣と話すとじゃんじゃんテンション上がっていくのがもうたまらない。もー頑張っちゃおうと思うあたり、単純だな俺は。
1/9 起きたのが昼2時過ぎだった。うむ、意外と身体は疲れていたんだね、楽しかった反動はちゃんとあった。そうそう、色んな映画や映像作品を見たい衝動がまた出てきたから、何か安く借りる方法をみつけないと。
2012年
2月
17日
金
過去俺
1/3 zoo団フィギュアの表面処理スタート。しかし時間がかかる。削って凹みを見つけて埋めてまた削るという事をくり返すわけだけど、正直かったるくてしょうがない。石粉粘土は意外と端々に変な形が出来てくるようで、いちいち削って盛り足すのは時間がかかって行く一方だ。なので、家庭用パテを水で延ばし、それを全面に塗り一気に削り落としていってみようと思う。
カニを食べた。素晴らしい。あっさりとしていて臭くなく食べごたえがあって、深い旨味がある。すごいものだ。
1/4 zoo団表面処理。120番のヤスリで削って、スポンジヤスリで更に削る。確かに良く削れるし、隙間も限定されていくけど、もっと早く済ませたい。家庭用パテをまだ水で延ばしていないと言うていたらく。明日はやるから。やるから。
1/5 昨日の予告通り、パテを溶かして塗ったぜ。結果は上々。ひゃほー!ただちょっとシャバシャバしてる感じがする。水溶き加減に気をつけてストックしてば、3回くらいで形を出す事が出来るかも。ヤスリ後が生々しく残るタイプのものにも乗せたけど、ばっちり形を出せそうだしやはりパテあるだけで違う。助かるな〜。
夕飯は茅ヶ崎の中華料理屋へ。最近中華料理屋へ行く頻度が多い。そして恐らく明日も行く可能性がある。中華料理は好きだし、家族で食べるのも好きだし、お腹が許す限りは食べたいけどやはり油が効いてくる。ジワジワとお腹に効いてくる。気をつけないとほんのひとカケラの食事でアレやこれやの事態になるから、出来るなら連発は避けるようにする。
で、味は美味しいと思った。中華街のテキトーな店よりずっとちゃんと作ってる。でも「堪らない!」と思うほど美味いわけではないので、ホント、気が向いたら寄るのもありかな位の感想でした。具体的には「お腹が空いて外で食べたいけど一番食べたかった店は既に満員で入れず、二番目に挙げる店も特に無く、ファーストフードで腹を満たすと非常に惨めな気分になるから、消去法で入っていく感じ」の店でした。美味しいよ。
2012年
2月
16日
木
過去俺
12/31 今日は起きたのも遅く、筋肉痛が上半身をかけ巡っていた。おいしい寿司を食べ、年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞いた。地震とか色々あった一年だったせいか、ほんのすこしだけ年越しの瞬間、不思議な感覚になった。新しく何かが始まる気配がした気がする。
1/1 日差しが気 持ちのいい日だった。初詣に行こうとも思ったけど、なんだか気が向かないまま一日過ごしていた。毎年元旦になると、午前中から道路が車で一杯になってしま うくらい参拝客が来るのだが、今日は12時くらいまではそんな気配もなかった。午後になってからあっという間にいつも通りになったけど。大体は午後の ちょっと遅くにいけばそれなりに空いているのだけど、今日はどうもそうではないようなので、初詣に行くのは止めた。屋台のカステラが食べたいし、早めに行 くけどもね。
おせちを食べるの も雑煮を食べるのも好きだけど、今日は何だかカレーが食べたくなってしまっていた。エアコンを新しくしてから、コタツは出さないかわりにテーブルで食べた せいかもしれない。無性にカレーが食べたくなった。あと甘いもの。結構強烈な欲求だった。夕飯にご飯を食べて落ち着いたけど、アレは一体なんだったんだ。
画材は夢画材で買った方が安いかもしれんね。
1/2 初詣に行った。昨日とは違い、昼間かの車の大行列があった。元旦は家族で過ごした人達が多かったのだろう。神社も盛況、例年通りだ。願掛けしたが、神頼みはしなかった。
今年は出店で富士宮焼きそばが一店だけになっていた。他の焼きそばは全部、B級グルメ一等だか何だかの別の焼きそばに変っていた。流行とは残酷なものだ。毎年変らず行列ができているのは「ベビーカステラ」の屋台だけ。カステラは絶対に買う。
親せき一同集まっ て食べて飲んでの騒ぎになった。お酒が飲めるようになって久しいが、いややはり秋田の血は強い。うわばみだ。またよく食べる。健康で何より。2歳になる子 供は皆にかわいがられ、元気よくはしゃいでいた。子供は本当に宝のように思える。祖父が死んだ時に流れた涙の様に、本当に生物として原初の心の動きがある のだろう。超可愛い。
2012年
2月
15日
水
過去俺
12/28 今日はアルバイト先で知り合った人達と飲み会。皆でお酒を持ち寄り、ご飯を食べる。ご飯は飲み場所になった家の人が全部作ってくれたもので、まさにご馳走。しゃべりっ放し飲みっ放し食べっ放しという状態だったが、とても楽しかった。全然気分も悪くならないし、たくさん食べても何にも具合悪くならないなんて奇跡のようだ。あんなにリラックスしていた時間は初めてじゃないかな。俺ももっと面白く話を振っていきたいなぁ。
話を聞いてて思ったのが、実際に現場で働いていた人の発言の力強さは魅力だなぁと。消費者が知る由もない経営側の(黒い)事情も面白いけど、なんだやっぱりお客さん第一に皆動こうとしてるのか、ということ。いや、当たり前の事でほんとどうしようもないような感想なんだけど、やっぱりお金を稼いでなんぼという話をガッツリ聞いてた事が多いので、正直意外でした。また、そういった意識をあまり強調せずに働ける環境があることってすごいなと。俺なら確かにお金を稼ぎたいですけど、自分の作ったものを利用してる人がいるなんて、欠片も感じてなかったので。目の前で契約してくれる人以外は目の中に入ってないどころか、思慮の他でした。手に入れてくれる人がいるという事を忘れてはならんです。全然実感沸かないけど。
それで思ったのが、アルバイトよりもより直接的に市場と関わる事の出来る「社員」って存在は良いなぁと初めて思いました。それなら魅力的。就職したいなぁと思える。でもテキトウにいくのは面白くも何ともないので、なんか面白そうと思ったところに突っ込んでみようかとも思います。
12/29 今日は年越しそばを食べにそば屋に行き、カレー丼を食べてきた。そばは家族のを少しもらった。カレー丼、すっごく美味しかったです。
起きたのは12時頃。お酒を飲むと身体は疲労を訴えるようだね。早く起きれたためしがない。そんでまたもや就職先を探してみた。そしてわかったのは、今のアルバイト先の給料と待遇は、相当恵まれているようだ、ということ。いやビックリした。いくつか見て、給与と働く時間を比べていったら明らかに今と大差ない状況になる。交通費や下宿などを考えると、さすがにアルバイトでは勝ち目はないけど。それでも正社員でもガッツリキツいと言うのは、なかなか興味深いです。というかどこも金銭的にキツい思いしてんだなぁって感じ。よっぽど上司のスキル盗みたいか、他に道が考えられないくらいの状況があたり前かと思うとゾッとする。一方的な考えだけど。
ただ昇給があるのはでかいよなぁ、どこいっても。もうそこが圧倒的差になるんですね。来年になったら一応連絡してみよう。
楽しく生きる為に、自分を楽しくしたい。楽しい人と会いたい。楽しい事をしたい。楽しんでもらいたい。楽しい状態にある場所にいたい。欲にまみれれば上等だ。
12/30 今日は幼稚園で餅つき。自分の家の分以外はほとんどつかないで、お手伝い。時々ちょっかいをかけてきてくれるちびっ子達と遊びながら和気あいあいと一日を過ごしていた。手伝いをしている最中、まぁ特に役割などはないので園内の中で何が起こっているのか、ちらちらと見ていた。すると餅をふかす為の火力が弱くなっているのが分かったり、ちびっ子がどこで遊んでいて危険なものがないか確認出来たり、伸し餅を作る為の台に片栗粉が足りないと分かったりと、やったほうがよさそうなものが見えてくるので、これは仕事でも使える事だと感じた。終わりに近づいてきて片づけに入っていっても、ちらちらと全体を見ていると「○○をやった方が早く作業が終わりそう」と予想出来て動けたので、習慣づけていきたい。たぶん、職場全体でそれぞれが何をやっているか把握するとか、仕事の始まりと終わりを知っておくだけでも、自分のやるべき事が想像出来るように異なるんじゃないかと思う。たぶん。きっと。昨日だったか、f太という人のツイートにそんなことがまとめられてたし。
できたてのお餅はおいしいし、つくのも楽しい。ついている人達を見るのも楽しいし、皆夢中になってやっているのを見るのが本当に楽しい。餅つきを出来る環境にあって良かったとしみじみ思う。
2012年
2月
14日
火
過去俺
12/25 今日はアルバイト先で知り合った方の家にお邪魔させて頂いた。お酒もご飯もごちそうになった上に、楽しく話をしあったおかげで楽しいものだった。プラモデルの話になっていったのだが、昔の、本当に単純な構造のプラモデルと現在の便利なプラモデルの比較などをしたところ、昔の方が改造しやすいという形に落ち着いていった。今現在積んでいるプラモデルでスサノオというガンプラがあるのだが、一向に進む気配がない。機構が複雑だから、パーツ数が多くてすぐに嫌になってしまうのだ。ノルマをクリアしていくような気分でやれば話は別だが、さっと改造したい気持ちが抑えられなくてすぐに頓挫してしまう。その点昔のプラモデルは非常に単純な構造なのですぐに終わる。すぐに改造までいける。その、すぐに自分の思うように改造したいという願いを叶えられるキットが、今は少ないのだ。まぁ、改造したいという要望を抑えれば、今のプラモデルの方が圧倒的にいいんだろうけど。
12/26 起きたのが12時過ぎ。銀行に行ってアルバイト料振込の確認をしてきた。どこか就職もしくはそれに近いような収入が無いとかなりきつくなる状況。
それはそれとして、zoo団フィギュアの手入れ。若干の削りを入れて今日は終了。
父が釣りに行って甘鯛と釣り上げてきて、それが夕飯になった。とても味が濃くて、今日釣ったものとは思えない。甘鯛を重宝する人の気持ちも納得。
セビアン・グローバーという人がテレビで紹介されていた。タップダンスが本業らしいのだが、番組内の映像だけでも生命が溢れているような勢いを感じる人物だった。言葉も表現も振る舞いも、実に虚飾を排したもので大人物である事を納得させる。「タップダンスの第一人者と言われているが、そうではなく、僕はタップダンスの歴史があるからここにいられるのだ」という発言に、グッときた。自分一人ではなく、培われてきたものがあったから自分があるなんて。でも彼らの真似では無いという自信があふれている。その、自分を包む環境と、自己という二つを分けられているのがすごいと思える。
真似と言われたら、もう私なら自身がその人物を知らなくても「真似は嫌だ」と思って、止めてしまう。似てるというのは、全く同一でなく、模倣をしたわけでもなく、単一としてみれば大変素晴らしい結晶なのだから止めなければいいのにも関わらず。真似と言われる事に対して、強烈な拒否反応があるのは、なんらかの出来事があったのだろうか。もはや呪いの様に真似にならない事を願っている。それが私の人格形成の元なのだろうか。
セビアン・グローバーは自分と向き合うと言う事を重ねて言っていたが、自分にあった事をする、とよく耳に入ってきたものだがはてさて。
自分と向き合うと言うのはどういったことなのだろう。自分のやりたい事を明確にするというのととても近い感じはしている。言葉が違うだけで、底の方にあるものや思惑は恐らく同じもの。それはたぶん、やる事を見つけた時に、簡単に納得しない事ではないかと思う。完成したから、心地良い疲労感が満ちてくるので、終わり。ではなくて、それも一環であって、また見直し、足りない部分が見えたら手直しをする、という繰り返しを延々と出来ることが、自分と向き合える人ではないかと思う。または、作って人に見せて、そこで出る意見に対して、一個一個消化出来る人か。どちらにせよ、未だそういったように形が出来ていない自分を、自分の状況を認めないとダメだ。
12/27 zoo団フィギュアの削りと盛り。あらかじめある程度形を出しておくのが大事だというのを、今更ながら実感。こればっかりは神経張りつめて数こなさなければどうにもならない。「削るのを2回くらいで終わらせられる方法はないものか」と本気で考えてくる始末。目指すはその領域だ。ただ以前に漫画を描こうと思った時に「一発描き出来るようにクロッキー頑張れば良いんじゃないか?」と思って実行したときは、失敗に終わっているので二の轍はふまないようにしないと。
起きて食事とってすぐにお金に関しての確認をした。しんどい。自分に直に関わる事なのに猛烈に億劫。そして金銭的にもたせていくのは更にキツいと判断。そらぁ就職先探すわな。でもなぁ、責任とりたくないなぁ、と思ってまた沈んでいったり。そこでふと思ったのが、何が嫌なのかハッキリしていないということ。
一体どんな事が嫌で就職する気力がないのか。叱責を受けることがひどく怖い。どんな叱責かによるのだけど、特に「馬鹿」だの「間抜け」だの言われるのは嫌だ。じゃぁ言われた事あるか?と思い返すと、そんな事はほとんどない。今まで言われて一番記憶に残ってる言葉は「返事だけは良いんだけどなぁ」だ。文字でなら大した事はないが、映像と一緒によみがえってくるといまだにおっかない。でも人格を否定されるような事はほとんど思い出せない。ので、怖がる必要無しだな。OK、OK、何の問題もない。全て俺の妄想空想だった。
昨日風呂に入っているときも思ったんだが、妄想空想で行動が止まる事が本当に多い。しかもポジティブでなく、悲観的、否定的な妄想空想だ。被害妄想でもある。たしかにそういった面を持つ事で、危険を回避する準備ができたりして用意周到になれるかもしれないけど、自分のは度が過ぎている。やる前から、「ああなったらどうしよう」、「こうなったらやばい」とか考えるのはまだ良いとしても、「じゃぁどうしよう」までいかないのは怠慢だな。自分で解決しようとしていないからだ。まぁ、解決はできないから、他の人の意見を聞くわけだけど。その前にこうやったらどうだろうと、役に立たなくても言うくらいはしないと。失敗の経験が少なくてビビってるね。
失敗とか失態とか、成功とか栄光とか、すっかりと忘れてしまえ。手を抜くとか高等テクニック出来ないから。世間体とか常識とか、気にする必要ないだろう。行動のほとんどは、そういった価値観によって縛られているけど。「たいていは」とか「ふつうは」とか、それ自体が俺に関係あるかって言ったら、そら少しは必要かもしれないけど、関係なくても大分上手くいくんじゃないか?
怒られるのが怖いとか思っているけれど、何をもって怒られるということなのか想像してないだろう。何も言われない事が、何よりも恐ろしい事態なんだから。直接怒られた事なんて、数えるほどしかない。あとは全部、自分を含められた大きな集団全体に対して叱責の言葉があっただけだ。俺に向けられていたわけではない。じゃぁ、特にビビる必要はないんだよな。敬意は忘れないようにしないと。俺に声をかけてくれたり、応対してくれる人がいるというのは、本当に貴重で大切な事実なのだから。
2012年
2月
11日
土
過去俺
12/22 zoo団フィギュアに粘土盛りつけ。腕を付け始めた。といっても肩口までは接着させて、素手の方は後からブッ刺していく計画。とりあえず受け口を作っておけば、針金芯でのバランスも取りやすくなるし、もし腕を別パーツとして複製するときも楽になる。取り付ける時にやすったりすき間を埋めたりもしなくて済むかもしれないし。
米子映画祭の打ち上げに誘って頂いたので、参加してきた。会社生活の長い人の裏話は中々面白いし、人の話に耳を傾けながら食べるご飯は美味しい。良い思いをさせてもらった。ちゃんとお返ししたくなる。
12/23 zoo団フィギュアは気になった部分だけ盛った。起きるのが遅かったので、手はほとんど付けていない。
集団で動く時、自分が何をするか把握することは大切。自分がした事を、責任者に逐一見せる事が大切。見せる時にどうやってみせるかを考えるのも大事。
今やっている事を把握出来ないのってつらい。何の確認を取れば良いのか、分からないのがつらい。なので必ずメモを取って、残していくようにすれば良いんじゃないかな。引き継ぎの作業の場合、最終的な目標のメモ書きと何をしていたかのメモ、それから手順と残っている作業の量のメモ。そうなっているだけで、大分動きやすくなるんじゃないだろうか。前回の反省だけど。
ヨドバシカメラのネット通販がすごい。商品が揃ってる。ファンドソフト買おう。
今現在だけなんだけど、とても億劫だ。なんかこう、頭の中と体全体を粘っとした液体に包まれているようで。
12/24 今日は歯医者について行った。目的は待っている間に、コメダ珈琲店に寄る為だ。今までコメダで過ごした事がなかったので、期待して行った。内容は○。良いと思う。一人でもボックス席を使えるし、店員はうるさくないし、飲み物食べ物は余計なオシャレを出していないので美味しいし。家で過ごすようにゆったりとした時間だった。ただお茶を飲んで思ったんだけど、どうもお茶を飲むだけなら家で飲んだ方が色々作業しながらも出来るし、わざわざ外に出て飲む事はないんだろうなぁと感じた。外食でゆっくりすることに慣れていないからかもしれないけど、どうにもこうお茶を飲みつつ粘土いじったりしたいし、友達と話しながら粘土いじったりしたい。
帰りに用田のカレー屋に寄って、クリスマスの食事をした。ちょうど店長の娘さんも来ていて、店内がほんわかしていた。可愛いからね。
店で本格的に食べるのは初めてだったけど、大変居心地の良いものでした。いつも通りカレーはうまいし、ラッシっていう飲み物は美味いし、タンドーリチキンの全身版とかも食べれて文句なし。これから年末のクリスマスの鳥は、カレー屋になるかもしれないくらい。ちょっと乳系が最後に重くなっていくから、そこだけ気をつければ何の問題もない。
友達がツイッターででっかいアメリカザリガニを捕ったらしく、写真をアップしていたんだがそれがまたでかかった。小型のロブスターとか伊勢エビくらいの大きさで、非常に食いでがありそうな個体だった。あれは倍数体とか言うヤツなんだろうか。倍数体の定義をしらないと分かんないな。とにかく一目見れば、「あ、これはヌシだな」と思う事間違いなしのサイズだった。アメリカザリガニは何度も見ているし捕った事もあるが、いるものなんだなぁ。
2012年
2月
10日
金
過去俺
12/19 zoo団フィギュアの手入れ。足の形をとりあえず決定。これで腕部の造形イメージも決まってくる。ファンドを盛って削っての繰り返しだが、しっかりガッツリひっついてくれるのでそれなりにスピーディーだ。ただ継ぎ足しの際に食いつきがどうしても悪い。細い芯をあらかじめ作っておいて、継ぎ足す時にそれをくるんだ上でさらにその上部まで粘土をのばして、グニグニと何度も強く押し付けていかないとダメなようだ。
以前継ぎ足して作った部分で、強い力がかかったらポロッと取れてしまった事があった。幸いそこは面積があったので、ピンバイスで幾つも穴を空けて爪楊枝を入れて杭にしたうえに、深めに溝を作って粘土が大量に入り込むようにすることで解決出来た。その時使った粘土はプルミエだったんだけど、接着は抜群だった。ただ削る時に非常にもろくて、小さい部分の接着は出来ないと感じた。ファンドどうしの接着はあまり期待しない方が良いかもしれない。木部パテとかタミヤパテとか、そういったものでやったほうが苦労しなさそう。
もうひとつ。ファンドは硬くて扱いやすいんだけど、ちょっと疲れる。ファンドソフトという粘土が出ているから、それを試すのも良いかもしれない。柔らかすぎるとやり辛いけど、硬すぎるのもなかなか辛いものがあるから。
気になった事があったのでグーグルで検索したら、ほとんど出てこなかった。出てきたのは1970年代とかのもので、今はほとんど新しい情報はないようだった。俺の考えが古いんだか、一周回ってきたのか分からないが、やはり大変に魅力のあることなので知り合いを訪ねつつ試してみたいと考えている。お金に成るかどうかといえば、おそらくお金に成らない方がスムーズにいくとは思う。その前に試作品を作らないといけないけど。
12/20 進めよう進めようと考えていただけで一日が終わった。午前中に起きないとダメだなこれは。それからパソコン起動するのもダメだ。さっさと終わらせにゃぁ。
12/21 午前中に起きてzoo団フィギュアの削り。もうそろそろ家庭用パテを使っていって、小さな傷やへこみなどを埋めていける段階になってきたと思う。あとは腕をつけるんだけど、おそらく取り外して複製出来るようにしたほうが楽なんじゃないかと考えている。ただ、形を出す為には一度全体を作って、もう一度切り離すことになる。芯は針金にして、小さなのこぎりでその周りを切り落とすようにした方が分かりやすいかな。あとで接着した時に継ぎ目を消さないといけないのが面倒だ。
いや、腕を後付けにする方がよほど面倒な事かもしれない。形自体は単純なものだし、モールドも複雑なわけではない。型抜きする時にきちんと粘土を詰めて二面に分割出来れば良いんだから。やっぱり腕は一体にしてしまおう。一体だけ非常に面倒な型抜きになるから、それは袖の部分で分割してしまおうか。袖と腕の間を接合点にして。そうしよう。
今日は家族で平塚ユニディに行った。買ったのはスポンジヤスリ。グルーガンは家族共用なのでカウントせず、まだ使う機会は見つからない。画材から何から、ちょっと割高だった。自分の中ではいよいよ世界堂とヨドバシの一騎打ちになってきた感じだ。
長く外に出ていたので、茅ヶ崎にある横濱飯店というお店に行った。ブログで紹介されていたのを当てにして行ったのだが、とても美味しいものが食べれた。チャーハンがチャーハン臭くない。真面目に作った普通の味。それがとても良い。というかそういったものをほとんど外で食べれた事がないので、大変感動的なものだった。イメージ通りの中華料理と言うか、日本風中華料理と言うか。またすぐにでも行きたい。外に出ると行列ができていた。話には聞いていたが、やはりクセになるようだ。また行きたい。
いい日だった。
2012年
2月
08日
水
過去俺
12/16 一日中寝てばかりだった。横になるとどうも眠くなってしまう。やはり無理矢理にでも着替えた方が良いんだな。というわけで今から粘土をこねる。0時過ぎたくらいだ。
カレーが夕飯だったんだがこれがまた美味かった。トマトの缶詰をどっぷり入れていたので、てっきりトマトスープの様になるんじゃないかと思っていたが、そうでもなかった。これがなかなか本格的なカレーになっていてスルスル入る。食べる量が増えて嬉しい限りだ。
12/17 小学校以来の友達を遊びに誘った。粘土をいじるのも楽しいけど、今日はどうにも刺激が欲しかった。外からの刺激が。かといって一人でふらふらと外に行くのは、そこまで気が進まなかった。なので時間のある友達に連絡をして、都合がつけば遊ぼうと思ったのだ。そして見事に遊ぶ事が出来た。
久々に腰を据えて話したんだけど、ほとんど趣味の話を探っているような感じだった。でも相手が俺の知らない話をしてくれるのは凄く楽しいし、興味もわく。小学校のときからほとんど変わってなかったけど、だからこそ羨ましくも思うところがある。好きなものをちゃんと追い続けていっている姿だ。俺はすぐに忘れちゃうから、そういった感動を求め続ける姿はまぶしい。
話しているうちに、口だけ動かしているのはもったいないなぁという流れになってきて、次は作りながら話そうという事になった。俺もその方が良いと思う。なんか違うんだ。手を動かしながらしゃべって、相手の動きを見たり自分の動きを見られたりして、そのうえで出来上がっていくものを見たりして。その状態に早くなりたいと二人して思ったんだから、実際やったら相当楽しいんだと想像してる。次にあうときが楽しみだ。
12/18 すこしzoo団フィギュアの手入れ。といっても少々削ったくらいだ。明日から本格的にやる感じ。
ジョジョの奇妙な冒険の文庫版を買った。第4部だ。全巻買って、一気に読んだ。ジョジョ節が効いてて実に見応えのあるものだった。元気出る。満腹になるときと似た感覚で嬉しい。
2012年
2月
07日
火
過去俺
12/13 いよいよ終わりに近づいてきたので、試してみたい事がむくむくと出てきた。そして新たな稼ぎ口を見つけないとダメね。
12/14 アルバイト終了。短い様で長かった。一番大切なのは、求められているものを作る事というのが身に染みた。そしてなるべく手早く最大効率を目指す事。出来るだけラクをして工夫する事。普段から色々実験して無いと出来ない事もあったりするし、やっぱり経験してなんぼのものだ。チェックもドンドンして頂いて、精度を上げていく事だな。全体を知って、工程表を作って、リストを作って確認出来るようにして、ざっと一気に作ってしまう事。何度確認しても絶対に抜けがあるから、色んな人に目を通してもらうのがいい。とにかく確認確認の連続。
アルバイトで知り合った人達とは一旦お別れだけど、また次の機会にあえるかもしれない。連絡先も交換したし、何かやる時に誘えたり逆もあるので、機会があって良かった。
まずは身体の調子を確かめつつ、さっさと作るものは作っていってしまいたい。zoo団フィギュアとか。ごんごん粘土盛って、表面処理して色塗って。アルバイトの余韻のお影でとにかくはやくあげてしまいたいと思えているので消えないうちにさっさかやる事。
12/15 リアル・スティールを観に行った。良かった。凄く都合がいい展開だし、物語り物語してるけど、だからこそ良かった。主人公は本当に甘ったれでどうしようもないほど周りに感謝をしていなかったけど、それでも息子とともに最終試合に臨んでいった姿が、実に生きいきとした理想の姿だった。誰かに何かを伝えたい為に、自分のやれる限りをするというのがこんなにも熱く思えるとは。劇場で泣いたの初めてだと思う。DVD買う。
天才的な息子がいて、傷ついた時に戻れる場所と相棒がいるというのが、本当に恵まれていた主人公だった。でもそれが本人に取っては当然の環境だから、運がいい事に気づけない。この状況はしみた。日頃当然と思っている事が、実は大変幸運なことの連続だという事を、私はたやすく忘れてしまう。周りに感謝をせず、ただ自分のしたい事だけに目を向けている姿は、ほんとうにどうしようもないものだ。自分の状況を分析せず、自分の出来る事をないがしろにすることで、一体何が改善されるというのか。すねた性格というのは、役に立つときも多いけど、自分をも壊していくようだった。自分を見ているようで痛々しくなった。それでもやっぱりすねた性格は直らないし、雑で不明瞭で大雑把な言葉でしか言う事が出来ないけど、実際に行動して話す事で少しづつ変ってくる。変化が起きないのが一番おそろしい。
人としてさえない主人公だったけど、一瞬だけ魅せてくれたあの瞬間は、たまらないものがあった。あの瞬間、今まで培ってきたもの、今まで追ってきたものが瞬時に形となって、光り輝いた。あれを見る事が出来たのは、間違いなく今の自分だから、余計に感動だった。感動は本当に刹那的なもので、今までの自分の記憶と経験が全てミックスされたときと、何らかの刺激がぶつかり合い溶け合うものだと思えた。感動は奇跡的なんだ。心が動く事がもう既に、極上の奇跡の巡り合わせだったんだ。
今日はもう、いい日だったよ。
2012年
2月
06日
月
過去俺
12/8 アルバイトが怒濤の勢いになってきて、日記を書く事も出来ない。家に帰れていないのもあるけど、帰ってきても体力がない。正直こんなにキツいとは思っていなかった。完徹明けの日にまた完徹。倒れていないのが不思議だ。徐々に体力がついてきているのかもしれない。今は目もグラグラするから、限界が近づいている。そろそろ寝よう。でも面白い事に、キツくなればなるほど、作りたいものが出てくる。これは早く手をつけられるようにしたい。休みが3日くらい欲しいのも事実だけど。
12/11 9日と10は夜が遅くて書けなかった。というか終電逃しが多くなってきてもいるし、どうにかせなば。食事を食べずに一日過ごしてしまったけど、よくなかった。周りに心配をかけて仕事に支障が出てしまうかもしれないし、イライラもしてくる。自分でちゃんと管理しないとダメだった。全然お腹が空かなかったけど、食べないと何かが少しづつ狂ってくる。
今日はお休み。起きたのが12時で、二度寝して2時くらいに起きた。そのあと2時間くらい食べて、ベッドで横になってた。なんか身体が鈍い感じ。やっぱり疲れが出てるみたい。
新しいものはポロッと頭に出てくるんだけど、芯がないので早めにまとめたい。作るにしたって、どれくらいのサイズでやるのかも決めてないし、場合によってはすごく大きなものになってしまう可能性もある。ただコマゴマとしたモノを作るのは苦手なので、ある程度大きめなものになるとは思う。そして椅子の上を片さないと。置く場所がないとか言ってる場合じゃない。そこらへんに置く事にする。
12/12 今日は終電で帰るようにした。こういう時アルバイトは気楽で良いとつくづく感じた。会社員になれば残業が発生するし、帰れなくなるのもしょうがなくなる。体力に自身があるないは別にしても、仕事を終わらせる速度が上がっていかないと、いつまでたっても帰れない。
例えば自分で仕事を探してくる時、一体どうなるのだろう。どうも今まで直で見てきた会社の人達は、グイグイ引っぱる感じが強かった。やっぱり経営者になる人は、何かが人よりも一段強いのだろうか。
自分がどうなるかは分からないけど、個人事業主みたいになるとしたら、何が必要なんだろうか。
2012年
2月
05日
日
過去俺
12/2 たっぷりと寝た。起きたときは12時ころだったか、とても冷えていた。今日一日は冷え込む一方で、暖房を一日かけっぱなしになっていた。
疲れが出るかと思ったが、調子は予想していたよりもずっと少なく、快調なものだった。よく寝たのが良かったのか、寝起きが良かったのか分からないけど。おかげで食事はよく入るし、布団に否応なく入るしかないような事にはならずに済んだ。といっても寒いし手を動かす気にはなれないので、布団に潜りつつ「火の鳥」を読みふけって一日が終わろうとしている。まだ読み切れていない。
おいしい食事もたくさん食べる事が出来た。ホッケに椎茸にムツに納豆汁に。特に椎茸は今日、友達が譲ってくれたもので、特に好物のものだった。その椎茸を食べてから、椎茸への印象が変わった。おいしいものを食べると印象ががらりと変わる。生きていて良かったと思う。知る事が出来て良かったと思う。
平和で時間が止まったかのような一日だった。
12/3 またもや12時頃に起きた。なんかやるかなぁと思ったりもしたが、気も進まないので放置。しかしこうして椅子に座って机を眺めていると、むらむらとやりたくなってきたので、やっぱり椅子の上は片づけた方がよろしいのだな。寒いとかもあるけど、椅子に座るだけでなんかやりたくなってくるのは、まぁ良い傾向ではないか。
作りやすいやり方をバイト先で見てきているので、それらから拝借してさっさと作業しやすくした方が良いな。穴空けて竹串でもブッ刺すか。足裏とか、接着で隠れるところとかに刺せると良いんだけど、いかんせん足のサイズが小さいので背中などだろうか。次に作るときはそういった持ちやすいものが飛び出るようにしよう。
火の鳥を全巻読み終え、AKIRAを読んでいた。昔よく読んでいたものだが、今見てもやはり気合いの入り方が違うように感じる。ぶち抜ける強さと言うか、有無を言わせずに読ませるような力が双方にはあった。凄いものだ。元はメビウスやディズニーとはいえ、きちんと自分の考えを写しているから否応のない力があるように見えるのかも。
ちょっとだけ今の自分が出来そうな事を思い描く事が出来た。
12/4 アルバイトへ。効率よく動けるようになりたい。そして上手く相手から情報を引き出せるようになりたい。まだ臨機応変には動けなかったので、はやいところ身体が慣れてくれるのを待つとしよう。口惜しかったぜチクショウ。
2012年
2月
04日
土
過去俺
11/28 ボランティアへ。朝の電車で乗り過ごして、川崎まで行ってしまった。引き返す為に電車待ちをしながらキョロキョロ見ていると、なんとおもちゃの自販機を発見。機関車トーマスやらプラレールっぽいのやらが買えて、さらに動物のハンティングトロフィーのミニチュアが買えるとの事でさっそくお金を崩してやってみた。ハンティングトロフィーで出てきた商品は、よく出来ていた。海洋堂の方が気合いが入っているけど。ただ、箱が最低なものだった。「TAKARA TOMY A.R.T.S」というロゴが正面にあるだけの白い箱。中に入っている商品の説明は無く、製品の取扱説明書の様なもののみが同封されていた。せっかく自販機でガシャポンを買ったのに、これじゃあんまりだ。全然嬉しくない。自販機で買えるというスペシャルな状況を全く生かそうとしていない。ちゃんと箱をデザインして、買ったら嬉しくなるようなものにしないと意味ないだろう。子供が買ってもちっとも嬉しがらないことは分かるだろうが。工夫しなさいタカラトミー。
寝過ごしたものの時刻通りについたボランティアの現場では、私の手際が悪く他の人に仕事が回る事になった。その人の負担が増えてしまったので、次からはスムーズにいけるよう気をつけたい。明日こそは足を引っ張らないようにしたい。
しかし今日は一日中頭に妙な痛みと感覚があった。家に帰ってきたら治ってきたが、頭痛薬も飲んで今は沈静化している。おそらくまぁ、精神的なものだろう。それにしても気分の悪いものだった。頭が痛いというのは相当な苦しみだ。頭痛持ちの人達の悩みは計り知れない。
11/29 今日も一つミスをしていた。初日に確認すべきだったのだが、気が回っていなかった。なので次からはそこにも気をつける。やっぱりしつこく細かく確認をするべきなんだな。なかなか進まないが、元々やるはずだったのが後回しになっただけなので、焦る必要はない。焦ってミスが多くなればその分時間を多く取ってしまう。それを痛感した。
手際よくやるのはなかなか難しい。段取りを作ろうとするも、それに回す時間が惜しくなるくらい急いでいた。なので頭の中だけで何を進めるのかおぼろげながら考えていたが、手が進むのとはまた別だ。丁寧に仕上げるにはそれなりに時間がいる。何とかスピーディーに終わらせようとするも、力が入りすぎてしまうようになっていくので、それに気をつけるくらいしか出来ない。でも怖くないからすごく良い。自分のミスが目立ってきたから、それだけは毎回気をつけないとダメだけどね。
12/1 11/30から徹夜で作業だった。さすがに徹夜はキツい。どんどん動きと集中力が鈍くなっていった。手際よくやらなければ、また徹夜するはめになる。
とにかく疲れた。
2012年
2月
03日
金
過去俺
11/25 米子映画祭inお台場のお手伝いに行った。色々な人がボランティアとして参加していて、またお話をするのがとても楽しく、中々に充実したものだった。着ぐるみに入る初体験も出来て、同じく着ぐるみに入った人と盛り上がった。自分の作ったミニチュアなども久々に見れて、「こんな感じの塗装なのか」と観察。映像として映る際の塗装レベルはあまり見る機会がないものだし、じっくり見ておいた。
今日はなるべく笑顔やそれに近い表情をしているように気をつけていた。最近気分が沈んで元気がなかったのだけど、今朝ツイッターを何気なく開いたら面白い記事があって、それに感銘を受けたので柔らかい表情を出来るだけしているように決めたのだ。誰かに喜んでもらうのも大事だけど、自分が「嬉しい」とか「楽しい」って表情を出すようにすることで、それが知らず知らずのうちに人に伝わっていって、そこで初めて相手が喜んでくれる顔を見れるんじゃないかと思って。なので、これからなるべくニコニコとしていたいと思う。
zoo団フィギュアの手入れ。やっぱり楽しい。自分で作るのがこんなに楽しいなんて、久々の感覚だ。丸一日ボランティアに向かう日が続いたので、その喜びもひとしお。今日は胴体の盛りつけ。形が出てきたようなまだのような。しかし段々とそれぞれのキャラクターの表情を見れるようになってきたので、これから更に楽しくなるだろう。顔の方はもう本当に細かな傷や修正だけになってきて、ファンドでは難しくなってきた。なので近いうちにプルミエを買っておきたい。それからヤスリがけだ。何とか時間を作って、さっくりと終わらせてしまいたい。
11/26 歯医者の後、ボランティアへ。作業が滞ってしまった。作業のせいか目がねぇ、ちょっと赤くなってるんだ。
さてさすがに土曜日という事もあり、家族連れやカップルをそこら中で見た。なんとも良い光景で、気持ち肩身が狭かった気がした。しかも帰りは作業後で、シンナーの匂いとかで通報されやしないかと内心どきどきだった。やっぱり作業着盛っていった方が良いかな。ツナギは作業し辛いんだよな。オーバーオールとか、どうだろうかね。そうすれば少しは格好を気にする事が出来るかもしれない。最近洒落てるなぁと見てて思う人は、皆薄着に見えて「あんな格好を我慢して続けていたら、体調が崩れる一方になるだろうな」とも思ってしまい、なかなかああいった格好を参考に出来ない。筋肉を付けたり皮下脂肪がついたりすればまた違うんだろうけど。重ね着で何とか工夫していくしかないな。
11/27 今日はプルミエを買いにいこうかと、考えていた日だが止めにした。まだ風邪の症状が残っている気がしたので、養生したのだ。起きるのも遅かったし、やる事は布団にくるまり横になることだったので本を読んだ。1ページ進んだら眠くなってしまった。言い方が幾つもあると中々しっくりこなくて混乱したり、文章を読みやすいように脳内で入れ替えたりしていたのでちっとも進まない。だから楽しい。まぁとにかくすぐに寝てしまったわけだけど、とんでもないスペクタクルな夢を見た。久々に吹っ飛んだ内容だったので、起きた後もかなり良い部分を憶えていた。すぐに書き出して、満足。
いくつかは最近通っているところの付近のビルの造形が目立っていたりしていたが、それ以外はよく分からないものだった。夢はその日起こった記憶の整理をするという話を聞いた事があるけど、確実に昨日目で見ていないものがあったので、おそらく生活している中のイメージなどを呼び起こしているんじゃないかと思う。その記憶の整理の話にそった言い方をすればだ。もしくは当事者の精神状態によって物語が進んだりとか、なんやかんやあるんだろうなぁ程度で、もんやりとしか推測出来ない。未来からのメッセージとか、身体からのメッセージとかいう話もあるけど、そこらへんは未接触なので分からない。でもとにかく、元気と活力が出てくる夢で、楽しいものを見た。
お客さんが来て話したり食べたり飲んだりした。これはまぁ、そんなに刺激は無く平凡なものだった。あと全く関係ないけどやたらと屁が出てきた。最近腹が少し膨らんでいたのはやはりこれのせいのようで、今はすっきりとしている。屁がたくさん出るのは、個人的には歓迎出来ない。腸になにか不都合が出てきている可能性があるからだ。疲れが解放されたから出てきたのかもしれない。
2012年
2月
02日
木
過去俺
11/22 ボランティアでの作業。プルミエという粘土を知った。ネットや本などでもちょくちょく名前を聞いていたけど、とても柔らかく、ファンドに慣れている自分は驚いた。ファンドと同じ感覚でちぎると、綿を掴んだような気持ちになる。柔らかい分テクスチャを付けやすく、なかなか重宝しそうな素材だ。例えばジオラマやヴィネットのときに、岩についた苔を表現したい時などに使えそう。とても柔らかなので、豚毛の固い筆を使って流したり刺したりすれば適度な雰囲気になると思う。反面柔らかすぎるので、ガツガツ盛っていくのは向いていない感じだった。
今日も大変楽しく作業をさせて頂いた。自分の進み方をちょっと遅く感じていて、もう少し早くテキパキと作業が出来れば良いのだが。工夫していてもまだまだ時間がかかってしまう。ただ、急ぐ気持ちが先走ってもいるので、この危機感(?)は片隅においといて、丁寧に着実に提出していくようにする。かなり気分が乗っているので、一気に疲れが出ないようにしたい。
以前履歴書を送ったアニメなどの背景制作会社から採用試験の面接日を選ぶメールが送られてきていた。今やっているボランティア、凄く楽しいし、ひょっとしたらアルバイトにもなれるかもしれないので、かなり乗り気。でも背景制作会社の仕事も興味を引かれている状態で、採用試験とはいえ悩む。どっちもやりたいのが本音なんだけど、ひょっとしたら受かって正社員になれたりするならそれもいい。背景をキッチリ描いてアニメーションに使われるなんて面白いじゃないか。でも立体背景の制作が本当に自由で気楽で楽しくて、それを離れなくなるかもしれないと思うと嫌だ。
まだ受けてみないと分からないうちからあれこれ想像するのは良くないけど、選ばないといけなくなった場合どうするかは考えておいた方が良い。給料の面から考えても多分そんなに変らないかもしれないし、そうなった時どっちが楽しいかになるかだしな。まず受けて、俺がどう判断されるかだ。
でもどっちかっていうと今のままの方が良いなーとは思ってる。それが答えなんだろうな。だって、作品を見てとりあえず使ってみるって決めてくれたのは、今のボランティアをやっている会社だけだったんだもの。なかなか使ってもらえなかったから、やっと誰かの手伝いが出来る環境を得られたのが本当に嬉しくってね。
11/23 ボランティアへ行く。気分は明るく前向きに取り組める状態で、大変良いものだった。昨日やったものとその続きを終わらせる為に、なるべく滞らないように作業をすることになった。頭だけで考えていても分からないので、紙に書き出してもみたがやはり実感が沸きづらかった。やりくりした経験がないからだ。今回ので少しはついたと思うけど。2つなら同時に出来るんだけど、3つ以上になると混乱してしょうがなかった。なので素材の状態を「A,B,C」のようにグループ分けをして、さらに作業手順を「1,2,3」のように分けて、早く終わらせられるモノから手をつけていった。
今回は一人でなく二人での作業になったので、分担が出来た。追いつき追い越しのようにやると良いようだった。そうすれば完成品が一度に大量にストックされる事もないし、保管場所を作る余裕も出来る。修正も出来る。二人だと早くて良い。分担作業の効率がいいと、気分も軽くなってくるのでプレッシャーが少なくていい。しかも経験が積めて、他の事に生かす事も出来るようになるなんて最高だ。
帰りの時、雨が降り出してきていたのだが、そこまで寒くなかったのが意外だった。そのかわり先日寝た時刻が遅かったせいか、電車の中で具合が悪くなってしまった。疲れが取りきれないんだな。なんだかんだで疲労がたまっているようなので、テンションが高いときは気をつけるようにする。あと早く寝る事を厳守する。遅くて1時半。
11/24 とある会社の採用面接へ向かった。今やらせて頂いているクレイアニメのボランティアが非常に楽しく、またそういった方面での仕事をしてみたいと思ってしまった矢先なので、試験を受けた後面接でお断りをした。その会社は雰囲気が和やかで清潔感があり、社員の人達は和気あいあいと作業していらっしゃった。履歴書とポートフォリオを見て、良かったらうちで育ててみようかと考えて下さった方に申し訳ない気持ちで一杯だ。わざわざ面接試験を受けて、その場で「やっぱりここには入らないことにしているんです」というのは、笑顔でむかえてくれた人に平手打ちをするような仕打ちではないか。もともと私自身が数多く会社に履歴書を送っていたのがマズいのだが、それにしたって言い方とかあるだろうに。二度とこのようなことが起きないようにしたい。
包み隠さず、誠実に、わかりやすく話すというのが、大変に難しく感じている。それでなくとも支離滅裂な言い方になってしまうのだから。そんなわけで、自分の撒いた事とは言え、疲れてしまった。
2012年
2月
01日
水
過去俺
11/19 土砂降りの大雨。さらに風も強く、窓をバンバンと音を立てていた。それから一日中鼻水が酷かった。サラサラの鼻水がずっと流れている。おそらくアレルギー反応だと思うんだけど、ホコリかな?だとしたら掃除しないとダメだね。雨でない日は全然平気なのに。
zoo団フィギュアの手入れ。胴体の粘土の盛りつけ。またスケールがどうなってくるか色々想像ができて楽しい。当初予想していたよりも5ミリメートルほど大きくなりそう。さらに腕のサイズや足の長さなども予測出来てきて、いよいよ盛り上がってきた。それぞれの印象を思い出しながら、(1体だけは実際に会った事が無いので想像だけど)ポージングを考えていき、それでも似たようなポージングにならない様工夫する。実に楽しくやっている。
顔の方もちょこちょこと手を入れたが、やはり削りたかった。盛る一方ではどうもバランスが崩れていく。なので試しに盛るところは盛って、すぐにやめた。
午前中に作業するというのは気持ちが良い。とくに9時前に起きて作業すると、なんというかこう、着実に進んでいるような気がしてくる。早く寝るようにすれば朝も辛くないし、7時前とかならもっといいのかもしれない。
11/20 zoo団フィギュアの手入れ。胴体に粘土盛りつけ。上半身が長めになるのがくせみたいだ。みんな胴長。心材として切り出した針金の、ほぼ全体を最初に大きく盛ったからだろう。もちろん足の長さなどもモヤモヤと考えてはいたが、実際に盛ればもっと見えてくるという事でとりあえず盛ったせいだな。それぞれのスケール感が違ってしまうのはマズいけど、個々の背の高さが若干違うのは面白いから、なるべく慎重に進めたい。あとそれぞれの印象を思い浮かべつつ、キャラクターとの融合をさせたい。
スケールを合わせる事に気を使う事。それでなくともマスクそれぞれのイメージが違う事で合わせづらいんだもの。特にキリンが難しい。眠そうな目というか、とろんとした大きな目を作りたいんだけど、なんか上手くいかない。鼻先までが長過ぎるのが原因とも言えるから、とりあえず長さを詰めてみる。
削っている最中に思ったんだが、やはり集塵機が欲しい。もしくはつねにコンセントにつないで電動リューターをセットしておきたい。パワーも速度も段違いだから、次々と削ってしまいたいんだ。本格的に考えないとマズい。雨が降っている日や雨上がりの日に、外に電動リューター持ち出すのは気が引けるし、気が引けたら進むものも進まない。
アレルギー症状らしいものが続いていたので薬を飲んだところ、かなり時間が経ってから効果が出てきた。鼻水はクリア出来た。でも喉の痛みは引かなかった。お茶を飲んでもご飯食べても。これはおそらく風邪だ。引き始めにパブロン飲んで、ショウガとネギのみそ汁を飲み、レモネードを飲み、早めに寝るつもりなのでこれで挽回したい。ちなみに今は11時3分。
明日はクレイアニメの有償ボランティア。楽しみだ。どんな事をしているのか、どんな事が出来るのか。体調はおそらく大丈夫だと思うが、用心したい。
11/21 ボランティア。風邪気味なのは変らないが、制作が楽しい。仕事場の雰囲気が非常に良いのもある。テキパキと動いている姿が見れれば気合いも入る。ダラダラせず、やる事をきちんと分けて答えを出すのが快感だ。小物を作ったりミニチュアを作ったりする、こういう事の方が性に合っている感じがする。無理をしている感じがない。のびのびと出来ている。仕事ではないとまでは言わないが、本当に気が楽なんだけど緊張感を持てている。ボランティア出来る日数は少ないが、出来うる限りの事をしたい。
仕事を探すときも、こういう小物やミニチュア、おもちゃの造形などを探す事にしようかな。
2012年
1月
31日
火
過去俺
11/16 町田へ粘土の購入に行った。やはり世界堂が使いやすい。
帰りに海老名で母と待ち合わせをしていたのだが、暇をつぶすために新星堂に寄ろうとした。するとどこからともなく三味線の音色が聞こえてきて、「新星堂もこんなのを流すんだなぁ」と思っていたら、眼下に演奏している人がいるのに気づいた。新星堂はぶれずにポップスを流していた。
その三味線の音色は実に良いものだった。今まで私が聞いてきた音は全て、CDやテレビ、もしくは祖母の所持している民謡のテープから得たもので、三味線のイメージは「昔からあるガチャガチャとうるさいところが面白いもの」位の印象しかなかった。もっと前に実際に聞いていれば、また印象は違っていたのかもしれないが、そんな程度だった。
だが今日耳に入ってきた音は何もかもが違っていた。うるさくない。飾っていない。染み入ってくる。強くバチで弾く為に大変派手な音が出るものという印象があったが、今日聞いたものは実に上品だった。耳に刺さるような荒っぽく未消化な音ではなく、強い音なのに丸みがあり、ふわっと軽く押してくるような響きで、滑らかに入り込んでくるような音だった。演奏には緊張感が漂っているが、それが聞く方には不快でなくむしろ安心感を与えるような佇まいだった。また、残心というか、曲に対しての自分の想いなどを感じさせるような挙動は無く、ただただ演奏にのみ気を張っている姿に息を飲んだ。演奏にのみ気を配っていると言っても、なんと言うのか、近寄りがたい空気が無い。おごる部分、誇ってしまう部分など、そういった自意識を感じさせなかった。その姿が実に自然体で。本当に演奏と一体になっているように感じた。そう、演奏と一緒になっていたのが驚きで、感動して、もう言葉が出せない。曲目を説明したりせずに、終われば次の曲を演奏していたので何を演奏しているかはさっぱりわからなかったが、とても居心地の良い曲ばかりだった。激しい曲調のものもあれば、ゆるやかなものもあり、どれを聞いていても飽きなかった。かなり年配の人が演奏している人の近くに座った時に、足でリズムを取ったりもしていた。
母と会う時間が近づいたので、素晴らしい時間を過ごさせてもらった分しっかりとお金を払い、感動した旨を簡潔に伝え、帰った。ついでにいうと、その人はCDなどをその場で売っているわけではなかった。新聞の広告を広げてその上に座り、パジャマまではいかないまでもラフな格好で、三味線をケースに入れて運んできたようだった。俺以外にはそんなにお金を払っている人はいなかった。免許証入れのようなものに身分証明書みたいなものが入っていたがよく分からなかった。だが免許証ではなかったし、大分色もあせていたので、おそらく三味線の協会かなにかの身分証だと思う。
今日本当の「芸」というものを見た。演奏と一体になる。作品と一体になるという美しさ。そしてそれにかける凄み。技に溺れず、自分に溺れず、かといって自分を殺さず、上手に聞かせるのためではなく、気持良く聞かせる為でもなく、ただ演奏をする。心も残さず、だけど殺さず。あるがままをあるように。太陽が昇り沈むように、それ自体に何の違和感も感じられないくらい自然。あたり前の様にそこに在った。
あまりにも深遠すぎて、まったく想像出来ない。あの瞬間から今まで、俺はとてつもない存在に出会ってしまっている。まったく見当もつかない。素晴らしい体験をした。
11/17 会社に履歴書の類いを送る為に、成績証明書を申請しに大学へ行った。すると久々に友達にあった。ほんの少ししか話さなかったが、何だか以前に会った時よりも活力を感じた。
会社を調べて、履歴書と作品送って、作品集に手を入れては悩んで、また調べて送るをくり返しているなぁ。同じ考えというか、ゴールが「就職」になってしまっているので、余裕があまり感じられない。受験のときと一緒なのは分かるんだけど、どうやって解放しようかね。なんだかんだ暇な時にこうしたら楽になりそうとか思った事を、なかなか思い出せない。なんか無理をせず、その状況を忘れるように気持ちをガッチリ入れ替える、とかそんな事を考えてた気がする。同時に、たぶん忘れようとしても気になって気になってしょうがないだろうから、他の方法は無いもんかとか考えていた気がする。なんか新しい刺激を受けられるような状況を無理やり作り出すようにするとか、考えてたかも。
浪人時代はひたすら練習しかしてなくて、娯楽は少なくなっていく一方だったはず。今もそれに近づいてきていて、だんだん袋小路に入り込んでいってる感じ。「これから先こうなっちゃうとやばい」とか未来の事をあれこれと先に想像するから怖くなる。やばくなった事を考えて何もやらないより、失敗した方がよっぽどタメになる。生きていけないかも、とか、お金を稼ぐことができないかも、とか、正社員になれないかも、とか、些細な事だ。お金が稼げた方が、自分の好きな事が出来ると考えれば稼いだ方が良いけど。でも問題はそんなことではなく、どう生ききるかだ。心配は、様々な対処法や解決策を導く為に使えばよくて、ある程度どうしようもないことまで気にかける必要は無い。
さぁさぁどうなるのだろうか。とりあえず、zoo団フィギュアを完成させるのが優先事項だな。
そして唐突に、「遊びを真剣に楽しむ」という言葉の意味が分かった気がする。自分のやっている事が詰まり気味だからこそ、目一杯遊ぶんだな。あれこれと手を出したり、気持良さを追求するのか。
11/18 昨日眠れなかったので、大変ぐっすり眠れた結果11時に起きた。
zoo団フィギュアの手入れ。主に胴体の作成。イメージが固まっていないキャラもいたが、とにかく早めに仕上げたいと思っていた為か形が浮かんできた。たまに急ぐと素晴らしい。角の盛り足しや、顔の微調整なども含めてやっていたが、削る時間を一緒に作れないのが口惜しい。疲れちゃって、そこまでいけないのもあるが、原因は起きる時間が遅い事。反省。でも作っているとつまらない事考えてる暇無いから、実に良い。よしよし。
昨日の「遊びを真剣に」をやってみた。疲れたら、楽な姿勢で本を読む事。良いね。これで絵を描いたりにも気合いが入ればなお良いんだけど。
2012年
1月
30日
月
過去俺
11/13 友人2人を自宅に招いて鹿肉を食べる。お客さんの来訪で家族もテンションが上がり、ドンドン食べて飲んで話しての騒ぎになった。盛り上がるったらない。こんなに熱くて力があってぶつかり合うなんて、そうは無かったことだ。特に父や母との会話を聞いているのが新鮮で、これは面白いものだ。話を聞いて、それに返して、また広がっていくというのは本当に素晴らしいことと感じた。どこにでも種は転がっていて見逃しがちだけど、貴重で大切なものだ。
私は誘った割にはあまり食べられなかった。鹿肉は一口も入らなかった。同じ皿に乗っているものを分け合って食べられなかったのは残念だが、彼らと食事をする機会が増えれば問題はなくなるだろう。とにかく話が出来たのが何よりのごちそうだ。本当に人と話す事が少なくなったと実感した。あんなに嬉しいものは、もっと広げていく努力をしなければならないな。自分だけにとじこもる事が多くなっているので、何とかして話をしてつながる事が出来ればいい。
良い時間を作っていけたのは幸いという他ない。
しかし自分一人でいる時間が長くなっていくというのは、俺の特性なのだろうか。どうも皆と積極的に関わっていくというよりかは、だんだんと一人になるように自分をしむけているような気もする。色んな人と関わりたいと思っている割には、行動自体は内向的というんじゃないか?そして内向的という割には、どこか抜けた部分のある自我というか、ある点では非常に頑固な世界があるけれどもそれ以外の大部分は他の人に大きく左右されるような。自己の内面が他人が映る鏡っぽいというか、見えるはずの実体が形を為していないような気がする。作る上で大切な頑固さというか、そういった思い込みみたいなものが実に弱々しい。ふらふらともやが突っ立っているだけのような感じか。そしてそのもやが、多分俺にとって相当重要なものの気がする。全然形になる気配が見えないけど。そこが強化されれば、大分違ってくるんじゃないだろうか。
11/14 zoo団フィギュアの手入れ。角や身体のパーツを盛っていった。ある程度の細かい造形なども入れたが、のちのち削り落としたりしたらまた入れなければならない。だが目安として機能してくれるはずなので、やっておいて良かった。ダイソー粘土の上にファンドの石粉粘土を盛っていったのだが、食いつきが悪かった。かなり水分を足した粘土でないと、剥離してしまう。接着剤の違いだろうか。ネジ式の様に溝を作ったり、ヤスったりして表面積を大きくしないといけないかもしれないが、それでも相性が悪そうな気がする。他の石粉粘土と比べてはいないのでダイソー粘土を軸に使うなら、地道にやるしかない。
空気が乾燥してきたせいか、以前に手を入れたときとは粘土の乾きっぷりが違う。どんどん乾いてくるので大変作業がしやすくて助かる。
動画のキャプチャーをする為のフリーソフトを手に入れた。これでネギマンの時にどう使われたのかを作品集に入れられる。就職課の人のアドバイスに感謝。
自分の気持ちをしっかりと伝えるにはどのような工夫をすればいいか、はよく聞く話だと思う。実際に何か行動する時、それを人に説明をすることは日常茶飯事なわけだ。説明して分かってもらえた場合、応援者として支えになってくれる事で大変に力がみなぎる、気がする。だから分かりやすく説明する必要が出てくると思う。しかし自分の感想を持つというか、伝えたくなるほどの心の動きって実はとても伝えづらいと感じているんだけども、その辺り他の人はどうなのだろうか。伝えるにはなるべく普遍的で、イメージしやすい言葉が必要になってくる。そして、何より話すには論理的な形として口から出て行くのが良いと思うんだけど、感動している時は独特の思考の展開をしているから、ちゃんと説明出来ない。自分の中の渦巻く色や高鳴る鼓動とかを、相手は感じられないわけで。
いや、感情は伝わらなくていいのか?自分の慌てふためく様を相手が観察して勝手に感じてくれれば良いのかな。まぁとにかく自分の考えている事を人に説明できるように、ある程度学んできたわけだけど、その過程でどうも分かりやすく伝えるには俺の感覚が邪魔だと判断するようになっていったみたいだ。特に強く心が動く事が、とても少なくなった。自分を伝える事が怖いんだな。俺の生の部分、ちょっとだけ隠れている部分が垣間見える事を心底拒否しているようだ。ギチギチとして動けなくて実につまらない。そうなったのは、やっぱり心底信用していないからじゃないかな。「楽に生きる」という考えの、褒められない部分に悩んでいる感じ。
いちいちリアクションを取る事で身体から反応するようにする訓練もあるみたいなので、ちょっと参考にしてみる。
しかし書きながら考えていると、自分の本質とか本音とかこだわる必要も無くなってきたような気がする。どうあがいても今の自分以上に、自分を表しているものはないんだもんな。その奥底にあるかもしれない薄汚いと思われる部分は、まぁ印象最悪な悪友とでも思っていればいいのかもしれない。何もかんも真っ白、風呂敷全開みたいな感じでいるほうが大変かもしれないし。奥底にいる最低最悪なヤツと、延々殴り合いしながら侮蔑の言葉を吐いて吐かれて、死ぬまでつきあっていくのがいいのかも。そう考えると悪くはないな。俺と俺だけの問題だから、誰にも迷惑かけないし。でもあいつ取り巻きが多くていつも多勢に無勢になるんだよな。自分の相手をするだけでへろへろだ。
ただ、説明するときにきちんと順序立てて話すのが苦手なのはどうにかしたい。結論を先に言うのがこんなに難しいとは。発想に至った理由から自分の感情の説明まで、一から百まで全部言えないのは当然としても、簡潔にいう事が出来ないのが何とも口惜しい。根拠とかもう、言った瞬間忘れてるもの。もうちょいマシな方向に行かないものかね。
11/15 ポートフォリオの手入れ。スクリーンショットを貼付けるのと、文章の入れ替えや書き直しをした。やっぱりページを作るのは中々難しい。作品を、どういった理由で、どんな手法を使って、どんな経過をたどって、どのように完成させたか。それらをまた細かくバラしていって、大筋を大体つかめるように説明するのがいつだって未完成に思えてしょうがない。これなら伝わるかな?と思ってまとめていっても、実際に見せていくと「ここが知りたいけど書かれていない」みたいなことがたくさんあって、それをまた直す。それ自体は苦じゃないし、だんだんと見やすくなっていくのなら、こっちもやりがいが出てきて面白いから良いんだけど、問題は見てもらった際にもらう一言を聞き逃してしまう事だ。気をつけないと、と思っていてもまた聞き逃してるから、どうにか心を締めなおさないといかんね。
母が辻堂のモールに行くということでついていった。感想は「かゆいところに手が届かない」。ユザワヤを画材屋かわりに期待していたのだが、品揃えが足りなかった。特に粘土があることに期待していたんだけど、石粉粘土の欲しいタイプのものはなく、近場で手に入れるという考えは消滅してしまった。あと割引が効いていなかったので、これなら世界堂に行って買った方が特という事になった。町田はなんだかんだで最寄りで一番そろっている場所というのを、再認識。
服や雑貨が多く占めていたが、どれもこう欲しいものが無く、お手軽感覚に買い物をしていく品揃えの印象を受けた。しっかりした生地の服が欲しいとか、ちゃんとした心配りのあるアイテムが欲しい、と言った場合には心もとないと思う。反面、ちょっと急ぎで安くてそれなりに名の通って見た目も悪くないのが欲しい、という場合にはお役に立つモールなんだろう。ユザワヤの品揃えもまさしくそんな、浅くそれなりに広くといった感じだった。
服に関して思ったんだが、どうしてああも薄く薄くなっていくのだろうか。重ね着してもなお寒く、重ね着と行っている割には筋肉のついた身体を強調する作りになっているものばかりだったように思う。厚手で無地のシャツとか欲しいんだけど、どこも置いていなかった。古着屋で見つけたくらいだ。俺は暖かくなりたいんだ。ん?ひょっとして薄手なのは身体を引っ付け合うようにしむけているのか?だとしたら引っ付け合う人がいないケースも考えて頂けるとありがたい。
あー、専門店がメチャメチャにコアな品揃えをしているモールとか無いかなぁ。もしくは商店街。近場に欲しい。
2012年
1月
29日
日
過去俺
11/10 履歴書の書きため。といっても基本情報のみ。それからアルバイトの申し込みをしてきた。それくらい。他には何もしなかったな。色々と考えながらやるためにパソコンをつけて作業していたけど、全然進まなかった。興味が濃くないものはカレンダーに羅列して、それだけに集中してしまおう。他の事を考えつつやったりするとグダグダになる。まぁとりあえずやることやって一段落したので、良しとしよう。
爆問学問で古武術の先生とのお話をやっていて、技をかけてもらっていたりしていたんだけど、よく分からなかった。だから凄い。そして先生は自分の身体が楽になるように動いていると言っていた。楽に動けるように工夫していいんだな。基礎体力が〜とか、体重移動が〜とか部分的なものではなく、もっと曖昧に全体を使って自分の気持ちに敏感に反応すること。そうすることをくり返していくうちに自然とでき上がるものがあると。さすがに古武術は自然には身につかないだろう。けど、自分の気持ちに敏感に反応するというのは、癖にしたい。どこかで無理やりな、自分で納得しきっていないフィルターにかかってしまうことで、肝心の気持ちの源泉が濁る事が多いから。
気持ちいい、楽しい、面白い、とすこしでも感じたらそれをほっておかないようにしたいな。
11/11 起きたのが昼過ぎだった。また怖めな夢を見てしまった。少し平和的なところもあったけどやっぱり怖いものは怖い。幽霊ネタはちょっと閉口だ。俺昨日は幽霊ネタなんて見てないと思うんだけど、どこからインプットされたんだろう。
大学へ求人票を探しに行ってきた。今回はあっさりと終わらせて帰ったけど、なかなかの収穫はあったので良かった。会社の存在を知る事が出来るだけで大分違う。
ただ寒かったなぁ。12月から1月にかけての気温じゃないかと思うくらい冷えた。雨が降っていたせいもあるだろうけど。重ね着しても無理なものは無理なんだな。セーターとか着ないと耐えられない。あとダウンジャケットの変え時が来た。予備校のときから使っていた(と思う)ジャケットが、何故だかベタつきだしていた。ペンキがついたり何だったりで、まぁ見た目もアレだったのでそろそろ買おうと思う。どんなのがあるか分からないから、出かけて探してみようか。今度は絵の具で汚れないようにしたいなぁ。
11/12 インフルエンザの予防接種。とても混んでいて、4時間もかかってしまった。医師と看護士の疲労を思うと怖くなる。
手に入れてきた求人票を調べ直してみたところ、場所がハッキリ分からなかったり、過去に事件が起きていたりとなかなか波瀾万丈なものが引っかかったので、書くのをためらった。どうしようかな。面白そうだと思ったところが続けてアレだったので、ちょっと考えないとマズい。幸い持ってきたもの全てがそうと言う事ではなかったので、またじっくりと探そうと思う。
2012年
1月
28日
土
過去俺
11/7 今日は快晴、暖かい一日だった。zoo団フィギュアの手入れ。今回もごりごり削っていた。電動リューターのモーターから微弱な振動が伝わっていたのだろう、もうへろへろ。2,3時間はぶっ通しでやっていたせいか腕がしびれている。腕が重く感じるだけでも、十分な疲労感だ。筋力もついちゃいそうだ。微弱な振動で筋繊維が剥がれていくとか、そういう映画的な効果が出ないように祈る。フィギュアは段々と形になってきた分、余計に気が抜けなくなってきた。良い刺激だ。
コンビニを2軒まわってカードゲームを調べていた。イラストなどの仕事を受ける事が出来ないか調べる為に、会社を知りたかった。バンダイとコナミとブシロードとタカラトミーの名前を見つけた。そのなかでもモンスター的造形を必要とするものはタカラトミー以外の会社に見えた。あとはそれらの会社が、どこに委託しているかを調べれば良いのかな。そこからあやふやなんだけど、以前調べたときはどうもイラストの仕事をしている方々はもともと社員だった人が多いように見えた。カードイラストを卸している会社があれば、その名前は有名になっていると思うんだけど見つからないし、恐らく個人契約がメインなんじゃないか。その場合はやっぱりカードの販売元に電話を入れて、作品見てもらって、っていう順序になるよな。やっぱり直に行かないとダメかも。そうそう、休んでいる時に「なんかもう自分で企画販売とかした方がいいんじゃないの?」みたいな甘い妄想をしていたんだけど、あながちそうならざるを得ない状況になるかもしれなくて期待と恐怖が半々。
BSのNHKで彫金の特集をしていて、明治の人だったかの作品があげられていたんだけど凄かった。なんかもう意匠をグッチャグチャに詰め込んでる巨大な香炉で、正直グロテスクなところまでいってる上に意味がよく解らない作品になっちゃってるものだったんだ。ただ、細部のぎりぎりのところまで気を抜いていない造形には深く感心した。遠目から見てグチャグチャで、近目で見てゴチャゴチャで、細部を見て繊細で大雑把になっていないその気の配り方は感服の一言だ。美は細部に宿ると聞くけど、美じゃなくて心使いを感じているんだな、あれは。ぎりぎりまで表現し尽くす姿勢を忘れていた。どこまでも丁寧にすることで、結果としてみる人の心のどこかに響く。また、歴史ある彫金だったから伝わりやすかったのかもしれない。長い間使われてきた表現だから、少し違うとアラがすぐに分かってしまう。だから細部まで表現し尽くす。それによって本質に近づこうとしていたのかもしれない。俺もまた丁寧にやることをおろそかにしないようにしたい。
まぁ、その巨大香炉はめちゃめちゃフィギュア臭かったけどね。表現はとても勉強になった。
11/8 就職口を探す。大学に向かい昔あった求人を片っ端からあさった。見ないよりずっとマシ。しかしいよいよ作品もって連絡とって直にあって話をしなければならなくなってきそう。ポートフォリオも作品も随時更新していくのは、それはそれで面白そうなのでアリだと思う。
以前連絡を取った会社が有償ボランティアで参加させてもらえるそうなので嬉しい。
風邪を引いたかもしれない。体調を早く戻さなければならない。
11/9 風邪を引きそうだったので、パブロンを飲み強制的に沈静化。ニンニクのホイル焼きとネギとショウガのみそ汁をたらふく食べ、水分をよく取り、ひたすらに身体を温めていた。ようするに布団にずっと潜っていた。良くなりそうだ。
有償ボランティアの詳しい内容を聞かせて頂いたので、より安心してむかえられそう。
2012年
1月
27日
金
過去俺
11/4 zoo団フィギュアの手入れ。リューターでごりごり削る。目の彫り込みも試してみた。思っていたよりかはキレイに削る事が出来た。白目と黒目、塗装で分けるにしても実際に凹凸が表現されていれば見栄えがするはず。焦らず、ちゃんとした処理をする。でもなるべく早く仕上げたい。粉塵が非常に細かいので、マスクとゴーグルをして作業していたけど、一々やるのがちょっと億劫だ。でもやらないと苦しくなるので、準備はしないとダメだね。
さてダイソーの石粉粘土も試しに削ってみたんだが、ダメだった。まるで粉を吹き飛ばすかの様に、ドンドン削れて崩れてしまうわで細かい表現はできないと分かった。固まれば少々違うかとも考えていたが、もともとのひっつき具合が弱い様で、細かい表現には向かないというのが身に染みた。コレは完全に練習用の粘土になる。あまりにももろい。かわりに練習用となれば、コストパフォーマンスは高い。また買いにいくとしようかな。
今日は起きた時、大変良い夢を見ていた。夢の中で赤ん坊を抱いていた。泣いてばかりだったので、何とかあやしていたら、機嫌が良くなって笑うようになった。またその光景を、学生時代の友達が微笑みながら見ていた。そしてその友達といくらか話したら、私は赤ん坊をその場にいた誰かに預けて、大きな通路が幾つもある建物に向かった。その建物は、友達がいる場所につながっているものだった。どうやら粉塵を用いた武器を使って、侵入してくる奴らを撃退するらしい。通路は建築現場の様なすき間だらけのものだった。私は一発目は成功させる事が出来て、また建物の奥に退いた。すると、別の友達と会って何があっても被害を出させないと、互いに激励し合った。その友達と別れ更に退く為に走り出したところ、急につまづいてしまった。つまづいたところは風景が見える露出した通路で、赤ん坊と友達がいたところが一望出来た。光に埋もれて良く見えなかったが、未だ荒々しいことは起きていないようだった。また走り出そうとしたのだが、うまく走れない。それどころか身体がふわっと浮かんでいく。後ろを振り返ったら侵入者である大きな生き物の口に、私のへそから下が噛まれていた。何か抵抗をしたとは思うが、そこで場面が切り替わってしまったので、それ以降どうなったかは分からない。でもあの赤ん坊をあやしている時と、それを微笑みながら見ていた友達を見た時、本当に幸せな気分だった。彼らの為に、私の生を捧げようと心から思えた。最高に愛おしい気持ちをもらえて、何の不安もなく何のてらいもない剥き身になれた。本当に良い夢だったのだ。
11/5 今朝は悩ましい夢を見た気がする。昨日ほど憶えていない。
zoo団フィギュアに粘土盛りつけ。形をつめつつ進めているので、明日には身体の芯を作る。ガッツリ削ってこってり盛って、表面は美しくするのだ。ダイソー粘土をまたいじってみるも、なかなか上手くいかない。ちまちまと盛っていっても上手くいかない。大きく盛って、グイグイ粘土を動かした方がいいのかも。あと針金を芯にして乗せていったら見事粘土を貫通したので、それに関しても考えないとダメだな。太い針金に細い針金をぐるんぐるん巻けば、粘土が乾燥してもネジのような役割をしてくれるかもしれない。そうすると長期的な制作になってしまう。まぁ、それもありか。慣れないうちは。
でもザッザと作りたいんだよなぁ。ベタベタベタベタっ!グニグニ!シャキーン(完成!)みたいな、手早い事がやりたい。ダイソー粘土は大まかな事にむいているから、ザクザクとした荒々しいタッチで面白くしたいんだけど…。いかんせん乾燥が遅めでグニャっちゃう。そこも含めた粘土さばきが必要ってことか。
昼食兼夕飯はインドカレーだった。美味いんだコレが。甘口から普通の辛さまでしか食べれないけど、たっぷりしてて味わいがあって。やっぱりああいう料理は好きだなぁ。海老名には中華料理屋があって、そこの味付けが中国の地元そっくりらしい。実際に中国へ行った事はないから分からないんだけど、そこもどっしりとした味付けで俺は好き。倉見にはイギリス風のパブがあるんだけど、そこの料理も気取ってなくて美味しい。どれも自分で見つけたお店じゃないけど、食べるのが楽しみになる店ばかり。インドカレーと中華料理屋は本場の人達がやってて、ヒンドゥー語?と中国語(どの地方かはわからない)でやりとりをしているのが見れる。ああした光景を見ると、何言ってるか気になってくる。気になるなぁ。
11/6 zoo団フィギュアの手入れ。雨だったので、盛りつけるだけになってしまった。ちょっと削ったけどあまり効果的ではなかったかも。身体も、針金を芯にして粘土を盛った。芯には2種類の針金を使ってみた。巻き付けて粘土を保持出来るか実験だ。多分大丈夫だと思う。そして頭部の重さがきつめになってきてるのが不安だ。やっとポージングについて思いを馳せるようになってきた。安定自立したフィギュアを渡さないと。台座を作り心棒を通して固定する方法で考えた方が良いかも。どんな台座かねぇ。
動物の名前をひらがなで平面的に配置とか。本人のイニシャルとか。zoo団の文字とか。本人を象徴したモチーフとか。今の頭ではこんなところか。本人のイニシャルあたりは良いな。動物をアルファベットでイニシャルでもいいか。
ダイソー粘土を買いに外に出たら、立派な曇り空だった。暗いのと夕方あたりだったせいか歩いている人をほとんど見なくて、ちょっとした別世界のようだった。車はボンボン走ってたけど。どこか重い空気、だんだんと活力がなくなっていくような世界の色。ただ、そんな時に「まぁいいだろう」と思えたのが不思議だ。いつかは晴れるからだろうか。天気は晴れても自分の心は晴れないと、どこかでそんな事を聞いたような気がするが、今日はそんなことを気にする事がどうでも良くなるような心地だった。自分の好きな時に好きなように動いたからだな。
この間友達と会って話した時に、モンスター系のイラストは需要あるぜ的な話を聞いたので色々調べてみたけど、ネットじゃ分からんかった。なのでコンビニをちらちらと見るようにしてみる。その後会社を特定する。
カードダスの販売機が欲しい。昔のやつ。調べたけど新しいタイプのものしか見つけられなかった。昔のはガシャポンのみ見つかった。ポストカードをそうやって売れたら面白いかと思って。ガリガリ回して、むりむり出てくるのって嬉しい。俺が。
2012年
1月
26日
木
過去俺
11/1 今日は仕事とアルバイト探し。してみたところ面白そうなところがあったので早速応募。以上。さささ、明日は少し立体を進めないとね。
11/2 立体をまた削る。今日はこの間買ったアダプター付き電動リューターを使った。ビットの付け替え方に手間取ったが、試運転を済ませた後ちゃんと使う事が出来た。一番最初に動かすときだけ30分ほど空回しさせないといけないらしく、モーター音を聞きながら待っていた。そうしたらなんともそのモーターの駆動音が可愛らしく感じられてきて、車やバイクが好きな人の気持ちがちょっとだけ分かる気がした。空回しは一番最初しかしなくていいせいだろうか、小さくキュィーンと音を鳴らしながら小刻みに震えて全速力で回っている事がとても健気に見えてきた。なかなかこんな気持ちになる事はないので嬉しい。
そして削ってみたところ、大変な勢いで削る事が出来るのはやはりアダプター付きの強みだった。また精密に削る事が出来るんだ。高速回転でも手元がぶれないから細かく面を整える事が出来る。なめた気持ちで使ってみたが、完全に予想を裏切られていい気分だ。良いものを買った。
ダイソーの石粉粘土でまたちまちまとやってみた。しかし、この間ヘルボーイを作ったときのように上手くいかなかった。なぜか。細かい装飾を入れようとしたからだ。水を吸いすぎてベチョベチョになり、非常に作業しづらかった。確かに細かい造形も頑張ればいけるだろうけど、あまりにも柔らかすぎてかえって作業が長引いてしまうと思う。なのでとりあえずヘルボーイのときの様に、ザックリとした盛りつけを練習する為のものとして当面は扱う事にする。量感とか空間の作りかたとか、そういったものをさっさと作るにはもってこいだからだ。あと大きい造形物を作るときの、基本的な下地とかには有効だと思う。上からファンドとか、練りの強いものを乗せられればヘラで細かく作っていけるし。結構使い勝手は広がっていきそうだ。
あれかな、さっさと作るときも骨組みを作る癖をつけないと。針金をグルグル巻いてやったりするらしいし、グイグイと試してみたいな。頭ばっかり増えていっちゃう。
暴走族のバイク音って、もう遠くから聞こえてくるだけになってきてる気がする。それで徐々に小さくなっていって、「フワッ」と消えるからなんだか幻聴を聞いていたような気分になった。本当に暴走族って夜に走っているのかな。亡霊とかじゃないよな。
11/3 今日は友達に誘われてカレーを食べに行ったのだ。しかし時間が空いていたので、かねてより気になっていた「カウボーイ&エイリアン」を先に観に行った。多分アレは色々と政治的な匂いも出しているんだろう、評論家はそういうところを見逃さない。しかし俺はそんなのは二の次で良い。「カウボーイ&エイリアン」て。なんで今時カウボーイなんだよ、カウボーイとエイリアンが戦うとか明らかに外れを狙ってるじゃないか。
こういうのが良いんだよ。面白かった。カウボーイの主人公が、すごく良い印象の所だけ抽出したような感じでもう満足。もう、「カウボーイとエイリアンが戦うだけで最高にかっこいいじゃないか!」みたいな直情で単純な思考をビシビシ感じられて大満足。だってホントにそれだけなんだもの。そんでカウボーイがカッコ良く見えてきちゃうんだから大成功だよ。終止ニヤニヤして観てた。ハリウッドの映像技術は最高峰なんだから、こういう阿呆みたいな映画をバシバシ作ってもらいたい。阿呆みたいに楽しむから。娯楽はそれでも良いじゃん。最近ちょっと考えさせるような傾向のもの多すぎ。意味深すぎてわけ分からんから。映像でもうわけ分からなくなってんだから、ストーリーと展開くらい単純で良いのに。俺も「侍対鬼」とか作りたいわ。
それで3人でカレーを食べたわけなんだけど、いやさっぱりしててもたれないわ良い香りはするわで素晴らしいものでした。お店はむちゃくちゃに狭いんだけど、そのぶんマスターとお客さんの距離を近づけざるをえないので、話題に事欠かないこと。マスター自身も話すのが好きな様子で、色々とお客さんからの話を振ったりしてくれるので、大変に賑やかで暖かい空間を味わえた。俺ああいう店好きだ。
さらに飲み屋へ行ったわけだが、そこもまぁ美味しいものを頂きました。梅酒の数が豊富で驚いたんだけど、飲んでうまいのな。梅酒ってベタべた甘くて品のない味のモノしか飲んだ事がなかったんだけど、味のバランスを崩さない甘さでよろしゅうございました。水割りで頼んで全部飲んでも平気だったんだけど、時間が経ったら少し「ウゥ…」となったので一杯で十分だね。そして3人での話がまた止まらない。あっちこっちに話が飛び火していくんだけど、それが面白くて。なんとも幸せな時間を過ごせた。優しい友人と知り合えて本当に良かった。色んな考えも聞けたし、聞いてもらえたし、どんどん話してくれる。それが嬉しい。今日の夜は寒かったけど、なんだか暖かいまま帰れたよ。心の熱が大きくなった。また冷え込みそうになったら、頼らせてもらうね。そちらも冷え込んできたら、俺から誘わせてもらうよ。今日は実にいい日だった。
2012年
1月
25日
水
過去俺
10/29 今日は歯医者へ。少しでも痛いと麻酔をしてくれるようで、助かるやら複雑な気持ちやら。痛みに耐える事が出来なくなってきそうで。痛くないのは歓迎です。そのあとそば屋へ。鴨せいろって美味しいんだな。初めて食べたけど、満足満足。
ダイソーの石粉粘土を使ってみた。ある造形師さんの「ラク造」ってのを真似しようと思ったので、試しに使ってみたら意外に使いやすかった。ちょっとパサパサしてる感じがあるけど、水を含めればすぐに柔やわになってひっつきやすいので驚いた。少ししか使えないんだろうなぁくらいのイメージで買ったけど、ちょっとサクッと勢いで作る分にはちょうど良かった。作品には使えないっぽい。水を吸いすぎるので。
10/30 コミティアへ行ってきた。といっても友人との会話をあてにしていた。最近元気が出ないので、人と会う事で得られたら良いと思っていたのだ。結果は良かった。彼と話すと相談のような愚痴のようなことがポロポロと出てくる。仕事で疲れていた上に一睡もせずに会場に来たとの事で、眠ってりもしていたのでその友人ともよく話していた。それもまた良いものだった。
あー、何を書いても思ってもすっからかんなことだ。頭が固くてしょうもない。
10/31 最低な発言をした。それに尽きる。俺が生きて関わってきた、今まで協力してくれた人々への裏切りだ。そして両親へも。本当にどうしようもない。
自分のやりたいことを素直にやらず、人が考えて発した一言へ全ての責任をなすりつける。自分が常に誰かに動かされていると思わなければ保つ事の出来ない自我。自分は何一つ進んでせず、一言をただ待ち続け、動き、その苦労を語り、一歩を踏み出させてくれた人へ感謝をせず、自分はやりたくてやっているわけではないと愚痴を言う。人に心配をさせておきながら、アドバイスをくれたらそれを罵倒するとは、そのおぞましさを表現出来る言葉はない。
こんな事を言ってはいけない。悲しく、恥ずかしい。ただの当てつけだ、こんなものは。自分が泣かずに人を泣かせてどうする。自分の為に泣くのは自分だけでいい。なるべく、なるべく進むようにしたい。
どうしたって自分の中にある感覚は消え失せる事はない。未だに自分の経歴は、周りの人間の采配で決まっていったように感じる。自分の実力なんてものは見えもせず、評価もされていないように考えていた。ただデッサンだけは、あの予備校時代に毎日作っていったデッサン、平面、立体だけは周りの人間が一切を画策し、介入していない実感があるのだ。それ以外は全て、学年の進級も、高校の入学も、大学の合格も、成績のつき方も、作品の評価も、周りにいた人達が動いた事で、自分で勝ち取ったものではないのだ。協力ではなく、俺に知られないようにやっていたと妄信している。妄信なのは解っているのに、そう考えなくてはいられない。自分のしてきた積み重ねに価値を見出せない。どうしても褒められない。認めたい自分がいるのに、頑にそれを拒否する自分がいる。面白いと思っても、かならずアラを探してそこを重点的に見るようにしてしまう。どうしても自分を弱く弱くしておきたいのだ。
もっと素直に笑いたい。怒りたい。泣きたい。喜びたい。叫びたい。
良い思い出も悪い思い出も、抑圧していって思い出せなくなるのは嫌だ。ちゃんと感動したい。ぐらぐらと心を動かしたい。胸の中心が重くてしんどいよ。でもほどけないんだ。今も文章を書いてほんの少しほどけたけど、時間が経ったら元に戻ってしまった。前よりも固く重く殻を形成していっている。打ち壊してしまうにはどうすればいいんだ。俺にはわからないよ。
2012年
1月
24日
火
過去俺
10/26 今日は寝覚めが悪かった。どうにももやもやとしたままで、スッとしないものだ。先日は実に目覚めが良く快適に過ごせたものなのだが、何が違うのか色々と巡らせたところ、コレじゃないかと思うものがあった。おそらく、精神的な負荷のかかり具合によるんじゃないだろうか。目覚めが良かった前日は自画像を作り終えた。これ以上は今どうにもならないと思ったので止めたわけだが、1週間以上は延々と毎日続けていた制作物だ。あまり意識していなかったが、やはり作っている間の意識の張りつめ具合などは多少あったのだと思う。それからブログに書いたり、ツイッターのアイコンにしたりと出しもしたので、それによって気分が高揚したのもあるだろう。昔おもちゃを買ってもらって延々と遊んでいたときのような高揚の仕方だった。また、一言だけ友人から感想を頂けたのも大きいだろう。これによって顕示欲も満たせた。自画像制作期間分の充足を得られたのだ。その充足感と制作によって張っていた意識しない緊張がゆるんだことで、たっぷりと寝られたのではないだろうか。
一日を楽しんで過ごせばぐっすりと寝られるのかもしれない。そうだとするなら、寝覚めが悪い時は、前日を楽しんでいなかったことの証明とも言える。まぁだからといって、今の状態で本意でない楽しみ方を自分に強要するのはよろしくない。しかもそれを嫌がる内からの声を抑えてしまっているのに気づけないことは、悲劇だ。裏の自分表の自分、建前の自分本音の自分、そういったものはないと思うけど、嫌がる気持ちは大切にした方がいい。
小さい凸凹を見つけるのにはグレー色が良いので、粘土に絵の具を混ぜようとも思ったが微妙な色の差が出てしまうので保留。色付きの石粉粘土を探したけど、えらく少量で高価なので却下。今のところ下地吹きに頼らなければならない。なので下地吹きの為の箱を製作中。ダンボールの空き箱の内側にプラ版をビッチリ貼るのだ。そして利き手が右手なので、それに合わせて奥行きを変えようと計画中。また箱が完成すれば、塗装ブースとしても使う事が出来る。
エアブラシを父から譲ってもらった。ことになるはず。俺しか使わないから多分それで合ってる。ともかく手に入れたわけだが年代物だ。会社から持って来たと聞いたが、入社当時からあったというから30年強は経過している。しかし本体はきちんとしまわれていたのと手入れがされていたおかげで、サビなどは見当たらない。径の合うチューブを買って、試してみたいものだ。そのためにはコンプレッサーも必要となる。模型店に話を聞いておこう。
ちょっと前にHOTTOYSとThreeAの原型制作とかを調べたんだけど、香港の人とか韓国の人たちなのはビックリした。てっきり「デッサン=欧米人」なイメージだったんで。思い込みとは恥ずかしい。すげぇなぁ、そういった造形で成り上がっていってるのは。造形でフィギュア界隈の勢力というのがどんな区分けになっているのかが、少し気になったり。しかしなんとも独特な世界があるものだ。人の為す事って傍観してる分には面白い。
明日ちょっとした用事があるせいか、文章が固い。これも緊張しているせいなのかな。
10/27 無事用事は終了する事が出来た。のだが、両親はちょっと不安があるらしい。不満ともいうか。自らを有利な立場から外していくのはいかがなものかと言われてしまった。ぶっちゃければアルバイトと正社員の差な訳だが、確かに正社員を受けない手はない。受かる事が出来れば、とりあえず月給は確実にもらえるし、仕事にも確実に入れてもらえる。アルバイトの場合は残念ながら人手が欲しい時に呼ばれる程度だ。もらえるお金も人と接する機会の多さも、正社員の方が圧倒的だ。
じゃあなんで自分はアルバイトの方を受けて正社員のほうは受けなかったのだろう?受ける時はその会社に対して真剣に身を捧げないといけないと思っているからだ。だが、そういった考えを持たずとも良いと言われた。もっと柔らかく普通の理由で良いと。○○がやりたいから、好きだからここで働いてみたいと、そういったことだけでいいと。ご大層な忠義心や信仰はいらないらしい。確かにそうなら助かる。でもうまく言えないんだよな。
好きと言っても気が狂うほど好きなわけでもない。楽しくやっているから好きなのであって、他に特に理由はない。あえてあげるなら「いいじゃん」の一言が向けられる事が多いからそれをやっているのだ。今までのその一言が、本意だったか不本意だったかは知らないけど。他に大層な理由があるわけではない。だから困ってるんだ。好きだからの一言を分解するだけしていったら今の状態になった。言いたい事は「注目を浴びることができたから、良いじゃんの一言をもらえたのがそれらだったから」しかない。それを役に立たせられないかってことなのか?もやもやするなぁ。
どうしようか。とりあえず正社員募集の方も話を聞かせてもらうか…。
10/28 材料の買いたしと道具の購入。ついに電動リューターコンセント付きのものを買った。とりあえずこれで電池の買い替えの心配は薄くなった。コンプレッサーのほうもなんとかなりそうだ。もうちょっと調べて安く買いたい。
アイリッシュパブに連れられていった。思っていたよりもずっとのびのびと過ごせて、静かで実に居心地の良い所だった。店主も優しく、お客さん達も和やかで平和なところだった。ちょっと元気出た。
スーパースカルピーとかで似顔絵ならぬ似顔像を速攻で作れないものだろうか。乾きの早い粘土を探してみる。
2012年
1月
23日
月
過去俺
10/23 自画像もいよいよ終盤に近づいてきた。肌の色の調整は見た感じ良し。しかし艶や透明感が無いので、最後につや出しジェルとつや消しジェルを混ぜ合わせて塗る事にする。髪の毛は意外と早く終わりそう。ランプブラックをクリアジェルで上から塗れば、下地にどんな色が置いてあろうとも調整が出来る。そしたら公開だ。
他のものも進んでいる。といっても削っているだけが多いが、なかなかバランスが取れなくて難しい。削っては下書きをしてまた削る。その繰り返しだ。でもおかげで下書きのイメージがどれほど重要なのか、うすらぼんやりと分かってきた。そして面割りの時が楽しい。どんな立体ならイメージ出来るのか分かるからだ。削りながら形を探るのも面白い。こんな面にして、暗い部分はもっと深く掘ってしまおうとか、その場で色々考えて実行出来るのが良い。立体は良い。その分手間と時間がかかるけど、それは数を重ねていけば短縮出来ていくだろうし。
ただ下書きとか、絵を描かなくなってきたのが問題だ。ちょっと無理矢理にでも描いた方が良いかもしれないな。テーマもそこらへんから浮かんできたらメモしておいて。
10/24 自画像立体、完成。ついにというかやっとというか。肌の質感はもう今はこれ以上無理。道具を新しく買わないとダメっぽい。ガッシュと筆で出来るのはここまでのようだ。
でも結構良い感じだ。なかなか見応えある。気に入ってるよ。造形がアレな分、塗りに徹したもの。似てないけど。正面から見ると片桐はいりっぽい目に見えるんだ。俺と片桐はいりの共通する部分ってことだな。シミも黒子もムラも毛穴も描いたんだもの。ちょっと不思議な生々しさが出てるのが嬉しいね。笑える。自分とにらめっこしてるみたいで、笑えて若干イラッとくる。こいつ可愛げねぇなーって思える。それが良い。
ガッシュはキチンと効果を発揮するようなので、これからも信頼がおけることがわかった。どうも印象として、仕入れた知識は基本的にプラスチックモデルの可動するものを塗装する場合に限っていたようだ。まぁ情報として仕入れやすかったのもあるわけだけど、塗装はそんなに難しく考えなくても良いかもしれない。しっかりした下地があれば、問題なく塗れる。溶剤の関係で剥がれやすくなったりするのもあるけど、それは順番を守って塗装していけばそこまで怖くない。ただ、道具は持っておいて損は無いということか。無いと出来ない表現もある。
造形に関しては、首からおざなりになっているのが問題だな。ちゃんとまとめる事が次の一歩になる事は間違いない。それに関してはまた別の機会で着手する。とにかく、やっと終わった。終わらせる時がいつも怖いけど、手を加えなくていいやって思えるのは気分がスーッとしていい。ぐっすり寝られそうだ。
自画像、次作る時はもうちょいキレイにまとめるぞ。面白い造形の別のアプローチをしような。
10/25 マスク軍団の粘土盛りつけ。今日は大変暖かい一日で、日光もさんさんと降り注いでいた為、粘土は非常に乾きやすかった。まだまだ形が安定しなさそうだが、もうちょいで決まりそうな感じもする。明日削ればまた違う感想を得るのだろうが、今回はあまり時間がないので早めに形は決定するつもり。晴れが続いてくれれば都合がいいんだけどねー。
「やる夫の魔王の道」というスレッドを弟から教えてもらったので、昨日今日にかけて見ていた。ところどころ抜けているとも思ったがそんな事はどうでもよい。作品の熟成のさせ方が気持ちのいい作品だった。既存のキャラクター達が演じる役は、どれもこれも心地良いバランスで嫌みがなく、またそれぞれの持ちネタというか原作ネタなどを必要としないほど使いこなされていた。展開の順序もよく考えられていて、全体に作者の意図が散りばめられ、計画と計算を妥協しない作品となっていた。元は自分が昔描いた脈絡も無いストーリーだったらしく、それを練り直してスレッドとして公開したとのことだった。
何より、自分の理想とし納得するエンディングに落とし込むまでの研鑽を後書きで描いていたのが非常にためになった。練りに練った形跡をおしげもなく見せるというのは、懐が広い。自分の望むエンディングにとどまらず、納得出来るまでに要素を削ぎ落として継ぎ足して形を出すと言うのは、なかなか難しい。やはりただの自己満足で終わってしまう事が十分にあるからだ。特に私は、自分を無意識のうちに抑えるくせがついていると未だに思うのでこころしておきたい事だ。そんなわけで大変心にしみた作品だった。
あれやりたいこれやりたいと、言葉にするのは簡単だが言葉にした時点である程度自己満足出来てしまうので、言わないようにしている。未来への展望などを語れるだけの野望があればそれも良いと思うが、あいにく言葉にするだけで満足出来てしまう程に私は飽きやすい。なので一旦秘めておく事にする。中身には何も無いかもしれんけどね。
2012年
1月
22日
日
過去俺
10/20 自画像の手入れで、肌色の塗り重ね。今日は良く晴れて日光がさんさんと降り注いでいたので、参考画像の自我撮りもした。写真では赤みが強く見えたので、それに近づけるように塗っていった。そして夜に蛍光灯の元で見ると、どうにも赤すぎる。たしかに人肌っぽいけど、白色人種の赤みがかった顔の様で、いつもみてる自分の顔と違う。もうちょい黄肌っていうか、茶系の明度が高い色の気がする。グリーンがもっと混ざってくるんだろう。蛍光灯の光とカメラの光補正って似てるのかな?でもいい感じに境目がぼけてきたので、また上から重ねれば良い下地になるのではないかな。
髪を切りにいった。色んな話をしたけど、昔友達に占ってもらった自分の絶頂期のあたりの家族関係がちょっと嫌だった。美容師さんの友達も占いをしてるそうで、俺と美容師さんは同じような星なんだそうだ。星が同じだと、大体の流れが同じようなものらしく、紆余曲折の時期があると。それで曰く「大事なものと交換」して花開く星だと。そこで俺の絶頂期の年齢と、親の年齢を計算すると父の寿命が来るんじゃねぇの?って感じのヘビーな予想がたった。もしくは母かもしれんけど。でも男女の平均寿命は男の方が短いのでこれ「JACK POD!!」って感じなんだよね。まぁどんな未来かは分からんし、占いなんて本気にするかよ(笑)みたいな考えもあるけどさ。ちょっと「うぉ…」みたいに沈んだ。まぁ、明日には忘れてるさ。
他のフィギュアも手入れ。といってもザックリ削っただけ。また盛り盛りしないと、形も出来ない。早く仕上げたいけど、手は抜けない。
10/21 天気は曇り。雨は降らない程度だが、日光は分散されて影と光が曖昧になっていた。
自画像の肌色を塗り重ねる。昨日の思惑通り、緑を混ぜてほんの少しだけ明るい部分を作ったところ、かなり肌っぽい色になった。天然光でも蛍光灯でも、そんなに差が出ないくらい肌っぽくなった。口の閉じた線や鼻の中の影など、ビッと暗いところに色を置いたのも効果が出ていると思う。あとはシミとかムラになっている肌色をチョチョッと付ければ、もっと良くなるのではないか。更に描き加えていくということになる。
しかしもっと肌の透明感が出るような事が出来ないものだろうか。特殊メイクでは透明レジンを内側から塗装するらしい。透明レジンに明るい色を混ぜて、塗装で影色を乗せるか。逆に影色を混ぜて、明るい色を塗装するか。考えられるな。
塗装の練習でガシャポンのものを塗ってみるか。
10/22 天気は雨。といっても夕方頃には止んでいた。
自画像の肌色の塗り重ね。いよいよ難しくなってきた。色味はそこまで問題ないと思われる。しかし刷毛痕がネックになるようだ。上手く使えば肌っぽく感じるのかもしれないが、どうしても違和感が出る。シミや色のムラをチョチョッと付けてみたところ、なかなか良い。コレは正解のようだ。しかし、毛穴というかそういった凸凹を感じさせるにはもっと小さな点として色を乗せないとダメだ。突つくように、一本の毛先についた絵の具を移していく。やってみたものの、筆の先端の形が出てしまったり、ちょっとだけ色が広がってしまったりと、なかなか思ったようにいかない。時間がかかるなぁ。エアブラシを上手く使えばそういった事も出来るのだろうか。ドライブラシのような要領になるので、毛自体は頑丈で固く、穂先は短くまとまっている筆が欲しくなった。
髪の毛にも色を乗せ始めた。茶と青をクリアタルゲルで溶かして乗せていく。髪の毛は下地が黒のラッカーになっているのだが、絵の具を乗せていった感じでは好調なスタートだ。肌とは違う種類の透明感を出せるかどうか。
ああしかし本物の肌の様にしてみたい。絵の具で塗っているレベルとしてはそれなりだと思うんだが、やっぱり絵の具止まりになるんだな。「え?偽物?本物?」みたいにさせるにはまだ足りない。
しかし、この「作る行為」っていうのはふとした瞬間なんとも本末転倒な気持ちを持つ。ただ感傷的になり、矮小さを勝手に感じ、自分の中で大きくなった無力感におびえているだけなんだけど。在るような無いような、フワフワと形にならない。定義したりされたり、型にはめれば納まるようなもの。自分に意味を求めて、それが通用する場所を探し続ける。ただただ漂い続けていくような気がする。言葉も行動も何もかもがあいまいな流れに身をまかせて、次第に身は溶けていくのだ。
2012年
1月
21日
土
過去俺
10/17 今日起きたのが10時頃だったのだが、急に親せきの人達が来る事になっていて、その準備を手伝った。といっても料理は母が全て担っていたので、私は人数分に足る食器を洗い、大人数座れるように机を引っぱり出し、出来た料理を片っ端から運んでいくということをしていた。前日に連絡があったり、朝一に連絡があればもう少しは余裕があったのだろう。時間がない事で、滞っていくおそろしさを久々に憶えた。それにしても母の料理の手際は目を張った。コンロを全て使いながら次々と新しい料理を作り出していたあの速度は、熟練者の凄みがあった。最大限の力を発揮している姿は、どんな状況だろうと素晴らしいものだというのを見る事が出来た。
そうした速度を保ったまま、10時頃から16時頃まで続いて、親せきが帰路につくとさすがにへろへろになっていた。母もさすがに堪えたようだったので、シュークリームを買っておいた。あの人は甘いものを食べるとものすごい元気になるので。私はすぐに昼寝をした。起きたあともまだ疲れのアクが抜けきっていない様でちょっとダルかった。
そんな一日でまったく作品には手が回らなかった。時間を作ってちょっとづつやるべきだったんだけど、さすがに無理でした。でも、もともとやることを決めていれば、手が入れられたとは思う。ので、やっぱりカレンダーにちょっとづつ書き込んでいくのが良いね。最近やっていなかったけどまた書き込むようにしよう。
10/18 ラッカー系塗料を使って、地色を塗ってみた。感想として、ラッカーの上にアクリル、その上にエナメルを塗るというのは大量生産に向いたやり方なのではないかと感じた。また、プラモデル向けのやり方でもあるようだ。
ラッカー系塗料は、シンナーで薄めたものの想定以上に色としての濃さがなかった。扱った色の問題と、混ぜたシンナーの量もあるだろうが、均一に塗りつぶすという事にラッカーは強くないという印象を受けた。肌色を塗ったとき、下地材として吹いたグレーが強く出てきた。筆はかすれなかったものの、色が薄くなっていた。これは下地材の色のミスでもある。しかし逆にいえば、数多くの色を乗せて複雑な下地を作ることができるということだ。ガッシュでの平面構成と似たような感覚になった。
それから単色だけで塗ったのだが、非常に単調な色味だった。混色は必然といっても良いくらいだ。実に稚拙な色で、計画していても心配になるほど。でも上に書いたように、ちまちまと様々な色を重ねていく事が出来そうなので、奥行きと味わいのある色味を出す事は出来そうだ。エアブラシで全体にフィニッシュの色味をうっすらと乗せるのがいい感じかもしれない。
黒は相性が良かったのか、しっかりと塗る事が出来た。そのぶん下にある色を完全に潰してしまうため、扱いに悩んでいきそうだ。
それから重ねていくと塗膜が厚くなると聞いていたのだが、確かにちょっと気になる厚みでもある。ただ、コレと同じ事をアクリルガッシュでやったと考えると、それよりかは若干薄いと思われる。手触りの問題もあるだろうけども。でもやっぱり気になるな。筆のあとも強く残っているし、本当に細かいディティールなんかは潰れてしまうような気がする。その分小さい凸凹を潰せるという事でもあるけど、あまり色を塗っている最中に別の事へ意識を向けてしまうのは後々面倒になりそうだ。
ただ塗料を大量に使うのがなかなか大変そうだ。皿もたくさん使わないとやりづらいし、筆をその度ごとに拭いて塗ることになる。塗料はドンドン乾いてしまうし、リターダーでも使うかな。うん、リターダーを使えば万事解決な気もしてきた。
例えば一品ものの場合、塗装は複雑な工程を経ても問題ないと思う。でも複数生産する場合、塗装は一定の品質を保ちたいから、できるだけ単純な工程を経るようにしたい。その場合、今日考えたようなラッカーで複雑な色味の下地作りなんかは難しいかも。まだ始めたばかりだから、実験をくり返すしかないけどもラッカーは今まで使ってきた絵の具と違う部分が目立つので、色々書いておかないと不安になる。
一色をベタで塗るのは良くないというのは、よく解った。でも下地の色を塗りきると、その部分の形が持ってる存在感がハッキリ分かるのでこれもありがたかった。ようは造形自体の存在感もキッチリと見えるから、なるべく一色で見栄えがするような形を考えられる。気持ちの良い形、色の映える形。立体になると違うもんだなぁ。
リアル・スティールという映画のCMを見たとき、何ともいえない心の動きがあった。技術とは、それによって新たな物語を生み出す事にもつながるが、同時に、過去に話を映像化する際に渇望されたものなのだということ。人が何か物語を伝えるために欲したものは、素晴らしい道具となるが、その道具を使って伝えたい事や生み出す事は、いつだって変らないのではないかということ。技術の進歩によって、より具体的に伝わるようになることで発想は貧困になるのではなく、想像するというのは切っても切り離せないものなのだと感じた。
唐突に、脈絡も無く思った事で、明日には忘れるだろう。書いている今も、その時の名残は消えていく一方だ。技術によって駆逐される事などないよ。いつだって想像の力は寄り添っている。技術はインスピレーションを与えてもくれるし、自分の思った事を形にするのを手伝ってくれる。生きていられる。そんな確信にも似た思いが今日、一瞬だけど俺の中で爆ぜたんだ。それを知ってくれ。
10/19 自画像に着色。今度はアクリルガッシュだ。ただし水で溶かずにペインティグメディウムとマットメディウムを混ぜて乗せた。しっかりと乗ってくれた上、ガシガシと乗せられるのはとても気持ちが良い。色を薄めることで重ねて塗る事が出来たし、それによって下地を生かす事も出来、味のある色味を出す事も出来そうだ。プラスチックとの相性はともかくとしても、石粉粘土とは合いそうだ。塗膜も分厚くならない。筆痕が残ってしまうので、それが気になる造形の場合はヤスる必要があるだろう。
ラッカーで下地の色を乗せたが、あまり効果的とは言えない結果となった。上に乗せるのが影色だったり頬紅だったりと、少ない色味となるならまだ効果はあったかもしれない。それでもやはり原色だけというのは無理があるが。例えばラッカーは、最終的に影になる部分に多数の色をおいておくというのが良いかもしれない。明るい部分はガッシュでかなり作る事が出来たので、基本色として乗せたラッカーの肌色は結果としては無駄になった。逆に影の部分はガッシュで一から作らなくてはならなかったし、一枚薄い基本色を塗るというのがその後になってしまってギクシャクとした手順になってしまった。スムーズにいくには、ラッカーで暗い部分のいたずらな色味を塗ってしまった方が良いと思う。
ガッシュでどうにかして肌の質感を高めたいと思うのだが、拙い筆さばきだけでは難しい。エアブラシを使って、柔らかな境界をいくつも重ねることもできれば、近づくとは思う。まぁ、筆で出来るところまではやりたいけど。あとはメディウムに可能性がある気がする。まだまだ色が足りないように見えるし、一日でいきなり満足いくようにはならないね。
そして今更ながらに髪の毛の造形があってないと思うようになった。無理やりな切れ込みとかブロック化は違和感が凄いし、形の自由度が低くなる。塗装も考えた造形を。
一日かけてじっくりと冷えてしまったようで、チクチクというかシクシクとした腹痛がある。鳩尾より10センチほど下だが、胃か腸かは分からない。まいった。痛み自体はたいした事はないんだけど、みるみる力が抜けていく。暖かいお茶を飲んでも治らず。とにかく暖めるしかない。何かしらの蓄積もあるのだろう。コレばかりは時間が解決出来るように労るしかない。
2012年
1月
20日
金
過去俺
10/14 明日が雨になるとの事だったので、粘土を練る予定だったものは練っておいた。そしたら夜中にザーザー降ってくるでやんの。まぁある程度乾燥してるし、気持良く作業出来るくらいには形になってるので問題なし。
塗装について色々調べたら、重ね塗りはエナメル塗料が良いとの事。あとアクリル塗料。どおりで以前Mr.カラーだけで塗ったらやりづらいなぁと思ったわけだよ。ラッカー系塗料って溶剤が強力みたいだね。メチャメチャ溶けてくんだもの。というわけでエナメルが必要。アクリルはガッシュがあるけど粒子がでかいからかざらつく。やっぱりアクリル塗料も試してみないと。電車に乗って買いにいくかなぁ。
10/15 塗装はアクリルガッシュでもいいみたいだ。ただ、メディウムを混ぜておかないと吸着力が弱いという話がちらほらとあるので、メディウムを買いに行こう。ついでにエナメル塗料も。
ポートフォリオで制作過程のページを作ろうと思って、画像の選出をした。それからざっくりと配置。文も書いておいた。しかし説明だけでも相当多くページを占めてしまいそうなので、バランスをどう取ろうか考えていた。するとただページ分けするのではなく、章を付けていかないとマズくなる気がした。画像を貼って説明をつけるだけでは分かりづらくなるくらいの量になりそう。ページの中で一つ一つまとめていければ上手くすれば3ページくらいで収まると思うんだけど。時間かけていくしかないね。今のところ、それなりに記録取っているのは卒制だけ。一応今作ってるやつも写真撮っておくか。こまめに名前付けて整理しておかないと、どれがどれやら分からなくなるから忙しそうだなぁ。飽きずに出来るかな。
今日は雨が降ったり晴れたりと、なかなか忙しい天気だった。ただ一貫しているのは風が強いということ。蒸し暑いのも相まって、台風の日のようだった。粘土はいじっても良かったのかもしれないけど、湿度がかなり怪しかったので今日は一切手をつけてない。
ふと思った事で、人型フィギュアの髪の毛や、例えば狼の尻尾などのふさふさした部分を、透明レジンで置き換えるのはどうだろう。深層に色付きレジン。その上に薄い色を付けた透明レジンとか。
髪の毛のさらっとした感じや、細かい毛が集まっていることでの透明感なんかは、透明レジンを使う事で結構表現出来る予感がする。やらないと分からないけど。逆にゴワゴワした毛はいつも通りそのまま削り出す事が良いかな。
10/16 トライガンのヴァッシュ・ザ・スタンピードのリボルテックを見つけたけど、買わなかった。リボルテックを改造して、漫画の1シーンを再現したいなぁと考えていたんだけど、切った貼ったをポリパテなどでやるのはしんどい。固くて時間かかかるし、よくよく見たらリボルテックのサイズが小さくてやりづらそうだったので。なので関節だけ買う事にして、あとはやりやすいサイズにしようかなと思わなかったり。
リューターについてボークスの店長さんにお話を聞かせてもらった。卒制の時にシリコン買ってから顔を憶えてもらったので話しやすい。カタログも見せて頂いたし、どんな差があるのか詰めて聞く事が出来た。造形村の電動リューターが重さもパワーもちょうど良さそうなので、もうあれにするかも。回転数を振れ幅多く調節出来て、ビットの径も規格のものが使えて、持ち手が軽い。長時間使えるし、決定かな。
エナメル塗料とアクリル塗料とメディウムを買った。楽しみだぜ。どうなることやら。
2012年
1月
19日
木
過去俺
10/11 本厚木まで付いて行ったので、ポストホビーに寄って色々と購入。ラッカー塗料と筆。それから、リューターのビット。リューターのビットは規格があるのを教えてもらい、いつも使っている会社とは別の会社のビットを購入して使ったところ、何の問題も無かった。だったら「これくらいの径までなら使えます」みたいな表示をしてくれよ。とも思ったが、ともかく使えるビットの数が一気に増えたのは助かる。より細かい作業なども出来るようになるのはありがたい。リューター自体についても聞いてみたが、歯科技工士の人なども模型用のリューターを使って成形するらしい。彫金用のモノはパワーが凄いかわりに高いとか。素材を幅広く使う予定が無いのなら模型用で充分通用すると言われたので、模型用のリューターに焦点を絞っていけばよさそうだ。良い事を聞いた。
エアブラシも見ていた。細かい塗装や、エアブラシ独特の味を出すには専用のものが必要なのだけど、私が持っているのは初心者用のもので限界がある。でまぁ、カタログを見ていたら高いのな。エアブラシ本体からコンプレッサー、エア調節器。使い勝手が違うみたいだし高い買い物になるから、こっちもよく吟味しないと。
10/12 自画像の下地の手入れ。凸凹が更に分かって、より精度を上げる事が出来るのを実感。これは一度病みつきになったら止められないかもしれない。ただ、元々へこませている部分や一段低くなっていたりする部分は先にやらないとダメかもしれない。となると一度形を作って、下地を吹いて精度を上げて、もう一度盛りつけという事になる。下地と粘土の相性が分からないから、上乗せするところに付いた下地材はある程度削り落とさないとダメかもしれない。やらないと分からないから、今は推測だけで終わる。
やらない夫の身体を考えるために、人体の骨格や筋肉を調べた。といってもビジュアル博物館と人体の不思議展の図のみだ。いやはや身体の構造は実に興味深い。ただ作るとなるとかなり複雑なので、尻込みする。「正確に」骨を組み上げて「正確に」筋肉を配置させていく必要は必ずしも無いんだが。でもやってみたい。骨に沿って筋肉を付けていってみたい。そういいながらも気が進まない理由は、やらない夫を全身作ってみようと考えてるからだ。
いやでも上半身だけでもいいかな…。でもそれだとなんか情けなく見えそうでなぁ。マッチョだし。腿までの参考画像だったし腿までは作ってあとは切っちゃうとか…。そこまで行ったらいっそ足の先まで作っても良さそうなもんだけど。悩む。とりあえず頭のざっくりした大きさは出しておこう。ポージングは針金とスタイロ使って、上手く骨格らしくしてみたい。
大学の求人欄を見たんだけど、なんでか元気を吸われる。何故かは分からないけど、求人票の一覧を見ると自分がしぼんでいく。萎縮していくのが分かる。未知のもの。というよりも、ひたすらに神格化された像がこちらを取り込んでしまおうとしているような。喰われてしまうような感覚。一方でそれらの感情は、なんて事の無い妄想と憶測が全力疾走しているだけで、実際経験しなければ解らないといった分析をしている自分もいる。裏表なのは承知しているが、心がどうしても拒否する。
似たようなのは浪人生の時にも感じていた。自分に足りないものが解らない。考え方と自分を取りまく世界は予備校内と受験だけで構成されていて、その他は頭に入れられない。フィルターがかかってしまって、弾いてしまう。
自分の密かに守りたい部分を、蹂躙されてしまう被害妄想。まわりがどうしても信用出来ないのだ。自分だけのエゴがすっ飛ばされてしまう事が本当に恐ろしい。最後の手綱のように思っているところは、本当に繊細で大事なように信じ込んでる。
実際は一番どうでもいい所。経験や記憶を積み重ねて、大事に大事に自分が装飾して、誰に見せても恥ずかしくない!と手塩にかけた自信作の部分。それが自分の持ってるプライド。見栄えがいい。それだけ。持ってると、まぁちょっとだけ箔がついた様に自分が感じるくらい。良い所見せたいんだ。良くない部分なんだけど。何を大切にしたいかを認識しておかないと、何もやらなくなる。そこを考えられるだけ、浪人生の時よりマシだ。
大学の就職課に相談しにいくけど、実際に興味のある仕事が何か、実感出来てないと就職してもろくなもんじゃないとは思ってきてはいる。だから卒業前より幾分かは建設的な話が出来るかもしれない。二言三言くらい。ただ、この人の元で働きたい!とかそういう妄信的な感情は持っていないので、そこが難しいかもしれない。それがあれば、まだ解りやすいんだけど。
10/13 大学の就職課に行ってきた。私の望む造形界隈は求人が少ないらしい。なので、会社と直接連絡してコンタクトを取っていくことになりそうだ。それでも、色々と相談する事は増えていくかもしれないので、定期的に行くかも。履歴書の採点もしてくれるというし、助かる。どうなるかね。
色んな人に相談出来ればしていきたい。新しく作ったりまとめたりして、つながりのある人達に見せるのはアリだと、今日就職課に行って思った。個人に見てもらえるのは難しいかもしれないけど、会社なら大きいし余裕もあるんじゃないだろうか。改めてちゃんとした作品集にしないと。
2012年
1月
18日
水
過去俺
10/8 歯医者に行ってきた。虫歯はなかなか減らない。歯科用のリューターについて話を聞いたので、それらを今度探してみようと思う。
青葉台に寄ったので、プラモデル屋を見ようとさまよったけど見つからなかった。地図に描いておかないとダメだね。そしてそれに気を取られて、エネループを買う事をすっかり忘れてしまっていた。リューターの電源はくり返し使える方が良い。めちゃめちゃ減りが早い。2、3日は持つけど、その度に新品の電池を買うのはお金がもったいない。くり返し使えるやつにして、節約だ。
今日はほとんど考えていなかったな。とても楽でした。
10/9 自画像の手入れ。ついに削りきった。事にする。なるべくおかしな凸凹は消したし、問題ないと思うので次は色塗りだ。プラモデルの塗料を使おうと思っているので、下地材を吹いてから基本色を塗って、アクリル塗装でいこうか。塗装は米子映画祭のミニチュアの時にくやしい思いをしたので、思いっきり生々しく塗りたい。
でもなるべく早く次の立体を作りたいな。同時進行は厳しいだろうけど。竜の完成がどんどん遅くなっていく。早く作りたいけど、もうちょいだけ場数を重ねてからだ。自信もって出せない。
10/10 自画像にプラモデル用サーフェイサーを吹く。まぁ、おまじないみたいなものなので、ノリ方には問題ないと思う。ただ、吹いたときの攪拌が足りなかったのか、ケースとして以前使用したダンボールに付いた下地材のカスなのか分からないが、とにかくちょっと大きめな欠片が付いた。削らなければならない。さすがの俺も髪の毛はトゲトゲした部分は無いので、そこはならさなければ。
気になっているアスキーアートのやらない夫の身体を作ってみようと思い、資料を探した。身体がボディビル体型に作られているので、ポーズの名前を知り、そこから良いと思った画像を拾っていった。そうしたら恐らくアスキーアートの元になっているであろう画像を発見。シュワルツネッガーだった。顔をシュワちゃんにするかやらない夫にするか悩んだけど、やらない夫に決定だ。見た事が無いからね。模刻チックなのはまた次の機会に。それから筋肉の形と名称と範囲を調べた。改めてボディビルダーの身体は難しそうだ。独特な発達をしているから、比較しづらくて。
ただ感心した。身体改造という言葉は確かにぴったりくる。あれは素敵に歪んだ価値観だ。筋肉に大して信仰すらしているようで、動画でトレーニング風景や大会映像を見ると実に気持ち良さそうだ。自信と信念が体全体から立ち上ってくるようにも見えてきた。日々変化し続ける自らの身体を愛おしく見ているのが伝わる。大事に大事に育てているんだな。中にはいきすぎて「なんでそうなってしまった」みたいな体型の人もいるけど、そのかわりに「ここまで人間の筋肉っちゅうのはデカク出来るんだな」というような感想も持てる。人より大きなカボチャをテレビで見たりするじゃない。そんな感じの感想。
そうそう、今日はお土産のインドカレーを食べたんだ。用田にある店でね。実に美味しかった。ちょっとだけ辛みがキツいかなぁと思っていたら、案の定胃袋がシャットアウトしてしまってそんなに食べられなかった。とても好みの香りと味付けでたくさん食べたかったんだけども、辛みが少ないものもあるらしいので、次はそれを食べたいな。
2012年
1月
17日
火
過去俺
10/4 友人からとてもおいしい椎茸をもらった。初物らしく、椎茸独特の匂いは薄かったが、プリプリとした歯ごたえと身の水分の多さが素晴らしかった。この椎茸はいつ食べてもおいしい。麻婆豆腐も食べた。豆板醤がどこかの店のものらしいんだけど、ちょうどいい辛さと多数の深みのある味に仕上がっていて、こちらも良かった。唐辛子が入ると大体は辛すぎて食べられないからだ(辛さに弱いのもあるけど)。それからイナダの唐揚げ。コレもたまらないモノがある。アジフライもそうだけど、鮮度が良くて、ちゃんと下処理された魚は揚げ物にすると、奇跡を味わえる。醤油でも良し、すだちでも良し、ソーズでも良し。個人的には醤油の方が魚と相性がいいから醤油を使ってばかりだけど。バンバン入ってご機嫌な食事の連続だった。
自画像の手入れと模写。自画像はあと一息と行ったところか。色を塗るまでそんなに時間もかからないと思われる。模写はちょっと考えた。服装はそのまま写真模写をしていたが、服のしわと人体の関係などは無頓着だった事に気づいた。ただ服の印象を追うのもいいけど、内部の形が現れてるようなところは極力見るように気をつける。描き方はそんなに変らないだろう。見方で意識を向けるだけだ。
そういえば模写と自画像どちらを長くやってるか、おおまかに時計を見ながらやったところ、模写の方が長くなっていた。まぁ粘土が乾くまでの時間が長引いたりするからしょうがないんだけど。
そろそろ人体を粘土いじってやってみるかと考えてる。
10/5 雨が朝から降っていた。ちょっとだけいつもより早く目が覚めたのもあるだろうが、非常にやる気が起きない日であった。元気がなくなるというか、周りの空間に吸われるというか、力が入らなかった。ので、だらだらと過ごす事にした。久々に昼間にパソコンをつけてみたが、いやはや目が疲れるのになんとなくそのまま見ていてしまうのに感心した。特に興味も無いんだけどなー、と思いつつもそれなりに見れてしまうので、ズルズルと見っぱなしだった。なんとなくは心を腐らせる。本当に何とも思わず画面の前にいると、目的もなくただ空回る歯車のようだった。
自画像をほんの少し手入れ。しかしリューターの回転時間がドンドン短くなっている気がする。そうしたら電池替えだな。進み具合はあと一歩なんだけど。
模写も行った。しかし、自画像と同時並行でやっていたので、今日の天候で調子が狂って1枚だけ描いた。ちょっと雑になったが、バランスは良いと思うのでまぁよしとしよう。(描いていて思ったんだけど、服装のデフォルメをした簡易版も一緒に描いた方が良いような気がした。ただ同じのを描くのはダレルんだよな。嫌になっちゃう。やっぱり止しておこうか。)
ただ写真模写だけで終わるのも悲しいし、何らかのアレンジは加えたいとは考えてるんだけど、ナニすりゃ良いかねぇ。
10/6 自画像の手入れ後、アトリエ制作の為におばあちゃんの家の洋間の整理を始める事にした。重い棚などは一人では無理なので、持ち運べる範囲のものを出して必要なものを残した。順序よく出来れば、早いうちに部屋を空に出来そうだ。
10/7 昨日か一昨日に縄跳び用の縄を新しく買った。すごく使いやすい。気軽に出来て気持ちが良い。
自画像の手入れ。リューターの電池を替えたらえらい勢いで回転した。回転数が低いときも、それはそれで使えたので、コード付きのを買うときは回転数を調整出来るものを買おうかと考えてる。
2012年
1月
16日
月
過去俺
10/1 自画像の手入れ。細かい凹凸の部分に、溶きパテを溶かさずに塗りつけて削ってみた。いい感じに削れるんだけど、リューターの目詰まりが酷い。パテが熱で溶けてるのか固まってるのかわからないけど、とにかく手間がかかってしょうがない。シンナーで溶かしつつ取っていったけど、効率が悪いので改善しないとだめだ。というかリューターは溶きパテの時に使うのはNGだな。削りすぎるときもあるだろうし、目詰まりも起きるし、手でやる番だ。最後は手作業なのを実感した。
それからある程度削ったあとに、シンナーを含ませたティッシュで拭いたら見事にへこんでる部分以外は取れた。若干凸凹が残るからそこは溶いて塗った方が良いかも。ガッツリ盛って、ザックリ拭く。そののち微調整。これかも。石粉粘土との相性を考えると。
自画像作ってる最中に父さんに見せたら「悪意のある造形」との言葉をもらった。まぁ、確かにそういう点は強調したかもしれない。次作ったらまた違うから。
髪の毛の盛りつけも行った。あと2層くらい重ねれば大丈夫なんじゃないだろうか。
ちゃんとイメージ図を描いておかないと苦労するね。髪の毛の造形で迷いが出た。こりゃ他の立体もしっかりと絵を描かないと時間かかる。ふと思ったんだけど、紙の中でイメージをしっかりと描き出すってことは絵の完成度を上げる事にもつながるんじゃないだろうか。前にも思った気がする。ちゃんとやろう。
10/2 今日は父さんが釣りに行って、大漁で帰ってきた。前日は具合悪そうにしていたけど、帰ってきてからは元気一杯だった。イナダとカンパチとカツオとイワシとキス。釣りたてだから歯ごたえはあったけど、味は薄かった。釣りたてのきぶんは存分に味わえたけど、しっかりと味が出る方が好きだなぁ。
お客さんもきた。飲んで食べて笑って、実ににぎやかだった。人との会話は良い。たまに会うというのは最高のリフレッシュだ。
自画像の手入れ。髪の毛をずっと削っていた。リューターを長時間使い続けたせいか、途中からちょくちょく止まるようになってしまったので、休ませながら作業していた。結局今日中に終わらせる事が出来なかった。コレは本格的にちゃんとしたリューターを買う必要が出てきそうだ。調べないとね。
休んでる最中に、久々に縄跳びをしてみた。前日、寝ようとしたら足の付け根が妙な感じになって、気持ちが悪かったので動かそうと思ったからだ。緊張してるんだか脱力してるんだかよく分からない感覚だったけど、不快でしょうがなかった。そして久々の縄跳び。引っかかるったらない。昔のヤツを引っぱり出してきたので、若干縄が短めなのかもしれない。そして疲れる。1分も連続してとべないのではないか。頭の中で曲を再生しながらやったけど、5分の曲が終わるまでに全部で10分近くかかったと思う。長時間出来るように頑張ろう。
10/3 自画像の手入れ。といっても昨日と同じで、リューターは長時間使うとへたれてしまうので、回復するまでの間に模写に近い事をやっていた。模写に近いというのは、写真を元にして、自分流に可愛く見えるように描いてみようとしたからだ。厳密な模写ではない。可愛いというのは、キャラクターとして整った顔立ちを目標とした。個性的な部分は残しつつ、かといって誇張しすぎないように可愛く年相応に見えるようにだ。美人に描くと言った方が近いだろうか。
身体のバランスはあまり崩さず、服のしわや陰影をペンタッチで描くようにした。なんとなくだ。楽しいし、筆が走るようになれば面白い効果も出せるので時間を気にせずに描いていた。ただ、姿勢が悪かったせいか、首がやたらにコッてしまってちょっと困った。
リューターで削っては、休ませてる間に模写をして、またリューターを使うというローテーションだった。季節が秋になってきて、早めに暗くなってしまうので、リューターを扱ってる時間の方が少なかったかもしれない。粉塵に舞っても問題ないように外で作業するからだ。暗くなってからは、気が向いた時に描いていた。
あと、今日もお客さんが来た。この間父さんと一緒に釣りに行った人だ。イナダとカンパチの刺身を食べたらえらく旨味が出ていた。一日置くと蛋白質が分解されてアミノ酸になるというのは間違いないみたい。私は日にちが経ってる魚の、じっくりと味わえる美味しさが好きだ。イナダとカンパチを食べ比べたところ、イナダの方が若干独特の匂いがあった。青魚特有の匂いというか、磯臭さというか。カンパチはそういった匂いは無く、脂も無駄にのっておらず、肉から出る旨味は貫禄があった。ふんわりと柔らかい脂の甘みと、舌を覆うような身の旨味。さすがカンパチ。イナダは若干歯ごたえがカンパチよりも強くて、弾力があった。匂いはほとんどアクセント位にしか感じない。脂はほとんど無くて、全然血生臭くない肉の美味しさがあった。
説明出来ないなぁ。全然足りない。どういったら良いんだろうか。他に似てる味なんて無いし、たとえが下手で恥ずかしいや。でも美味しかったのはまぎれも無い事実。
2012年
1月
15日
日
過去俺
9/28 自画像の手入れ。石粉粘土はガッツリ盛って、ガッツリ削るようにしないとマズいかもしれない。細かい修正に時間がかかりすぎる。リューターで削るのは良いけど、細かいデコボコが本当に無くならない。いくらやっても。許せる範囲になかなかならないから、別の素材を使おうとも考えてるけどでいれば統一した素材で作りきりたい。混合はまた別のもので試す。
家庭菜園の手伝いで、みょうがをしこたまとった。ノビルの時はとんでもないニオイがして辟易したが、みょうがは実に良い匂いだった。あれなら収穫を手伝うのも苦ではない。
9/29 グスタポ・イソエ展に行ってきた。練馬区の美術館でやっていて、そこには初めて向かう事になった。中村橋という駅で降りて、すぐのところにある美術館なわけだが、図書館と一緒の建物になっている。図書館に行きつつ、ちょっと美術館へも寄れるなんて実に良い考えだ。また、隣が小学校というのも良い。触れる機会が近くにあるだけで違うだろうから。
そんなわけでみてきた。油彩とデッサンがメインの写実絵画だったが、私はデッサンの方が好みだった。油彩よりもグッと惹き付けられる感じがした。油彩は綺麗なんだけど、実を写していないように思えた。本物らしい色味とかカサツキとか、目に見える表現は油彩の方が勝っていたけど、デッサンにはそれをものともしない緊張感があった。見るという行動自体が持つひんやりとした緊張感というか、何枚もの写真を重ね続けていった末の輪郭の曖昧さというか。機械ではないけど、機能をひたすら追求していったような感覚になった。自分と重ねる分もあるからだろうけど。
昼食も近くのチェーン店らしき店で食べた。餃子定食。餃子は全部食べられたが、ご飯は半分近く残してしまった。すると会計の時に店員のおばちゃんが「半ライスも出来ますから。」と言ってくれた。あんなに優しく言ってもらえるなんて思いもしなかった。残すというのは大体は悪なので、冷たい末路が待っている。仏のようだった。
帰り、駅構内に本屋があったので寄ってみた。久々に漫画を買う。今敏さんの「夢の化石」、荒木飛呂彦さんの「来訪者バオー」、石黒正数さんの「ポジティブ先生」、山本健太郎さんの「ファイトじじいクラブ」。電車内で読み、家に帰ってからも読み、そのまま寝た。夢は幸せなものだった。細かく思い出せないけど、とにかく幸福感に溢れていたんだ。今日一日はなかなか無いような一日になった。
9/30 予備校からつき合いのある友達が、ついに漫画の連載を持つ事になったらしい。2日前にツイートしていたようだが、気づいたのは今日だった。素晴らしいし、嬉しい。同時に負けたくないような気もしてきた、気がする。
今日は古着を売りに行くのにつきあった。久々の車の運転はやはり怖い。スピードもそうだけど、自分の感覚がゆるくなっているのがマズい。もうちょい気を引き締めないと事故る。
古着屋なんて、ひょっとしたら初めて行ったのかもしれない。面白いけど、服選びは難しい。色の面でも形の面でも。Tシャツの柄とか、欲しいのがあるときは自分で作れたほうがいいのかな。そういうサービスが無いか探してみるのもありだな。
帰りにパン屋兼ビール工房兼花屋兼アトリエのある店に寄った。花屋で暇を余らせていた時に、ふとトカゲが目に入ったので、ずっと見ていた。全長8センチくらいだろうか、青みがかった灰色と茶色がかった灰色の混ざった体色で、オリーブの鉢植えの周りをチョロチョロと動いていた。呼吸のリズムが独特で、4回ほど吸って吐いてをくり返してからピタッと呼吸を止めていた。10秒くらい経ってから同じようにまた呼吸をし出す。もう1匹いて、それは4センチくらいのものだったけど、同じように呼吸していた。緊張するときはまた違う呼吸になるのかもしれない。見ているだけで面白かった。
2012年
1月
14日
土
過去俺
9/24 リュー ターのヤスリを買ったあと、横浜赤レンガ倉庫へ。ライトアニマルという、実寸大の生物のCG映像を映写するサービスがあるらしく、それを観に行った。赤レ ンガ倉庫ではエコアクアという熱帯魚の催しもやっていて非常ににぎやかだった。子供連れが多く、あちらこちらでキャイキャイと元気な声が響いていた。そし てカップルももちろん多く、一人で来ているような客は見かけなかった気がする。
早めについたので クロッキーをしながら歩き回って時間をつぶし、ライトアニマルを見た。CG技術はすごいんだろうなぁと思う反面、しっかりしたスクリーンに投影しないと魅 力が無くなる印象だった。赤レンガ倉庫の壁面の一部を使っていたんだけど、うまく風景に溶け込んでいなかったように思う。もっと横長のスクリーンで、壁を 全部使うような感じならまだ良かったかもしれない。なんだかすごく惜しい感じ。あと一歩。
それで見ながら 思ったんだけど、CGクジラと一緒に泳いでいるような演出があったら良かったんじゃないか。今回は屋外だから難しいけど、空中からダイバーの格好をした人 が降りてきて、さも泳いでいるようなアクションをする。もちろん空気の泡もどうにかして再現して。それでゆったりと泳いでいるCGクジラに近づくようにし て、陸上にいながらもまるで水中にいるような感覚にさせるとか。
あとは実際に浮いているように見せるとか。お客さんにセンサー付きのメガネか帽子かを渡して、クジラのCGモデルとカメラを連動させて、空中に浮いているように見せるとか。
CGが丁寧だった分もったいない。もっと見せ方がしっかりしていれば、すごく魅力的なものになると思う。まぁそんなかんじでザックリ見て帰った。
何人か誘ったんだけど都合がつかなくて一人でいくことになった。でもメールで丁寧に返してくれたりわざわざ電話をかけてくれた友達もいたりで、それだけでもう幸せでした。
9/25 不浄の話になるんだけど、小便大便してる時まさにその時に「俺は俺の出来る事をするだけだ」と念じるだけですごい説得力を持った。
まぁツイッターと かブログとかで色んな人を見るわけで、大体の人は自分にとって成功者に見える。成功とは「お金を稼ぐ」とか「支持する人が一杯いる」とかそういう物差し。 あと「年下」というのも重要な要素。んで自分が口惜しくなる。比べるも何も接点なんかほとんどないのに比べる。ちぇっ、ちぇっとなる。そんなよく分からな い劣等感敗北感に飲まれそうになった時、小便大便をしながら先の言葉を浮かべるだけであら不思議。すごくどうでも良くなった。いやー晴れやかだ。涼しげな 風が通るかのように心がすっとする。今食べたフローズンヨーグルトアイスが効いてるのもあるかもしれないけど。
「俺は俺の出来る 事」って言い方は、自分がある程度特別な部分があることを期待していると思う。でも「自分にしか出来ない事」なんてそうは無いとも思う。というか無い。 やった結果が違っただけで、スタート地点はそんなに差がない。なので「それなら何でもやった方が良い」みたいな考えにもなってくるけど、やれば良いっても んじゃない。どこかで気に入ったり楽しめないと、まったく進まなくて結果も出せない。
自分が楽しんで出 来る事、嬉しくなる事があるから「俺の出来る事」って言えるんだな。他の人の結果と自分の結果を、数字とか技術とかコンセプトとか、何か一つに偏りぎみに 比べていると何も出来なくなる。気分が落ち込んで、暗い感情がつながっていって嫌だった思い出もよみがえる。自分の頑張った部分とか密かに自慢してて良い んだもの。全体にこだわったらそういえば良いし、どっかに病的にこだわる必要なんか無い。
結果が出ないまま 凹んで、アレが出来なかったコレが出来なかったというのは本当に心を蝕む。そこから更に積み重なって、「何も出来ない」という這い上がれないような気持ち になるのはキツい。悩みながら手探りで進む事すら出来ない感じ。息つく場所もタイミングもやりかたも分からなくなったら、とりあえずその環境から一切隔離 出来るように身を守れば良い。ずっとベッドの上で横になったり徘徊したりご飯食べたりしてるだけでいい。その間もずっと気になるだろうしそれが何年も続く かもしれないけど、そうしないと自分が見れない。その日その日をなんとなく過ごしてると、意外と回復するもんだ。自分のからだは自分の味方だ。
9/26 自画像の 手入れ。意図の無いデコボコを平坦にする。ただし、雨が降り始めたのでそんなに進めずに止めた。だが石粉粘土は埋めることにも抵抗が無いようで助かる。実 にサクサクと進む。ただ強度的には弱い気がするので、その点ではスカルピーにも興味がわいてきた。でもまだまだ石粉粘土で色々やってみたい。時間はかかる けどじっくり形を作れるのは良い。竜の方もいい加減に手を入れ始めた方が良いな。
9/27 恐竜博2011へ行ってきた。久々に化石をマジマジと見たが、改めて想像をかき立てさせるものだった。骨の形から筋肉の配置、内臓の納まり具合、皮膚の想像などアトラクション満載だな。あれが自分の原点に近いものかもしれない。
また行き帰りの電 車内でクロッキーを久々にやった事も良かった。幸せと興奮のないまぜなハイテンションをキープしつつ、気の向くまま描いた。何だかよくわからないうちに頭 の中がホワホワしてくるのは何なんだろう。激しい感情に身をまかせていくのは最高に気持ちいい。考えてるときはマズいかもしれないけど、他とは全く関係な い自分だけの世界なら何の問題も無い。また幸福感にあふれてると周りの人達が一層魅力的に見えるんだ。目を引く人が何人もいたし。たぶん吊り橋効果的な、 ああいうやつに類する感覚だろう。詐欺師はそれを上手く使うんじゃないかな。ともかく一日通して好調な日だった。
トミーウォーカーは今回諦めた。全然気分がノらなかった。悩みも出たし。
2012年
1月
13日
金
過去俺
9/20 自画像の制作の続きをした。しかし昨日と違って湿気がとてつもなかったので、ほとんど進められなかった。乾燥剤を買ってきて、自画像もろとも袋に詰めて密封したけど、あまり効果的ではなかった。湿気てると厳しい素材だ。
オーブンに入れるとかもあるけど、温度が高いのはマズい。スタイロが変形するし、粘土もやられやすくなる。低温で熱を加えていけるといいんだけどなぁ。靴用乾燥機とかもあるらしいから、色々と調べるつもり。でもできれば電気使わないようにしたいから、早くお天道さんが出てきてくれると助かる。カイロを使うってのもなぁ。
そういえばダイソーで石粉粘土があると聞いた事がある。うちの近くには無かったけど、買って試してみたい。品質が未知だからそのまま使い続けるかは分からないけど、安く上げられるならそれにこした事は無い。オーブン粘土とかも興味あるけど、アレ結構値段が張るからまだ手が出せない。失敗にビビりながらやりそうだから。
さて感想させている間暇だったのでトミーウォーカーに再挑戦。なかなか面白い問題で、色々とまた調べる事が出来て良い。これで受かればなお良いのだけど。
9/22 21日は台風により停電していたため更新できず。またも電気のありがたさを知った。そんな今日はさっそく使いまくってるわけだけど。
ダイソーで石粉粘土を買えた。うちのダイソーはなかなか量をおいていたので意外に思った。これで使い心地次第では通う事になるね。レジうちの女の人が、好みの容姿と仕草だった。研修中というのもまたいいエッセンスになっているよ。目的が粘土からおねえさんにチェンジしていったら面白いな。ダイソーの粘土から発展していくのだろうか。
あー、金太郎とか桃太郎とかの五月人形的なものを作ったら面白いかな?とか考えた。というか、そこらへんの会社のバイトとかあったら、やってみたい気持ちはある。それはそれで面白そう。
9/23 自画像に手入れ。以前買ったリューターを試したところ非常に具合がよろしかったので、明日にでもパーツを買い足そうと思う。
石粉粘土は彫り込んでいくのがいいかもしれない。塑像みたいにつけて貼ってが基本だろうけど、ある程度形を出したら、一気に彫り込んでいく方がグッと進む気がする。ただ表面の精度を出すために下準備としてやすらないと、毛羽立ったままになってしまうから、そこはちゃんとした方がいい。
2012年
1月
12日
木
過去俺
9/16 今日はポートフォリオ用の作品の追加。履歴書の記入。それだけで一日が終わった。
9/17 諸々の用 を済ませたあと、フレデリック・バック展に行ってきた。なんだかちょっとだけホッとした。年代を追って見ていく展示だったので、何をしていたか、どう描い ていたかが結構ハッキリ見れたのが良かった。自分はフレデリック・バックについては「木を植えた男」しか知らなくて、しかもその作品も表紙くらいしか見た 事が無いくらい接点がなかった。だから見た時に結構新鮮に映ったのだろう。
非常に追っていきやすい成長だったように見えた。美術学校でデッサンを習い、師について教えを守ったまま延々と描き続ける日々。自分なりの見え方、考え方の癖はちょっとづつ変化するけど、それをそのままに描き続ける。そんな風景画にジクッとなった。ほんのちょっと。
続ける事が何より の強みになった事が印象的だ。最終的にアニメーションを手がけたりもしていたけど、色んなことをしていたようだし、それらの土台になっていたのは過去に積 み重ねた風景画の山だろう。精神的な支えをいえば、やはり師の言葉に殉じたところではないか。共感にせよ、鵜呑みにせよ、彼にとっての強力な芯になったの はやはり言葉だと思う。
と、自分にはそういった何か行動の癖になっているようなことがあるか考えてみた。けど、電車で寝てしまったので忘れた。多分あると思う。それを認識するかしないかで差が出るかは分からないけど、そう思えたのは良かった。久々にホッと安心する展示を見られた気がする。
9/18 履歴書と作品集を郵便で出した。日曜日も郵便局が開いているのは助かる。午後3時までだけど、充分時間があるし便利。
今日は動画を見ていた。ゲームプレイ動画。ただ楽しく見れたので、それだけで良し。
ただただ、だらっとしていた。
9/19 糸で歯の間を掃除していたら詰め物らしきものが取れた。勘弁してほしい。糸ブラシやると結構ひんぱんに取れてる気がする。
コンポストの移動、&穴掘りをした。今日はとんでもない日差しだった。虫に刺されないようにツナギをきて長靴はいて帽子かぶってやるわけだけど、それでもジリジリと肌が焼けていくように感じた。あれは地面からはね返った日光の一部なんだろうか。
自画像を手入れ。 石粉粘土の癖がようやく掴めてきた。紙粘土とか石塑粘土でも同じように出来るのだろうか?あー、でもヤスリがけの時点で毛羽立ちそうだな。やっぱり石粉 か。思ったよりも手早く形が作っていけるのが助かる。水で濡らしてもかなり早く乾くし、空き時間がほとんど無いくらい進めやすい。一旦気がのってしまえ ば。
2012年
1月
11日
水
過去俺
9/14 ドラゴンと自画像の手入れ。ドラゴンの胴体は手が出し辛い。全体像がまだ見えないからだ。コレは早いところ、尻尾も腹回りも形にした方が良いかも。そうしないと腕も作れない。
いやでもその前に、ちゃんと固定できるようにした方が良い。しかしそれもやり辛い。何故なら針金で固定できるほど軽くないからだ。どうすればいい。一番てっとり早いのが接着してしまう事。でもこれをやるには、接着する面がぴったり合うように切り出さないとダメ。せめてそこに行く前に、仮止めが出来れば良いんだけど。うーん。テープはひっつかないし。針金を一旦ぶっ刺して、いちいち調節しながらやるのが良いか。丁寧に抜けばスタイロもそんなにガバガバにならないだろうし。やっぱり肉付きで考えるのはちょっとあれだったかなー。中途半端に考え辛くなる。
小さい関節をたくさん作るというのはアリだよなー。骨をぐねぐね動かしてポーズを固定。パーツごとにバラしたりしながら肉付けとか。紙とかでどうやったら作れるだろう。紙のみでやるのは効率悪いかな。紙でブロック作るか、厚い紙に穴をあけるかして、中に針金を通すとか。スタイロは針金に耐えきれなかった。
いや難しく考えなくても良いんじゃないか。横からの図を描いて、それぞれ動きの少ないところは切り出して、ぐねぐね動くところは…よく分からなくなってきた。明日にする。
今は見えない形を作る為に、芯を考える。目の前に無いものを頭の中で想定する時って、一瞬しか見えない。ふっと浮かんだらスッと消える。それを何度もくり返すうちに、段々細かく見えてくる。それが楽しい。
9/15 何をやったか書き出していく。まず竜の尻尾の肉付け。映画祭関連の領収書まとめ、及び連絡。だけかな?少ない割にずいぶん気を使ったせいなのか、忙しい記憶になっている。物理的にやったことはすごく少ないのに、やたらと疲れた。あれこれと色々気をかけすぎなんだな。自分の関わる事に対して色々な方面に過敏すぎる。もうちょいリラックス出来れば、だいぶ違うだろう。慣れもあるだろうし、付き合う人との相性もあるだろうから、あまり深刻にならずに自分の出来る事を伝えられれば良い。
色々と思っていたんだけど、ばらけてしまったな。感情とか、相手に与える・相手から受け取る印象だっけか。うーん、考えられない。バラバラで集める事も困難だ。
そういえば昨日考えていた骨組みのこともあったな。今日何となく考えていたっけか。浮かばなかったけど。
早いところ作品をまとめてしまおう。これがあるから落ち着かない。だから今日一日忙しかった気分だけ残ってるんだ。今あるフォーマットで良いからさっさと出してしまおう。履歴書はどこだったかな。
2012年
1月
10日
火
過去俺
9/10 歯医者に 行ったら虫歯が見つかったので、急遽治療をしてもらった。歯茎にとても近かったので麻酔をしてもらったんだけど、アレはすごい。本当に押されているくらい しか感じることが出来ない。痛みが必要以上になる場合はものすごく有効だね。ただ、あれがずっと続くのは色々と不便だ。ツバを飲み込む事も難しくなる。 やっぱり生まれた時からある感覚というのは大切だ。逆に言えば、五感というくくりから、視覚障害者とか聴覚障害者とかって分けるのはそれほど意味のあるこ とではないのかもしれない。だからといって、彼らが使いにくいモノがあって良いわけではないけど。
心理学の本とランニングシューズを買う。靴は何がどうなってるのかさっぱり分からなかったので、それぞれの店の人に聞きつつ選んだ。最終的にナイキの靴を購入。足にしっくりきて、デザインが良かった。
家にてお客さんを もてなし。皆働いているところの話をするのが楽しそうで、いいなぁと思った。苦労話とか愚痴とかで、全然会話になってなかったけど。お金を稼げればそれだ け自信がつくんだろう。実力をお金で買ってもらってるんだから、そら自信つくわな。信頼が目に見える形で返ってくるんだもの。アレは羨ましかった。働く楽 しさみたいなのが垣間見えたよ。
9/11 まだやっ ていない事を言葉や文章にすると、途端に興味が無くなるのはそこで終わってしまうからだろう。〜をしよう、と言ってちゃんと出来た事なんて無い気がする。 秘めてる方がいいな。と言うわけで、友達に送ろうと考えている分はさっぱり出来てません。優柔不断です。
今日はおばあちゃ んの誕生日祝いと言う事で、銀座アスターへ食事に行った。ツイッターでは「美味しいものを食べた」と書いたけど、正確には「食べさせてもらった」だね。食 べるものが美味しいって感じるのはいい。美味しいと思えるところまでで食べるのを止めるから、余計に後味が良いのもあるかもしれないけど。お腹がホカホカ と暖かくなるようなのが美味しい。身体が上手く食べ物を取り込んでいける感じがたまらない。だから食べる事は好きだ。量が入らないのがいつも気になるけ ど、何でだろうか。
食べられないと両 親の顔がすこしだけ悲しげに見えるのが嫌なのかな。今はそんな事無いようだけど、それが何か強烈な罪悪感。あとは劣等感か。沢山食べれる人は、健康的に見 えるっていう本やテレビでの刷り込みもあったかも。俺より喰えないやつなんて思い出せない。でも、友達の家で出されたものを8割くらい残してしまうのはつ らい。美味しくないから残してるわけじゃないし、こっちとしては全部食べたい気持ちで一杯なのに入らないんだな。あれは本当に申し訳ない。でも出して頂け るのはすごく嬉しいです。感謝です。
9/12 今日はうきうきしていた。エイジング塗装などを手がける会社のアルバイト募集に電話をかけたら、作品と履歴書の郵送を求められたので、また編集する事になった。
キムチチャーハンを食べたわけだが、あれは素晴らしい。間違いなく好物の一つだ。食べてるだけで幸せになれるなんてそうそう無い。嬉しいな。
竜の制作を少しだ け進めた。とりあえず肋骨周辺を形にしたかったので、スタイロフォームを貼付けた。削り出す予定。首の関節も厚紙から切り出してスタイロフォームを貼っ た。全体的なボリュームを把握するには削り出す方が早そうだからだ。スタイロと粘土の張り付き具合によっては、1ミリ厚の工作用紙は必要なくなるかもしれ ない。試さないと分からないけど。粘土も種類があるし。ただ石粉粘土は紙ヤスリを使っても毛羽立たないのが良かった。紙粘土じゃバサバサになるから、細か い造形は厳しめだし。そのかわり粘土のつなぎ目が明らかになりやすい感じ。これをどうにかしたいなぁ。うろこの表現として誤魔化せないかな。
9/13 今日は「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」に行ってきた。映像作家らしいんだけど、詳しくは知らない。映像制作に使われた立体やドローイング、絵画などが展示されていた。
特に感じ入るとこ ろは無かった。が、なぜあまり心に残らないのかを考えるキッカケにはなった。感情の変化が激しくならないよう、自分自身にブレーキをかけているのかもしれ ない。しかも結構強めに。そう思ったのは、作品達はある考えや感情をどストレートに表現してるように思えたからだ。でも、その出された感情や考えに思う所 が少ないというのは、単に共感をしていないというのもあるかもしれないが。ただ共感を呼び起こすようなチャチなものではなかったようなので、おそらくこち らから拒絶しているのだと思う。「お前の考えている事に染まりはしない」と言った感じか。実際染まったとしても毒ではないけどね。
なんでここまで拒 絶しているのか、自分でもよく分からないけど、ちょっと良くない。感情が伴ってないと、面白みが無くなるからだ。何をやるにも感情が絡まった方が面白くな る。執着を持つし、なにより分かりやすくこだわる。こだわりが無いと本当につまらないレベルにしかならない。一定、最低基準を満たすものしかできない。ミ ネラルも何もかんも取り去ったH2Oしかない水のようなものだ。不純物が入っているから面白みを感じる。その不純物が感情だ。澄まし顔だけど、内心メラメ ラと渦巻く感情があるなら良いけど、「ふーん」とか無言で去っていく無関心は本当にマズい。
感情を露にしようよ。俺。
あと自分の事も良いけど、他の人にも興味を向けようよ。
2012年
1月
09日
月
過去俺
9/7 記憶が元になって、その時の感情が再生される。はっきりとではなく、途切れ途切れのビデオテープの様に。そしてその残っている記憶は、感情の強弱に左右されて思い出せるかどうか違ってくる。気持ちいいとか、楽しかったとか、辛かったとか。その記憶と感情が合わさる事で、想いという認識になるんじゃないだろうか。
想いは反応の結果に生まれるもの。記憶だけあっても、大して感情が動いていなければ生まれない。感情を衝動に置き換えてもいい。身震いするような、大声を上げたくなるような、身体が動いてしまうような、言葉ではなく身体が動いてしまう衝動。これも強い想いとなる。そして自分の場合、その記憶はモノに残っている事が多い。
アルバムを見たり、昔描いたデッサンを見たりすることで、おおまかにその時の感情が再生される。それはその時の想いも再生される事になる。レシートを見るだけでも、その時の様子は興味の向く範囲で再生される。頭は当時の様子と記憶をおぼろげに記憶して、キッカケの部分と感情はモノに依存している。だから必ずしも、全てを背負っているわけではない。
と考えた所までで、脳みそがわけ分からん状況になったのでやめる。ただ、このあとごちゃごちゃしたまま進んでいったら唐突に、感動や動機というものは人間の内から発生するものではなく外から入ってくるものだということになった。そして、それらを形とする行為が出来る「身体」は器のようなものだという、けっこう危ない考えまで行きそうになった。心は外にあるゆえに、身体はひたすら感動を体現するものであるなんて、コレが宗教の始まりか。でも、そういうところまで行けるのも、ありだろう。意識的にせよ無意識にせよ、自分の思い込みで生きる以外に、生活なんか出来ないんじゃないかな。
なぜ感動するかは、さっぱりわからんちんだけどね。感情の発生とか、生物としての本能とか、色んな原因があるんだろうけど。感動できるなら、目一杯しちゃえばいいじゃんと思った。それがあるから、張りが出てくる。
9/8 さつま市イメージキャラクターの立体製作中。ギリギリ間に合わせる。どうも時間ギリギリにならないとやらない癖が出る。最後に出すから帳尻は合うのかもしれないけど、まだ見直す余裕を作りたくないみたい。甘いなぁ。まぁ、続けてればそんな甘さも言ってられないだろうな。
初めてこうやって作ってるわけだけど、なかなか難しい。そうそう都合よく立体になってくれるわけではないね。色んな不都合が出てくる。そこを上手くつなげるのが立体の楽しい所なんだけど、原画の完成度にも大きく左右されるのがよく分かった。ちゃんと作り込まれていないと、立体として立ったときに違和感がある。漠然とした違和感が。やっぱりキャラクターは不要な曖昧なところを残すと、許容できなくなる厳しさがある。基本となる部分はしっかりとそぎ落としていかないと、遊びの部分に目がいく前に崩れていく。今回やってるキャラクターも、提出するけどそんな様に感じる部分がある。今出来る俺のレベルがそこ止まりという話だ。こればかりは今はどうにも出来ない。
ただ思ったのは、立体にしやすい形、違和感の無い形を目指すというのはなかなか危険であるかもしれない。自分自身の立体造形技術に当てはめて考えているかもしれないからだ。そうなると、例えば絵を描く技術:立体を作る技術が7:3だったとすると、その少ない割合に合わせて下絵を描かないと立体に出来ないという事になる。7のレベルで作られた平面を思った通りに再現するなら、同じく7のレベルで釣り合わないとマズいのではないか。
専門別にやるなら問題ない。絵は提出して、別の人に立体にしてもらう。現実的で最も効果が高そう。今の自分は、絵と同じく立体も提出しようとしている。その方がイメージが掴んでもらいやすいから、という理由からだ。でもそのために自分の得意分野を潰すような事をするのは、本末転倒。ちゃんとデザインして、それをしっかりと立体にしないとダメだ。
ただ、得意分野を潰すような余裕があるかと言うと、そんなものは無い。いっぱいいっぱいになりながらやっている。ただ、そういう意識がかかってるかもしれないことを憶えておかないとマズいかも。ガッツリ絵を仕上げて、それに見合うようガッツリ作る事が大事だな。気を張った部分が見られる事は少ないかもしれないけど、気を張ってない分は見えない。何を書いてるか良くわからないけど、こうとしか書けないや。
9/9 さつま町イメージキャラクター提出。消印有効とのことなので、大丈夫のはず。想像力と気持ちの切り替えの柔軟性が低いのがよく分かった。
立体にはもちろん彩色をしたんだけど、甘く見ていた。平面の時は描線ですんでいるところを、立体にした時に削ったんだけど、色を縁までのせたらヒドイ有様になった。へこんでいるところがそのまま暗いわけではない様だ。だから平面のイメージに近づけるために、縁とか底面とか関係なく塗った。そうしたらイメージに近づいた。彩色は本当に平面の領域なんだな。立体との相性はどう捉えるかな。
まず、描線に沿って削るのは感覚としては正しいんだけど、実際に色がのるとおかしくなる。ここをクリアできれば、相当楽になりそう。どういうデコボコがあるかを、その都度イメージしながら形を作れば問題ないのかな。今回あやふやな形は少なくなるようにして、のっぺりとした面が多くなった。その分、線自体には精密さが要求されたと思う。だから、「V」みたいに削ってると底面にのる絵の具の量を安定させられない。理想は「V」の底がちゃんと一定の面積を持てれば、底面、側面、上面の3つの面が出来て、しっかりと区別する事が出来るんじゃないか。と思う。すごく手間がかかるだろうけど。
まぁとにかく終えた。疲れた。他のは気楽に進めるとしよう。
2012年
1月
04日
水
過去俺
9/6 ブログの日記を音声ソフトで読ませるのはどうかと思って、調べたらちょうどjimdoの音声サービスが停止しているようでガックリ。別の方法は無いかと探したところ、youtubeかフラッシュ動画しかないとのこと。youtubeにあげる度胸はないので、このままだとフラッシュになるかもしれない。しかしフラッシュ動画を作るソフトが無い。フリーソフトをダウンロードしたものの、扱いはまださっぱりだ。早いところなんとかしたいなぁ。本当は自分の声を録音して乗せるのを考えたんだけど、色々試したい。そして、変な所から動画を作る機会が出来るのなら、それはそれで興味がある。どうなるかは分からないけど。
トミーウォーカーの試験結果が出た。今回も不合格だった。左のが今回提出したやつ。ちっこいけど。何が原因か、考える。前回は線の安定、質感の差、骨格が求められていたので、それに気を配った。 線に関してはノーコメントだったので、問題なしと見ていいのではないか。質感の差は今回も言及されていた。これは実力不足だろう。あまりにも雑になってしまった部分があったので、納得だ。骨格も言及されていた。コレがちょっと予想外だった。かなり気を使って修正はしたつもりだった。少しだけ崩れた部分も あったと思うが、許容範囲ではなかったようだ。試験結果が出たあと、参考にトミーウォーカーのイラストレイターの人達の絵を見てみたけど、そこまで自分の絵とデッサン面について差はなかったように感じた。まぁ骨格についてはそこまで深く考えなくても大丈夫だと思う。平気だと思うんだけどな。
それから終わってから気づいたのだけど、このキャラクター髪の毛に金のメッシュが入る予定だったのをすっかり忘れて描いていなかった。それもちょっと響いたのではないか。また、そこよりも重要なのがアクセサリーだ。アクセサリーはひどい出来になってしまった。デザインも無茶苦茶で、線も安定していないし、完成度が本当に低い。これは大反省。これは質感の差の中に入るから、もうちょい慎重に。
キャラクターも芯を捉え損なっている感じもあるし、かなり無理に押していったのも原因の一つかな。どっかで納得しないまま進めていってたしな。まぁ、次も出来るからその時にまたやってみよう。
イメージキャラクターの立体を制作中。でも気分が乗らないー。だらけるね。
2011年
12月
27日
火
過去俺
9/1 基本色という考え方がずれてるのかもしれない。あくまでも「光の当たっている場所」「影になっている場所」「その中間のグラデーション」と思っていた方がスムーズにいくかもしれない。
一つ一つの形を「四面体のようなブロック」として見れば、それらが集まる事でかなりの情報量を入れられるようだ。髪の毛を描いてみたところ、そんな風に感じた。髪の毛のブロックを作り、その面に応じて色を乗せていけば良いようだ。単純に三色しか乗せなくても、数があれば見栄えがする。なんだか石膏デッサンみたいだ。
そしてこっちに載せてみたけど服の立体感が物足りないなぁ。髪の毛はめちゃボリュームあるけど。色の幅を出さなかったのは失敗か。出来るだけザックリとしてる面を描きたかったんだけど、手数まで少なくしたのはマズかった。顔と髪の毛だけ浮いてるもんな。位置によって色数を指定していくと良いかもしれない。奥に行くほど色数が少なくなっていくとか。続きでそうしてみるか。
顔はもうちょいのっぺりさせた方が良いかな。あと、もうちょいキツくデフォルメをかけないと目立たない。キャラ作りがぬるい?そうしたらもっと適切なデフォルメが出来るかも。
竜の立体も手入れ。接着は無事成功。背骨をスタイロフォームのブロックで作り、針金を使って変形という手順は「半分正解半分失敗」だった。
1、スタイロは金属と接着できないので針金が刺さってもくるくる回転する。
2、スタイロを刺した状態で針金だけ変形させると、スタイロに無理がかかって綺麗に変形できない。
でも2の場合、スタイロを刺したあと印を付けて、一旦スタイロを抜いたあと、それの通りに針金を変形させていけば特に問題なしと思われる。でも重要なのは、骨格の形によっては派手に動かないところがあるから、そこはちゃんと考えてブロックを切り出す事か。1は紙をストッパーにしたほうがいいかな。無視しても大丈夫だと思う。
針金に指していくやり方はかなりやりやすい。土台としては相当良い。下書きの紙をあててアウトラインを切って、大まかな面で切り出して、さらにパーツを細分化。針金で連結した後、大部分を厚紙で覆う。若干細かい凹凸などを貼付けていって、さらに粘土を盛る。粘土でさらに細かい描写をして、素体が完了。直にスタイロに粘土を盛っていくのもアリだけど、剥離が怖い。それにスタイロの細かい面を切り出すのがしんどい。アレ楽しいんだけど、削りカスが沢山出るし左右均等にしづらい。
それからお金の問題も考えないと。スタイロ一個買うのと、紙を組み上げて立体作っていくのとどっちが安いか。いや、スタイロじゃなくて発泡スチロールでも良いのか。接着剤はあるわけだから。じゃぁ、発泡スチロールが強力な味方になってくれるかもしれない。
9/2 さつま町のイメージキャラクター募集と言う事でラフを描く。が、なかなかイメージが掴めない。5,6年くらい前に合併して出来た町らしく、さつま町由来のものは少ないようだ。というか無い?あおし柿や竹細工、梅などが強みか。あとは国道が3本通っていて、流通が強みとの事。昔話なども使えれば使いたかったけど、見つけられなかった。さつま町はどんな町でありたいのか、そこを外さなければ大丈夫だと思う。
周囲を山に囲まれ、川が町を貫通していて自然環境は恵まれているようだ。グーグルマップで見たところ確かにその通りだった。そういった資源を使って農林業やら観光やらを展開しているとの事。自然との関わりを出していった方が良いかな。歴史はちょっと分からないので、使えないかも。
「元気いっぱいなさつま町」と書かれていたので、それを体現する造形がいい。子供や犬のような特徴が良いかな。目鼻口はあった方が良いだろう。感情をじかに表せる。
9/3 引き続きキャラ模索中。そして感じたのだが、一人でやり続けるのはやっぱりキツい。頭の引き出しが少なすぎる。試しに父に相談したら、まぁ出る事出る事。思いも寄らぬ組み合わせも多数。年期の違いもあるのは間違いないが、その柔軟さが強みなんだな。俺にはまだ足りない。相談する前に佐野研二郎さんの本を、なんとなしに読んだんだけど、その中身もゆるかったんだよなぁ。まぁ本だから都合の良い所を見せやすくしてあるんだけど、物事に対して身構えてないというか脱力してるというか、そんなゆるさがあるんだな。思えば、大学の教授もけっこうそういう所があったなぁ。怖かったけど。自分がやる事に対してビビってない感じはあった。
じゃぁ、俺は何を恐れているのだろうか。俺のやっていた事を挙げていくと、「対象の調査→その中から芯になるものを見つける→それに沿ったものを書き出していく→具体的に合わせていく」って感じか。順序じゃないのか?心の持ち方か。
最低限これはクリアしよう、という考えはある。ただその上に乗せたらもっと面白くなる、と強く思う事が無いのがいけないのかな。というのは上乗せすると、かならず最低限クリアの部分が崩れるから、それが嫌なのかもしれない。うーん。もっと面白くなると思わない事が無いのがいけないな。
となると、面白いと思う事が増えれば良いわけか。日常的に。苦手意識あるなぁそれ。分かりやすくお笑いとかじゃないけど、なんかそういう情緒に欠けてる気がする。トラウマでもあんのかな。今まで生きてきた中で頭に詰まったであろう様々なものが、スパークしづらい。無理矢理やるものなのかもしれないけど、わからない。あ、アレはコレとつながるな。っていうのがもっと欲しいよ。希望を持とう。世間的に見れば愚かで無知で阿呆だと言うのが心の底から響いてきたら、ぐらぐらと揺れる自信は反射的にそれを受け入れようとするけど、その感じた事思った事は自分の正義だということをもっと強く持とう。
あ、figmaが届いたのでそこは嬉しかったです。ただ、パッケージの厚紙の素材かな。あれがちょっと汚かった。せっかくの100体目だというのにどうしたんだろう。あと使われている写真も、大きめのは解像度上げてほしかったなぁ。肝心の中身はバッチリでした。すごく良い。そんで思った事もあったけど、書くのはまた今度か。なんで俺はモノをほしがるのかってこと。
9/4 ふとした事から、感動しているのか考えてしまった。何かを見たりする度に「ふーん」という感じで済ましていくようになったというか。そうすますことで自分をさらけださないで済むというか。防御しているような気がする。積極的に変化したいという気持ちもあれば、出来れば変化したくないという気持ちもあるのだろう。ただ、あまりにも変化を嫌う気質が強いようだ。もしくは外からの評価に恐ろしく敏感になる事か。何かを感じる時、絵画を見たり映画を見たり音楽を聴いたり外を歩いたりするとき。ほぼ毎回マトモに向き合わない。自分から声を出さず、誰かが言った言葉についていくようになっている。
それが許しがたい。小さい頃からそれで上手く事を済ませていたのか、あまり身に憶えは無い。だけれどそれが癖になっている。それも根深いものだ。自分を否定する事になるけど、邪魔だ。出て行ってもらいたい。でもそうとしか出来ないのかな。どちらかと言えば苦手なのかもしれない。そういった感性で判断すると言う事が。憧れていただけか。ここらへんまでしか頭が回らないなぁ。
全く関係ないけど昔、夢の中で壁にはめ込まれた剣を選ぶことになった。で、結局どれも選べなかった。
キャラクターは一応イラレで起こしたから、また詰めよう。
9/5 感動しないのは、身を守っているからかもしれない。対象に身をまかせていないことが原因なんじゃないだろうか。無条件の信頼と言うか。今なかなか心が動かないのは、信頼が出来ないからだ。
と思っていた所、ピクシブで偶然面白い人を見つけた。鉛筆でひたすら写真を模写してる人がいたのだけど、その向き合い方がとても好感触だった。正確には模写ではないし、色々考えて描いてるからデッサンだと思う。一定の期間ごとに描いているそうだ。その作品達が実に楽しそうでね。
デッサンは予備校時代に幾つも描いた。主に石膏デッサンだったけど、嫌いではなかった。何度も同じことを言われた気がする。点数も上がっていったけど、ある時からそれ以上点数は上がらなくなった。上がらなくなってきてから、受験でデッサンを描いているという感覚は薄くなっていった。もう趣味に捉えるようになったんだと思う。もう自分が楽しんで描ければいいやと思った。運良くそう思い始めた年に大学に合格したけど、そうじゃなかったらと考えると恐ろしい。ともかく、受験を通してデッサンは趣味の域になった。これは良い。
さてそんなアカデミックな描き方のデッサンには、比較的好意を持って接する事が出来るわけで、平たくいえば好物だ。手間も苦労も快感も、それなりに想像して楽しむ事が出来る。浸らせてもらった。それは上澄みの楽しさかもしれないし、ノスタルジックな楽しさであるかもしれないけど、とにかく久々に心が動いた。ちょっと気が軽くなった。同時に自分を守りに入っているというのも感じられた。
今は殻を作る時期のようだ。自分がどうにか出来る範囲の事で一杯一杯だ。まるで新しい事を見るには弱すぎる。だから思い出すか何かをするようにして、他の事に無理矢理目を向けないようにしよう。
2011年
11月
15日
火
過去俺
8/28 今日は両親の買い物に付いていった。ついでに紙やらボンドやら買った。発泡スチロールと紙を接着できる糊があったので購入。これで、背骨の工作も上手くいってくれれば幸い。
厚紙で心棒を制作 するのは良いのだけれど、柔軟な動きを出しづらい。具合を見ながら調整する術をまだ見つけてないので、スタイロフォームを使う事を考えた。余りまくってる し。スタイロフォームを小さなブロック状に切り出して、それらを針金に適度な空間を空けて刺す。針金はくねくねと動かせるので、ポージングが容易くなる。 ポーズが決まったら、スタイロフォームの上から厚紙を貼って胴体を形作る。あとは作り込み。の予想。針金は太すぎなければ簡単に曲がるし、太さ次第ではス タイロフォームは変形せずにブロックのまま保たれて、結果としてブロック間の針金が変形してくれる…はず。
スタイロフォームは卒制の時に山ほどいじってるから、心材として使いたかった。でも他の素材との相性が悪かった。また削るのに手間取るし、ある程度形を出せても上からさらに粘土を盛らないと精度が出せなかった。その粘土もひっつきづらいし。接着剤は併用できなかったし。
でも今日ひょんな拍子で、併用できるらしい接着剤を見つけたので、これからはおそらく強みになると思う。骨としての形の出しやすさは、かなり容易だから。
実験はしないといけないけど、楽しみだなー。盛った粘土でバカみたいに重くなる可能性がぐっと低くなった。より軽やかに、リアリティのある重さになる。早く試したい。
8/29 トミーウォーカーへ課題提出。前回踏んだ轍を踏まないようにやったつもりだったが、新たな視点を発見。キャラクターの線。アウトラインというか、キャラクターを形作る為に必要な線をデジタルでやる事で手間を減らすもくろみだった。で、実際に線は(以前に比べて)滑 らかになり見やすくなった。だけどどうにも勢いが死んでいるというか、線が途切れていないことでダメになる所もあるようだった。線は全部つながってなくて も良いのかもしれない。あとは色の面で形を作る事で、以外と見栄えがするかもしれない。ちょっと今度やってみよう。ただ、主線の色を変えるのはなかなか調 整が難しい。ここはどうするか決まってないから、とりあえず黒に近い色になるようにしてみようか。
今までいわゆる 「デジタルでの厚塗り」にどこかでこだわっていて、その一番最初に色を置く時のバケツツールの名残があったのかもしれない。線で囲っていないとはみ出てし まうので、線の内と外側を作る癖もどこかでついていたのかも。これからはもっと気楽にできる気がうっすらとする。
技術とは関係ない所で。今回提出したキャラクターは、条件はクリアしてると思うけどパッとしない。何か平均的な感じがして面白みに欠ける。もうちょい癖を強くしても良いかもしれない。
8/30 何かモノを減らすのが苦痛だなぁ。ツイッターのお気に入りも減らないし。嫌なんだなぁ、切り離すのが。見たらもう必要ないなー、みたいにとりあえずとっておいた「お気に入り」のツイートって何度見ても引っかかるんだ。
よしもとおもしろ 水族館のNO-UMA展に行ってきた。久々に魚を見たけど、あんなにきれいな動きをするものだったとは思っていなかったので驚いた。実に滑らかに動くんだ ね。素晴らしい。ウツボや穴子もいたけど、ウツボはいつみても魚には見えない。穴子は意外に顔が可愛らしいんだね。じっくり見たのは初めてかもしれない。 さて、目的のNO-UMAだったわけだが、実にしょぼかったよ。でもしっかりと笑いを狙ってる所はさすがよしもとと言わざるを得ない。まぁ、残念な部類に 入るものでした。荒俣宏さんが関わってるというから、ちょっと期待していったわけだけど、名前だけ貸したようだった。「未確認生物じゃなくなった」的タイ トルのものだったのに、置いてあったものは完全に創作生物だったし。芸人のマスクとか置いてあったし。ひとつだけ未確認生物的なものは置いてあったけど、 正体割れてるやつでした。ジェニー・ハニバーでした。正体はガンギエイの干物。それだけ。
ただ、ああいったものは想像を膨らませてくれる素材でもあるので、ぶっちゃけ偽物だろうが本物だろうが何だって良いと思います。よしもとは笑いを取るのがメインだったから、あんなクオリティでも良かったけど。
でも結局だますな ら徹底的にやらないと、とは感じたな。どう見ても和紙製です。樹脂製です。みたいなものが目立ったので、ちょっと考えてみる。骨から化石から再現物まで、 やってみたい。鬼の再現とか楽しそう。麒麟とか雷獣とか。想像上の生き物だから、伝承とイメージと生物的条件をあわせてやってみたいね。出来れば動かせる と面白いんだけど…、それは後回しだな。
8/31 キャラの 色塗り練習をしていた。考えていたのは、「線は途切れても良し」「できるだけ面の形を考える」「塗り重ねを多用しない」こと。やっているうちに気になって きたのは、やっぱり塗り方だった。明るい面と暗い面、あと反射光。この3つになるようだ。基本色をおいて、それの明るい部分くらい部分と分けていくと、何 か悩む。基本色と明度の高い部分の塗り分けがしっくりこない。明るい部分を少なめにして、基本色で埋めればそれなりに効果はあるようだけど、髪の毛の表現 だけになっているので服や皮膚は分からない。
皮膚は影を強調す るようにして、ほお紅などをペタンとおいていけばいいかも。基本色自体の明度を高めにすると具合がいいので、追加で明るい場所を作らなくてもよさそう。服 は明るい場所に気をつければ良いのかな。影と基本色で大雑把な形が出て、明るい色を使って細かい表現を必要とする場所がハッキリ分かってないので。
それからどういう面の形で塗れば良いのか。落ち着きがありそうだったのは、筋肉の形に沿う塗りかただった。混乱しない。服がゴワゴワしていたり、凹凸が少ない場合は新しく面を作らないとダメそうだ。どんな面になるか、下書きをした方が良いかも。
作業はフォト ショップでやっている。線はペインター。塗りもペインターで出来れば良いかもしれないけど、一々行き来するのは面倒だ。でもテクスチャーを勝手につけたり してくれる分、ペインターの方が良い時もあるかも。まだ分からないな。あと、やっぱり終わらせどころが分からなかった。グダグダと延びてしまう。実験だか ら仕方ないのかもしれないけど、もう少しテキパキとやりたい。ちゃんとした終着点を作らないとダメかも。あと、スッパリ諦めるというか、見切りを付けるよ うにしないと。前にも書いたな。それらも細かくカレンダーに書きこんでいった方が良いのかな。最初からどこまでやるか把握するのは難しいけど、進めながら だったら問題点も見えるわけで。それとも練習は二次創作にした方がいいかな。分かりやすく評価をつけてもらえるかもしれない。いや、でもそれだと楽しくな くなりそう。背景も含めて、バリエーションを作るのが良いかな?
そもそも何のため にやっているかが問題だ。今やっているのはトミーウォーカーなどでキャラクターを描いてお金をもらいたいからだ。そして、必要なのは商品となる品質のイラ スト。お金と引き換えられるものだ。だから、独りよがりな絵ではいけない。大勢が見ても7〜8割が評価するものが望ましい。その為には巷に回っているイラ
ストの商品と同等の価値があるように思えさせないとダメだ。じゃぁ、何が必要か。絵柄の相似とシチュエーションと質感の描き分けか?これくらいしか出てこ ないな。まだ分からない事がたくさんある。
話は変わるが今、スタイロフォームと厚紙の接着を試みている。明日具合が分かるだろう。これで上手くいってくれれば文句なしだ。
2011年
10月
23日
日
過去俺
8/25 一日おきにやることを設定した方がいいかもしれない。あきれるほど集中できない。昨日寝たのが遅かったせいでもあるかもしれない。でも集中できないこととはちょっと違う気がする。第一目的の事をやったら、次の日は別のことをしよう。そしてその次の日に改めて作業を進めよう。
なんだかんだで、他のこともやらないまま過ごした。進まないことが気になるから、それ以外のことにも集中できないし、やる気も起きない。気になるのに進められないのは何故だろう。周りに目を引かれたわけでもない。パソコンで気になることを延々と調べていったから時間を消費したわけでもない(下の段落に書いてあることは昨日から気になってたから調べたけど、二時間もかからなかった)。「やりたくなかったから」か。これがしっくりくるな。特に他には理由が無い。「締め切りに合わせる為に気になる気になる」ので、「達成の為の義務感」からやろうとするのは考えものだな。机にしがみついてても出来ないもんは出来ないし。早めに上げようとするのは、チェックの時間を増やす為。でも終わらせようとするあまりに、変な縛られ方をしていたら逆効果だ。もっと柔らかくいこうや。
しょうもない感じにしか書けてないけど、結構重要な所な気がする。気が向く環境を作るというのは分かってるけど、今日の気分は朝起きた時からだった。気の向く環境は自分なりにやってるわけで、朝一の気持ちが既に向いていなかったからには、他の気の向くことを早くできるようにした方が良いな。第一目的のことは簡単な確認作業だけにするとか。今はキャラ造形だからアウトラインのチェックとか、小物のチェックとか、単純な色塗りとか、それだけにして他のことに集中できれば良い。
侍スピリッツに出てくる「妖怪腐れ外道」というのに、目を引かれた。人食いで人型の怪物は、何故か気になってしょうがない。その妖怪はなんかドロドロした感じが詰まってて良く出来てるんだ。どうしようもない欲とか、薄暗い部分とか、ごちゃまぜになってるものが噴き出して形になったようなところまで感じた。まぁ、多分思い込みだけど。それでキャラデザが内藤泰弘さんだったのには驚いた。鉄とかビスとかつぎはぎがいっぱいあるやつ以外も描いてたんだね。
8/26 予定通り、色塗りを終える。時間がかかったけど。でも何かスッキリしない。尾を引いてるというか、モヤモヤした感じが残ってる。何だろうこれは。昨日と似てる。見て見ぬ振りをしているような気分だ。「もっと出来るはず」とか、そんな思いがあるのかな。少なくとも損得で考えてる時の感覚ではない。
「これから先どうすればいいのか分からない、もしくは不安」って感じか。たぶんこいつだ。どうやって描けば良い評価を得られるか分からないから、答えを見つけられるまで先送りにしてしまおうみたいな本末転倒な考えだ。その評価を得るための、自分が出来ることを見つけるために早く終わらせようとしてんだ。とりあえず終わらせれば良いんだよ。それから変えていけば良い。何か「失敗」っていうものにビビる癖があるみたいだな。
昔っから「失敗すること」が怖かったけど、なんで怖がってるんだろう。「失敗」をしたことで怒られたりとか、悲しい目にあったことって思い出せないんだよなぁ。失敗が悪いこと、怖いことっていつから思い始めたんだろう。周りを見てからかな。例えば算数の時間に、黒板に直接答えを書く時に誰かが計算間違いをするとその周りが笑いを含んだ空気になったりとか。例えば体育のリレーで走るのが遅くて野次を飛ばされたりとか。で、笑われることが怖い、恥ずかしいってなってきた?記憶か想像か、区別がつかないくらい曖昧なものだけど。
じゃぁ、何で恥ずかしくなるのかな。未熟な人間として見てほしくないから、っていうのは考えられるな。自分の出す成果が他の人の視点や価値観では充分なものでなく、ちゃんと評価をしてもらえないのがたまらなく嫌だ、とか。でもそんな所じゃない気がする。何だろうね、あのグァーッと顔が熱くなる感じ。俺の意識していない弱点を突かれるとかかな。なんかね、「違うんだよ、いやこれは違うんだ。俺は本来こんな人間ではないんだ。」っていう、防衛反応。うっすらとした意識として築いているプライドが、決壊していくような感じか?外面を気にするところか。外っ面か?俺のイメージというか、こうありたい姿には邪魔なものがあるんだけど、それはいつもは隠していられるのにひょんなところから噴出してしまった外向け出来ない部分か。それが恥ずかしさの原因かな。
んー、まだ足りない感じがするけどこれ以上は今の頭じゃ無理だ。眠くて出来ない。でも書いてるうちにずっと感じてたのは、今はあまり気にならないって感覚だった。
8/27 歯医者に行ったあと本屋に寄って、日本史、世界史、天文学、宇宙論の本を買った。ただ歴史に関しては、ほんとうに膨大な量の資料が無いと理解できないということを思った。教科書買って、あとは補足して見ていけばオッケーなんて考えが甘かった。教科書として採用されているようなものの書き方って、実はそんなに統一された見方じゃなかった。政治にフォーカスしたり文化にフォーカスしたり。世界史なんかもっとザックリでぶつ切り過ぎてわけ分からんかった。また、政治からの見方。文化からの見方。宗教からの見方によって違いが出てくるわけで。先は長そうです。まぁ、物語として読んでいくつもり。
そういえば本屋や図書館に行くと異様に疲れるのは何ででしょうね。タイトルの文字に圧迫されるというか。本が棚ごと倒れてきて下敷きになる恐怖とかではなくて、文字に操られるというか。よく分からないんだよな。
オカルト方面の書籍も読みたいのが出てくればいいなぁ。幽霊でも魂魄でもUFOでも異世界でも前世でも、今ひとつ手が伸びない。宗教観が邪魔をしてるのかな。そういえば、よしもとおもしろ水族館ってところで、NO-UMA展っていうのがやってるらしくって行きたい。31日までだから最終日に行くかな。荒俣宏さんが監修してるらしくて、どんなものか楽しみだ。荒俣さんとは関係ないけど以前国立科学博物館で、化け物の文化誌っていうのがやっててそれが面白かった。妖怪がどんな存在だったか、文化や風俗や生活から見ていく催しだったんだけど、それはそういうものとしてすんなり「受け入れていたらしい」所が良かったですね。もちろん娯楽の一つとして楽しんだりもしていたようで、センザンコウのうろこを龍のうろこと言ったり、人魚を作っちゃったり。でも広く見れば、自分達と直接的な関係はなくとも、どこかでつながってんだろうなぁ、みたいな感覚を持っていたように感じられたのが良い。
俺もそんくらいおおらかになれればなぁ。警戒心を持つのは結構だけども。まずはお札とか、お守りとか、風水とか。そういうところから入って慣らしていくか。入れる所から入っていけば無理する感じはないから。
2011年
10月
14日
金
8/22〜24
8/22 ちびドラゴンの制作を再開。早くも問題発生の予感。まだ頭のみだけど粘土で形作るのでとても重い。芯が思った以上に足りないようだ。身体も作る予定なので、そちらはよりしっかりと芯を作らなければならないようだ。
厚紙を上手く切り 分けて貼り合わせ、かなり細かい面まで作らないとダメかもしれない。しかしそうなると、粘土を薄くしなければならないが薄すぎると剥がれる。平均して5ミ リくらいの厚みになるように調整していくといいかも。でも重いだろうな。やっぱり薄く伸ばしたのを上から貼っていく感じでいくか?そうなるとディテールを 入れられないな。やっぱりちょっと厚みがある方がいいな。リューターでウィンウィン削るつもりだし。
粘土が薄い所厚い所を作っていくとすると、骨格の作りが重要になってくるな。骨の形が出てくる所とか考えないと。かーっ。
は虫類系はざっと見た所、骨の形が際立って見えるのは頭だけであとはむっちりしていた。鳥類も脚と頭以外はもふもふだ。ほ乳類は結構見えるのとそうでない所が激しいな。でも基本筋肉しか見えないかも。それなりにミックスしてるから参考にはするけど、最終的にどうするか。
デフォルメが効い てるけど、しっかりした肉があるようにしたいから、筋肉の量か。となると芯の作りは骨プラス中の肉(若干)って感じだな。骨格の出てる所を心配する必要は 無いかも。軽量化の為に新聞紙でもまくか?型取りする時に手間が増えそうだな。出来れば簡単に取れるように、接続式の関節にできたらいいな。何度も試すし かないや。
8/23 トミーウォーカーの試験が始まったので再チャレンジ。
ドラゴンの方は身 体の切り出しを始めるところで終わった。3ミリのボード紙は頑丈なのがいいんだけど、切り出し辛い。あと重いので、大きな骨の役割で使った方が良さそう だ。ボリュームアップは、1ミリのボードで。ラフスケッチ最中に動画を見てしまったりなんだったりと、誘惑と惰性に身を任せてしまった。やっぱり書き出し ていかないとダメかも。今カレンダーに書いておく。書いた。
最近地球滅亡のカ ウントダウンがやたらめったら起きてるようで、ちょっと面白く思いながら見てる。彗星はニビルやエレーニン、はては終末の音やらマヤの予言の2011と か。自称元NASAの人の警告やらよりどりみどりだ。「都市伝説が流行るのは景気に不安がある時」なんて聞くけども、そういった類いのものなのかな。何で そう言えるのか、気になって勉強するくらいいければ良いんだけど、そこまで中々いかない。いやでも、ちょっとずつやれば分かってくるのかな。本買った方が 良いかも。どうもパソコンで見ると疲れるというか、入りづらくて。書いても読んでもあまり憶えないんだよ。結びつけが弱いのかな?
歴史の勉強とか政治の勉強とか、教科書を残しておけば良かった。ちょっと後悔。図書館だといちいち借り直さないといけないし。ブックオフなら安く買えるかな?
8/24 予定通り、ラフを一旦描いた。明日見ればまた改善点が見えると思う。それからドラゴンの芯を切り出した。分厚いぶん切る時間がかかるけど、頑丈になりそうなので良し。ボンドを使って次々に接着していければかなり良い。その乾いている間にクロッキーというかデッサンというか模写?をやった。慣らしていこう。なかなか良いスタートだ。
何かをふっと考えてたはずなんだけど、思い出せない。和服を着たいなぁとかは考えてた。部屋着でも良いから買うのもやぶさかではない。
んーなんだっけ。詳しく知らないこと、思い出せないことに関して何か言うのは止めとこうだっけ?懸命だわな。でもそうなると、俺なんにも話せなくなっちゃうな。曖昧に憶えてるから。
「知識は集められるけど、見え方が狭くなっていきそう。」だっけか。最近自分のことしか書かないし、ちゃんと人と話せているか不安になる。というか、不安になる材料はドンドン出てくる。この間のコミティアの時も、久々に出会った友人達とは近況報告くらいしか話ができなかったし。「自分苦労してるんスよ」的な自虐を少しにお わせるような話をしちゃったりとか、気をつけます。
でもじゃぁ、「自 分以外の話をするとしても、友人達と何を話したいの?」ってなると、申し訳ないがちょっと思いつきません。俺はさぁ、こういうの作ると良いと思うんだよね!って話すなら、ものすごく雑な言い方ですけど、「まずは持ってこい」みたいなことは自分でも思うわけですし。口先だけには思われたくないので、やっぱ り言った手前は見せないと俺の極大プライドは傷つくわけで。しかも信用を無くしていくという追撃。持っていけば、何か言ってくれる人は幸いながら多くいる ので、やっぱり持っていかないと。フラグは回収しないとね。「俺、いま○○やってるんだよ」っていうのは、すぐに食いつきたくなる話題ですし、自分語りするなら、相手の興味引きたいですから。やっぱり何かやるしかない。
2011年
10月
11日
火
過去俺
8/16 カンフーサイボーグを観る。いやはやトランスフォーマーのパクリと思いきや、全然そんなことはなかった。ギャグと恋愛ものでした。なんというか、子供の頃のコミックボンボンの読み切りを観ているような感じ。SDガンダムのOVAを観ているような感じ。懐かしいというか、拙いというか。シーンとしてつながってなかったり、世界観の理解が足りないまま進んでいっちゃうのとか、ちゃんとした出来ではないと思う。キャラクターの設定として矛盾した行動も多かったし、ちゃんと組み立てていっているようには思えませんでした。ツッコミどころばっかりあったし。でもね、なんかいいんです。何かが。ひょっとしたらアマチュア臭なのかもしれないけど、妙な満足感があるんです。
アイディアはあらゆる所からパクってるのがモロバレだし、それらがチグハグに本筋に絡まってるのは痛々しいんだけども、そのアイディア元の映画に引っぱられていないのがとてもいい。「〜らしいものを作れば売れる」とかではなくて、自分達の作りたい形に持っていこうとしてるのが良い。
最近観ていた「B級映画」といわれる類いのものは、もれなく「〜らしいものを作れば売れる」という考えがどこか見えてみた。もちろんその「ネタ」自体を売りにしている映画はゴマンとあるわけだけど、そういうのは論外。
アイディアに振り回されるというのは、拙いながらも大学生時に描いたりしていた漫画や課題などでも多くあった。既にできているものを、それと同じ目的で真似するのも大変に神経を消耗するのも分かっているが、それはどこまでコピーできても本家がある限りどうにもならないものになってしまう。だからアイディアが大事にされるのだと考えている。
「〜らしいもの」というのは、誰かが既にやっているのでとても安心感がある。自分なりに上手く御しきれなくなったら、完全に真似してしまえば良い。それは一定の人気を得るから。
元々あったものを自分なりに扱えるようになるまでは、とても時間がかかる。でも、ちぐはぐでも自分のやりたいことを伝えるほうが、よっぽど上等だ。だから拙くてもチグハグでも、出すことが大事なんだ。「カンフーサイボーグ」でそんなことを思った。
8/17 今日はまたもや友人と遊んだ。良い。とても良い。ひとりぼっちではないことを証明してくれる存在があるのは嬉しい。家族も大切だが、友人はまた格別のものがある。彼らがいるから、私もいることができる。彼らがいるから、やろうと思えることがある。私は幸運だ。ありがたい。
8/20 18、19日は、ぐだぐだになりつつも一応提出できた。今日は二次創作スレッドをやっと見終わったわけだ。
ずっと見ていた二次創作スレッドで色々と思うことがあった。物語自体とは直接関係はしていないけど、世界の捉え方というのを考えた。自分の生きている世界はどんなものなのか。前も同じようなことを書いた気がするけど、俺の生きている世界はなんなのだろうね。物質として妄想するのも楽しいし、観念として妄想するのも楽しい。
妄想として考えることを書くと、普段目を覚ましていても、俺の目玉と心はひどく鈍いのだと思う。目の前にあるもの、触っているもの、聞こえるものに対して、どういったものか分析していない。それは分析するのに相応の時間を取り、それらを多数くり返すことによって、自然に生活できなくなるからではないか、と考える。自然に、というのは周りとの円滑な関係を崩さないように合わせること。相手の機嫌を崩さず、顔色を見て反応すること(最近、昔から自分のやってきたことはこれだった様に思う)。そうする理由は、相手との好意的な関係を持つことで、自分の活動範囲に邪魔な物事を発生させないためではないか。
支障をきたさないようにブレーキをかけるようになっているというか。内面から発した疑問を無視するのに長けてきたような気がする。昔からなんでも調べる癖があったか?と言われれば、それには「いいえ」と答える。他の人が読まないであろう本を読んだり作品を見たりと、興味のある振りをしてきたという方が正しい。小学生の時は、図書館にあるオカルトの本を読んでいた。中学生の時は図書館にあったウイスキーやビール、船の本などを読んだ。高校生の時は憶えていない。大学生の時は思い出す気力が今は無いのでパス。図書館にあった本。その一冊で満足していた。それが「なぜ?どうして?」とはならなかった。詳しく知りたければ、関連する書籍を探して読みあさるのが自然な反応の様に思える。俺は知ったかぶることの快感のみを憶えて、追求することの楽しみは無視していたのだ。追求するのは勉強すること。勉強するのはその間じっと座って我慢すること。だから私は我慢するのが嫌だったから、そこから先は忌避していた。
ただ最近、先ほどの二次創作スレッドでも思ったのだが、そんな先入観というか考えがいつまでも通用するのはおかしいと感じるようになってきた。上の段落で飽きるだの何だの書いてあるけど、飽きたら止めればいいし、とにかく手当り次第に早くやれって話な訳だ。何か思ったり感じたりしたら、忘れないようにメモ。探せる環境だったら即探す。ただし、丁寧に、見ていくこと。
五感に身体を預けること。そして材料は世界だ。自分を取りまく、物質から感覚から何から膨大なものに囲まれてるんだ。一つ一つ砕いていけ。文字でもいい、図でもいい、教科書から論文から手助けしてくれるものはたくさんある。そして自分にできることで形にするんだ。人に伝えるときもあるだろうし、自分で理解するためにも再現しよう。長い時間がかかる。たぶん生きれるであろうあと50年の間に、しこたま満足してそのぶんしこたま辛くなる。
何の為に作るかは、まだ考えが及ばない。
8/21 コミティアに行ってきた。友人とのおしゃべり、再会、見知らぬ人との会話。実に美味しい思いをさせてもらった。出会いに感謝。
さて、コミティアに行って感じたこと。またコミティアは商売の場でもあるが、コミュニケーションの場として機能させると実に面白いということだった。作品を出し、興味を持った人達がぱらぱらと見て、話をしてより理解を深めようとする、良質な空間だ。コミケでも感じたが、コミケの場合は人の量が多すぎて若干落ち着くことができない。何かを作りたい人、作った人達の会話は熱い。熱があり、それに当たりこちらも熱くなる。負けたくないというか、そんな気持ちになる。刺激的だ。
本当に「祭り」という感覚になった。
2011年
10月
01日
土
過去俺
8/12 岸和田城 のイメージキャラクターをまとめたので、とりあえずイラストレーターで描きだすことにした。岸和田城の天守閣が山車に乗っかってて、正面の提灯が眼になる ようにしてみた。犬走りの塀が特徴らしいのだけど、犬と城と山車が上手く合体できなかったので2つにした。カーズみたいな感じ?
映画版トランスフォーマーみたいにぐちゃぐちゃしたロボットみたいなのも考えたけど、分かりづらいし時間ないので却下。岸和田と言えばだんじり祭りらしいので山車はかかせないかと。また、人型じゃないことで目立てるんじゃないかと。
アイディア出しをしてたけど、昨日やってた時と今日やった時じゃやっぱり見え方が違った。昨日やったものの荒は今日見えた気がした。ただし、今日やったものの荒は見つけら れなかった。気持ちが固定されてしまうのか、なんだか「マラソンやった後、心臓が元の心拍数に戻らない」ような感じ。気持ちの切り替えが出来なかったから、どこを直せば良いのかがさっぱり判断できなかった。午前からやってたから、一度昼寝してもう1度見たけどやっぱり判断が出来なかった。
その日一日の目線 があると考えた方が良いのかな。もう目の前以外の答えが見つけられない。大量にアイディア出しができればお得なんだけど。かといって、他のことを考えるに は集中力が散漫になってしまった。切りがいいところを見つけられていないな。今日はここまで、がまだまだ出来ていない。まぁ期限が明後日なので焦ってると いうのもあるだろう。細かく細かく区切っていくんだ。そうすれば、やりたいこと全部出来るようになる気がする。
8/13 今日は久々にお客さんが来た。家族以外との会話は久しぶりだったが楽しませてもらった。こちらの話題でも楽しんでもらえただろうか。
キャラクターはと りあえず出来た。印刷もした。あとは、名前と説明だ。まぁ、それは何とか出来るだろう。明日、早めに郵便局に行って送ることにする。そして唐突に宇宙のこ とが知りたくなった。地球、太陽系、銀河系、外宇宙など、色々いわれているけど、それらを含んだこの生きてる時間っていうのを考えたくなった。どんな世界にいるんだろうなぁ、俺は。
8/14 今日は夏コミに向かった。参加している友人達がいたので、話がしたかったのだ。話し合える状況というのは良い。自分のなかにない考えをリアルタイムで聞き取れるこ との素晴らしさ。コミュニケーションをとろうとする努力を見ることが出来る。全く知らない人と話すのも面白い。話題を探すことに一生懸命になってしまう が、相手をどうにかして知って、自分も知ってほしいのでもうちょい色々話せるようにしたい。
コンペには無事提出できた。郵便局に行き、消印を確認したので確実につくだろう。締め切りが近かったのを承知でやったけど、これはこれで続けてみたい。ただ、善し悪しを判断する基準が少ないので、いくつも定期的に出して経験を積んでいくしかないだろう。常に不安だ。
仕事もどうするかな。お金を稼げないといくらなんでもマズい。友人が働いてると聞くと、ギクッとなるし。焦る。でもビビって進みたくない。うじうじする。
8/15 11時に起きて寝て13時に起きた。今日はだらっとしていた。中華街のお土産の肉まん類が満足できる味でした。とくに煮豚が具の饅頭が、甘くなくて脂っこくなくて良かった。
さて明日からはま た何か公募に出そうと思ってるんだけど、締め切りが近いものか遠いものか悩む。また、賞金額が100万からの大手のものか、5万からの小さいやつかで悩ん でる。しばらくはマスコットキャラクター狙いで進んでみるか?そうなると大体締め切りが近いやつが多くなるから、コンスタントに勉強というわけにはいかな くなるかもしれない。作って、結果を知って、修正してまた作るっていう順序が無いと空回りが多くなりそうだ。
いやぁ、でもいいかそれでも。
長期で考えるのを 放棄するくせは何とかしないと。今この瞬間も、ものすごく面倒に感じてるし正直進んでやりたくない。うわぁ面倒臭いほっぽり投げ出したい。いや、でもカレ ンダーに書込んでおけばそれまでの間は別のことが出来るじゃん。悶々としながらその間を過ごしちゃったり、連続でキャラクター描いてるうちに「こんなんで いいのかな…」なんて思っちゃって打ち込めなかったりするより断然いいじゃん。カレンダーを買おう。まずそこからだな。
2011年
9月
30日
金
過去俺
8/9 今日はトミーウォーカーの試験結果発表だった。まぁ落ちたわけだが、おおよそ描き終えた後の自分の感想と同じだった。
主線が安定していない。
質感が足りない。
人物のデッサンが狂ってる。といったところか。
主線の安定は第一に直していくところだと思うが、いかんせん時間がかかるので質感とデッサンを主にやっていくと良いのではないか、と思う。なに、ノルマを決めてさくさくとやってしまおう。数が増えれば自然と解決するのだから。
あとはペインターをいじった程度か。トミーウォーカーの時は使ってなかったし、浴衣イラストの時はがむしゃらだった割にちょっとしか使ってないので練習をしておこうと思ったのだ。なんとなく、塗りやすい筆とか、それぞれの特性とか、ソフトの癖は掴めた気がする。ただ、デジタルで描く際の慣れが足りない。色々やっていこう。節電対策が怖いけど。
8/10 ペインターで人体をなぞっていた。あとついでに色も乗せて。昔友人が模写をやっていたのを思い出しながらだけど。やってみて思ったのは、骨組みがしっかりしていても肉を乗せると、印象がかなり変形するということだった。いや、今日やっただけでアレだけど鎖骨と肩甲骨の動きっぷりが信じられない。関節はずれてんじゃねぇのって位に感じる。あと肉ね。アレは何ですか、スライムかなにかなの?本当に人体解剖図の通りなのってくらいに違和感がある。伸び縮みしすぎでしょう。人体は奥深い。
それからコスプレ画像なんかも集めたんだけど、写真で「そのキャラクターっぽくて凄いなー」って思う人をなぞったら違和感あった。人っぽくないというか、そのキャラクターに近づける為の身体改造なんだろう。とてもアンバランスに思えた。
骨だけじゃなくて肉も重要なポイントだと感じられたのはよかったか。いままでアウトラインくらいにしか認識してなかったし。ああ、服とか人体以外の描写も練習しないと。
今、キャラクターを描く練習をしているわけだが、何か空虚なものを感じる。「可愛い」とか「美人」とかそういったものを描くためのものなんだけども。どこを目指すかが定まってない感じか。ただ肉感的であれば良いとか、ひたすらに保護欲をかき立てるような幼児性とか、「魅力」といわれるもの。それらを混ぜた限りなく理想的な平均を求めてるのかな。
どんなものを描きたいかイメージがないな。極論だと描く必然性がなくなるわけだけど、「キャラクター」を「描く」うえで必要なイメージ、到達点がない。これはまずい。がむしゃらにやるのも結構なことだが、何か欲求があった方がある程度まっすぐ進める。つまみ食いはするわけだから。なんかあった方が良いな。スタイリッシュな女侍(リアルタッチ)、とか。
8/11 自分が意地悪くなっている時に自画像を描くと、コンプレックスに捉えるパーツが多くなり、嫌みがにじみ出る顔になる。機嫌のいい時や楽しげな時は、良い部分も拾うので全体として愛嬌のある形になる。ネガティブな印象を持っている部分を多く描くようになるのはユーモアが足りないということ。描いている対象に好意を向けていない証拠。
不安になるのは、自分の作ったものが評価されないかもしれないから。マスコットキャラクターらしく、とか、二次創作だったら元絵に似てるように、とか、自分の求めていない「らしさ」を無理やり詰めようとするのがいけないみたい。だって「らしさ」を詰め込めることが出来れば、評価してもらえる確率が高くなる。でも、今まであまりやったことのない分野の場合、そう上手く組み込めるものじゃない。結果として、「らしさ」は薄くなり自分だけに通じるものになりやすくなって、周りからの評価は少なくなる。自分の色が強く出てる→相手の求めてるものと違う→評価されない→自分のセンスを疑う→自信をなくす→不安になる、の繰り返し。
でもそれは他人を許せないから。自分に出来ることをやって、結果が出て、相手の良かったところをちゃんと見て勉強する。「らしさ」を入れることに抵抗があるのは、自分だけのものが「誰にもさらされない所にある」と考えているから。それこそ恐らく無い。何かを吸収することで初めて自分のものになるのだから、摂取を拒絶することは自分だけしか見ないと言うことになる。結果を見る。無関心にならない。自分だけの力を示すようなことじゃ認められない。いつも斜に構えてるし、気取ってるし、しんけんに見ていないかもしれないけど、得ることを拒否しちゃダメだ。経験が足りなきゃあ、いつだって素人のままなんだ。器用ではないんだぜ。頑固なままなんだ。頑固なんだけど、いままで積んできたものの範囲ではそれなりに形に出来るだけ。知らない分野に関しては不器用のままなんだから。向き合おうぜ。あと10年もしたら大物だから。
自分が得たものをそぎ落としていったら、最後には命まで無くなる。
2011年
9月
01日
木
過去俺
8/2 7/31と8/1は焦っていたので書けずじまいに。今日になって提出することが出来た。色々と考える部分が出てきた。
まず線画、フォトショップでは手描きの美しさを求めるのはつらい。自身のつたなさもあるだろうが、手間がかかる上に気に入った線が出来ない。よって線画補正の出来るもの、もしくは手描きに近い見え方をするソフトが必要。補正はイラストスタジオなどだろうか。もしくはペインターで鉛筆描き。コーラルペインターがあるので、それを使ってみようと思う。
次に色塗り。フォトショップは大まかに塗るのには適している。でもまだまだ詰めが足りないので一旦保留。線はどの程度残すのか、塗り方は立体的になるようにするのか、平面的にするのかなど。
キャラクターデザインをして思ったことは、衣装の精密さ。頭身のバランス。年齢通りにみえるかどうかだった。特に衣装の精度。資料が無いと本当にどうしようもない。写真なりイラストなり、手元に無いと「それらしさ」も出せやしない。ネットがあるのは良いことだけど、それでも足りない。専門書が必要だ。痛感した。
それから、装飾。これに関しても悩む悩む。デザインできない。パターンだけでも作るように気をつける。慣れるだけでだいぶ違うはず。その設定に関していわれのあるものを集めれば、なんとかはなりそう。
人体も勉強しようね。可愛く描こうとか、売れ筋を意識して、などの考えは全くプラスに働かなかった。迷って時間を取られる。ただでさえ迷いつつ描いているのに、余計なことを考えるのは無駄。どうあがいたって自分の癖しかでないんだから、「○○風」など意味がなかった。どれだけ似せることができるかとか、練習の為に模写、だったら良いが提出用に描くのはNOだ。
小金を稼ぐにはまだ力が足りない。ただ、面白かったのは依頼の制約がある割には、自分の縛りはどんどん解放されていった点だ。弟から言われて吹っ切れてから、楽になることなること。なにかしらの制約があることで、こんなにも張りが与えられるとは。初めてのことだらけになってしまうと身動きがとれないので、一個だけ初めてのことにしてみる。そうすればまた無理をしなければならないから張りが出る。
息抜きもしやすかった。どこどこまでやって、休む。休みの回数と時間が多くても大丈夫だった。ブーツかたっぽ描いたら休む、とか。下書きの終わってる左手の指の形がハッキリしたら休む、とか。小刻みに休んでオーケー。ラストにメチャ無理をしたけど、それは作業を始めた初日から段階を経て作業するようにしていなかったからだ。いまの張りが残ってるクリープ状態なら、何日までにこの状態。みたいな設定はできるから、それを習慣づけて。それからただの遊びが、とても良いものになる。ただ流れていくだけじゃなくて、元気をもらえるものになる。
あと、出来る出来ると聞き続けること。俺はなかなか大声は出せないので、松岡修造さんに言ってもらう。MADで聞く。本当に力が沸く。よしやるか、となった。
苦しんだ分楽しいものだった。足りない部分がいっぱいあることがいい。埋めることが出来るから。
8/3 歯の詰め物が取れてしまった。もうちょいしたら歯医者に行くので、冷たいものがしみるのは我慢するしかない。
昨日の反省、やる気の継続を含め色々とやったつもりだが決まらない。テーマは決まった。構図が全く決まらない。ただ決まらないにせよ明日には下書きに入るので、言っても仕方がない。テーマが決まって、必要なものがある程度分かっているところまでいったので良し。
浴衣、着物のイラストで、この季節に合ったもの。ということなので、干した浴衣に夏祭りの記憶が映し出されるということにした。母親、娘2人で行った一夏の思い出だ。あざとい設定だが、アニメ風キャラクターが浴衣を着て夏祭りに行っている図よりかは、眼に留まるのではないかと思う。最初は故人の思い出として、掛けてある着物に記憶が映し出されるというものを考えていたが、ちょっと暗い。お盆に合っているかもしれないけど、死んだばかりの人間の描写より、楽しんでいる姿を描く方が運営の気が引きやすいかと思ったので却下。畳んである着物がたくさんあって、それらに家族の思い出が詰まってるっていうのもありかも。ご先祖様含め。
ただ畳むと着物、浴衣と認識しづらいから広げてある方が良いんだけど、広げるとのっぺりして干してる感じにならないんだよな。干すっていってもハンガーで壁掛けになっちゃうし、本当に構図が決められない。優柔不断。明日にはどうにかしよう。
8/4 構図は決まった。イラレ、フォトショ、ペインターと3段階通して下書きを完成させることになる。パースなどの面倒なことを担当するイラレ、大まかな塗り・合成のフォトショ、細かい色塗りのペインター。障子のデータは出来た。イメージの下書きのパースを確認しつつ変形させる。生活感が足りなかったので小物を書き足す。祭りの後の疲れを感じさせると良い。けだるさか。そういった小物。あと、家族のイメージを別途描いておかないと。それらを貼付けるから。ここまでは取り込んだイメージを下書きにペインターなどで書き足してみよう。楽しい時間になることを。
それから色塗りだ。フォトショップでレイヤーを重ねるだけ重ねて、色と形をばらけさせる。描きこみに時間を取れるように手早くやるようにしよう。
まったく関係がないが、フジテレビで韓国を猛プッシュしたことが話題を呼んでいるようだ。フジテレビの株を保有しているのが海外の人らしく、日本のテレビでだんだんと韓国や海外への拒否反応を薄くすることで日本人をなんやかやする陰謀と言っている人がいるみたい。声の大きいことだ。
また、ピクシブがにわかに騒ぎ始めていたわけだけども理由は知らなかった。カオスラウンジという集団とのやりとりでなんやかやあったらしいが、まぁそれも声が大きいだけというか。そう感じた。
本当に色んなことを問題に出来るようなので、ネットの無防備さにちょっと背筋が寒くなった。こういうことに巻き込まれても大丈夫なように、色んなことを勉強した方が良いんだろうな。そういう理由での勉強もありだなと、感じた。欲を満たす為の勉強ばかりだったが、詰め込んでおけばいざと言うときに軽症ですむ防具のような勉強もしておこう。法律関係は特に。歴史とか政治とかも知っといた方が良いんだけど、手が着けづらい。
まぁ、自分のやった結果に関して言い訳をする必要がないように正直に生きよう。それが大事だ。本気出せばもっと出来るとか、やめやめ。やった分だけ力がつく。俺の感性とかは生まれた時からずっとついてるんだから、鉛筆もっても粘土を練っても形になる時どうやったって出てくるんだ。その出てくる形を、正確にするというか正直にするというか、そのための人生だ。
8/5 考えが形にならないのって、めちゃくちゃ歯がゆいけど最高に幸せな時。でも時間はない。形になることって諦めに近い気がするんだけど、その形になったこと自体が強烈な引き金になるにはどうしたらいいんだろう。引き金にするってこと自体がおせっかいな気がするな。見れば勝手に感じるんだから、引き金自体は技術論でしかないのではないか。まったくどういつであるように顕現させるのは無理だが、なるべく伝えられるようにはしたほうがいい。
風呂に入ってる時にに「大神+TRICK」という訳分からんコンビネーションを思いついたので書き留めておいた。ちょっと楽しみだ。
8/6 歯医者に行って詰め物を詰め直してもらった。家に帰って机の脚にレジンを流した。それ以外の作業は進んでない。明後日の23時59分までに仕上げると。せめて、入賞はしたいな。というか1万円は欲しい。
製作を始めてから漠然と感じているのだが、モノとして形になる時の虚脱感は一体何なのだろう。
それから、どうにも考え・閃きみたいなもののつながりが弱い気がする。それは単純に今までの知識を引き出せていないから、ということにもなるのだろうが、アイディア自体に深みを感じない。感じたらマズいような気もするけど、非常に平面的な印象がある。自分の中で、だけども。分子結合のように、とは言わないが積層された閃きというものを求めている。憧れかもしれない。アイディアは知識と感情の混ぜ物だと考えるようになってきたから。
「知識ー感情ー知識」かもしれないし、
「感情(知識ー知識ー知識)」かもしれないし、
「知識ー感情ー知識
I
知識 」かもしれない。
深みのあるアイディアというか、よく練られていて本質を掴んでいるアイディアというものに、立体的なイメージを持っているからこそ、自分の考えを「平面的なつながり」という捉え方になっているんじゃないかと考えているのかもしれない。立体的だと、なんかうまく分解できてる気がするんだよね。
なんか書いたらどうでも良くなってきた。平面的だろうが立体的だろうが、外してはならないものをちゃんと捉えてるかどうかだな。それを語る上で外しちゃいけない本質的なもの。
じゃぁ、本質ってのはなんだ。そいつを現す最もとぎすまされたもの。一つじゃない。俺だけが見つけ出す真実だな。その俺が見つけたたまらなく感動したものを、なんとかして形にしなきゃならんわけだ。だって他の人には最初からみえていないんだから。ひょっとしたら近いものを感じる人はいるんだろうけど。
とにかく、どうあっても形にしなきゃならないわけだから、もがくんだ。そこで、知識やら感情やらが手助けしてくれるんだな。で、そこでフィルターにかけるなり細切れにするなりして、アイディアとして浮き上がってくると。さらに、それをこっちの世界に持ってこないといけないわけだから、さらに手を入れると。んで、出来たものに関しては俺の手から離れて、ようやく人に見てもらえる範囲に出現すると。いうことかな。小難しく言いたい割には、ぜんぜん足りてない文章だなこりゃ。
気持良く書いてるから、意味の分からん文章になる。まぁ意気込みが残れば良い。明日の俺は、こういったことをスッカラカンに忘れているから。憶えていようと、あまりしていないのかな。少しだけ寂しい。でもそれもまた幸せの一つなんだろう。
8/7 海外ニート、という人がブログを止めたらしい。身の危険を感じて、とのこと。何やら個人情報の特定をしたやらなにやら、色んな推測が出ていた。私自身も何度か覗いてみたことがあるが、考える種になってくれたこともあったので、刺激にはなった。言葉尻はかなりキツくて反感は買いやすい印象は合って、コメント欄にもいくつか噛み付いているものを見た記憶がある。見れないと思うと、少しショック。でも明日には忘れていると思う。話が振られてきたら思い出すとは思うけど、それ以外には浮かんでこないんじゃなかろうか。
忘れっぽいの一言でまとめることが多くなってきたが、相当に感動していない期間が長い気がする。肌の表面がゾワゾワとして、泣きたくなるような衝撃を常に求めるのは過酷だけど、「ああ、いいなぁ」とか、「俺もやんなきゃ!」みたいなキッカケが少ない。もがいてないのかなぁ?
違うか。感動に贅沢を求めてるんだな。程度の差は関係ないのに「大きく感動している自分」を求めている。それはポーズだ。虚飾だ。朝起きて、食事をして、やることをやって、眠るということをつまらないことなどとどこかで思っている。寝ている時も起きている時も、何かが存在するっていうのは素晴らしいんだぜ。ちょっと頭がぼやぼやして限りなく薄くしか拾えていないだけだ。父が、母が、弟が、祖母が、見ず知らずの人が、料理が。万物が身の回りにあるっていうのは、俺が自分の何かを刺激できることなんだぜ。正直にいれば良い。誰かにいつかいわれた正直さなんて目の前が濁るだけだ。抽象的で申し訳ないが俺よ。肩書き、社会的地位、障害の云々、国籍、実績、有名無名は一切関係ない。人の行ったこと言ったことは、その人の答え方だ。その人に成ろうとするな。なぜか成れないから。常に矛盾を抱えていることを忘れないようにするんだ。こうやって書いているのも、自分に聞かせる為にみせておいて実は人に見せびらかす為と言う面があるんだぞ。自:他は大体6:4だ。7:3と言いたいが6:4がホントのところだろう。5:5じゃないのは、今書いている時点では間違いなく今の俺と、未来の俺に向けて書いてるからその分だ。
今日心が動いたと言えば、キクイムシの穴がどれくらい広がっているか確かめるには、穴の周囲をふやかせば良いってことか。木がスポンジ状の場合、湿らせれば爪で穴を押すだけで表面が陥没するので、どのぐらい広がってるかすぐに把握できる。
レジンで机の脚を直したわけだが油粘土で覆っていた部分をはがしたらまぁ穴がたくさんあること。油粘土にひっついて新しく穴が空いてしまった部分もあったほどだ。小さい穴がバラバラとあって必ずしも中でつながってはいないから、一網打尽に埋めるのは難しい。また、油粘土が詰まってしまって、レジンを入れることが出来なくなったこと。だから穴を削って大きくして、そこに注射する感じでレジンを入れるのが良策かと。
そしてイラストが進められない。松岡修造さんの言葉で言えば、「失敗を怖がってプレイしているからだ」ね。間違いない。やるけどさ。
8/8 言葉が足りない。絶対数が少ない。そのうちから選んで、少ない単語にイメージを持たせるのが良い気がしてきた。音楽でも思う。あれは言葉を使わない。なのに頭の中と目の前には世界が広がっていく。ピアノも三味線も太鼓も音だけだ。でもそこに何かを勝手に想像してしまう自分がいる。
ちゃんと話す為に必要な言葉と、相手に勝手に想像してもらう為の度胸がいる。
なんとか提出はしたけど、あれだ。良くない。ブレブレにぶれてる。なんか初めてのことばかりやってる感じ。実際そういうところもあったけど、直視したくないなぁ。でもこれが実力でしょ。こっから何度も何度もやれば良くなる。その為には分析だ。
障子とか廊下とかあるなら、パースをしっかりとさせなければならない。
月明かりをイメージしたかったんだけど、障子の影をごまかした。本来ならもっとハッキリうつるはず。
着物の影が出せていない。それらが適度に効果を発揮する構図が掴め切れていない。
家の描写が足りない。どんな家なのか、どんな生活があるのか想像できる情報が足りない。
見せ方は良かったと思う。浴衣に映像が映るというのは上品だ。キャラクター優先とか背景優先とかより、どれよりもテーマに準じている。
言えるのは描写の足りなさ。デジタルでの作業の不慣れさ。そこが克服できればよし。
次だ次。次頑張ろう。お疲れさま!あー疲れた!疲れた疲れた疲れたー!疲れに比例してないぞこれー!チクショー!
疲れ:完成度=8:2くらいにしか感じネェゾくそー!俺の望んだ等価交換率じゃネェゾくそー!でも疲れたー!ギャァー!もーーー!もやもやするー!でも大声出せないー!くそー!くっそー!ちくしょー!はぁー……………………時間かけないとダメじゃぁー、一ヶ月くらい掛けて毎日コンスタントにやらないと間に合わねぇー。それでなくとも試行錯誤と浮気のせいで進まねぇってのに。愚痴言ってすっげーすっきりしたー。
2011年
8月
21日
日
過去の俺の文
7/23 書くことが無いのは、何も進んでいないからだ。ためらって、とりあえずおいておく。そして忘れていく。気持ちが切り替わらないのも、何もしていないからだと思われる。何かを始めることが恐ろしい。今のままで居たいと強く思う。自分に足りないものがあるのは分かっていて、それを満たす為の道も何となくだがわかる。技術と人脈だ。人脈を手に入れる為には私の技術を見せた方が効果的だ。何が出来るのか一目で分かる。仕事、趣味と分けずに何かが作れるとうことを提供できるのが良い。そして、そのためには腕を磨くと良い。
手を動かすことを想像するのはいい。頭の中では私は無敵だからだ。世界で一番センスある神となれる。では現実はどうかというと、実に無力な個人となる。仕事のくる当てもなく、私よりも実力のある人などゴマンといる。それを打破するならば、手を動かして苦しみながら経験を積むしか無いわけだ。
こうして文にする前、頭で考えている時点で答えは既に出ている。やれば進む。やらなければ進まない。それだけだ。
でも、何故だろうなぁ。不安なんだ。それはたぶん、自分にとって未知の世界だから。誰も説明してくれない世界は、私にとってこんなにも恐ろしい。いままで説明してあったから進めたのか、と思うとそれもまた少し違って、そこに足を踏み入れるように心の準備ができていた。学校での制作などは、未知の世界への足がかりだったわけだが、アレは他にもやっている人がいたし、教授は最後には評価してくれたので、「逃げ場を無くしてもらっていた」というべきか。
今の俺はいつでも離脱できる。一歩進んで、そこで止めて引き返すことが出来る。ビビリだ。
ゲームでいえば洞窟だ。穴がないか、足下を確認しながら、手探りで暗闇を照らしていく大冒険だ。好きなように世界を確認できるゲーム。ドラクエやFFと同じ。
ゲームでは俺はどうしていたか。じっくりレベルを上げていた。決して無理はしなかった。仲間が一人でも戦闘不能になる場所であれば、周りがフォローでき余裕ができるまで、その場所の周りでひたすらレベルを上げていた。武器はそのまま。防具もそのまま。そして、再び入って戦闘不能が出なければ、そこで初めて進んでいった。
(同じだろう。俺はレベル上げをする。基礎能力をじっくりと上げる。まずそれだ。)なんだかこの考えは危険な気がする。
今はボンドの乾燥待ち。
7/24 久々のキスの料理。天ぷら、骨せんべい、刺身、梅和え、ポン酢浸け、唐揚げ。素晴らしい味だった。キスばかりは釣ってきたものが美味しい。父が釣ってきたもので私が釣ったものではないけど。また、お酒は会話に使われる理由が分かった気がする。でも量が多いと相手の会話を聞かなくなってくるので、独白を聞いてるようだ。私はお酒が苦手なので、少量で良いわけだが。
7/25 また映画を3本借りた。娯楽に浸かるのも良いが、そろそろ考える時期に入るのではないか。映画を観ている時、当然だが作っている人達は本気で作っている。しかし、B級だC級だA級だと言われてしまうのは何故だろう。まず見た目の問題があるだろうと思う。資料不足、技術不足のものは、そうでないものと比べてれっきとした差が出る。刺激で快感を与えるものは、リアリティが違う点でマイナス点がつく。それは分かった。ハリウッドの技術力満点の映画は、そこが売りの技術屋集団という認識になってきた。
ではストーリー、物語とは一体何なのか。ご都合主義という言葉はよく耳にするけれど。違うか、そこじゃないな。もともと何を訴えるものかと言う話になるのかな。そこには思想が入ってくるのか?作者の考え、エゴ。入らなきゃ作れないだろうなぁ。そうでないとただマーケティングの結果を踏襲したものになる。それはそれで良いのだろうけど、B級C級になるのだろうな。必要最低限のことしかやっていないのと、「これを入れれば満足するだろう」という、こちらに配慮した態度に見せておきながら実は惰性になっている態度が透けてみえるから、客足が離れていくのではないか?もっとも、そういった準備のされたものに、ばか騒ぎして俺たちが楽しくなってやるぜ!みたいな心構えでいくのも大切なのかもしれない。観て、面白かった。つまらなかった。というのは当然出来るけど、最初っから映画の世界に入り込んでいく姿勢を持っていくのは、実に前向きだ。ストーリーとは全く関係ないけど。
それは祭りと一緒で、ディズニーランドと一緒で、自分から娯楽の麻薬にどっぷり浸かることで、思いっきりリフレッシュするのと同じじゃないか。
映画館で映画に夢中になってヒーローを応援しても良いじゃないか。ぼろぼろと大泣きしても良いじゃないか、面白いところで大声で爆笑しても良いじゃないか。そういうことを許容できる空間、雰囲気を作れたら、良いんじゃないか?皆がいるなかで、大声を出すのは恥ずかしいというのなら、個室を作れば良い。
ストーリー自体に出来不出来はあると思うけど、今はまだ分からないな。とりあえず、登場人物達のそれぞれの行動に矛盾が有るか無いかくらいしか区別できない。
7/26 今日は庭手伝いをした。何を植えたか、名前をおもいだせない。何度も聞いたのだけれども。手伝いをしている最中、お金を稼ぐにはどうしたらいいのかを考えていた。今、トミーウォーカーの試験を受けている最中で、もし受かった場合、イラストの仕事を受けることが出来る。一枚1500円〜5000円くらいの相場だ。製作期間は5日間なので、休日を作らず制作期間を目一杯使って制作を受けることが出来たとすると、9000円〜30000円。一年間で108000円〜360000円。少ない。無茶をしたり、描画スピードを上げつつ品質をおとさないようにすれば、もう少し高くなるかもしれないが、現実的でない。
一方、アルバイトをしたとしよう。スーパーのアルバイト、時給800円だとして、6時間労働で4800円。週5日で、24000円。一ヶ月で144000円。一年間で1728000円。かなり違う。
正社員として、仕事に就いたとしよう。月収170000円。一年間で、2040000円。あと、会社としての手当、昇級などを含めると金銭的な余裕は高い。アルバイトよりも効率がいい。
ガイナックスのボランティアをして感じたことは、共同体に入っていられることによる心地良さ。仕事をまわしてくれる心地良さ。それだと思う。そして、そういうのは恐らく会社内で頻繁に行われていることではないかと思う。それは、ガイナックスの手伝いをして初めて分かったこと。それまで、会社というのは、人を馬車馬のようにこき使い利益に眼を輝かせるだけのものだと勝手に思っていた。その考えから、就職はしたくないと思ったのだ。でも少し違うようだ。
ただ、いまだに会社(というイメージ)に関して、どのような態度を取っていいのか分からない。それは就職活動でもいえるのだけど、私が出来ることは○○です。ということ以外になかなか考えつかないから。根本的には、私の実力が使えますか?使えませんか?以外に興味がない。会社の将来性とか、理念とかに共感しましたなんて、思ってもないことを言いたくない。会社のいく末なんか気にしない。潰れる時は潰れるし。
でも、俺を俺のまま受け入れてほしいと思っているところもあるので、そこは反省したい。そんな都合の良いことが出来るのは経験を積んだ猛者だけだ。そんな厚顔無恥な態度は反省する。ちゃんと求められてるものを勉強するのが真っ当だ。
でも、会社としては自分を強力にできるような人材が欲しいと噂に聞く。となれば、できるだけ従順で言われたことを正確にやり、着実にのびていく人材が欲しいのではないか?と想像する。そうなると、なるべく自分達で囲い込みやすい頭の持ち主を選ぶほうが、手間がかからず教育しやすい。自分達の色に染めやすい。
話はそれたけど、結局どうするか。フリーの仕事を探すのは大いに結構だが、単価が小さく生活は厳しい。もし、正社員並みの給料を手に入れたいと思った場合、身体を壊しても足りないほどの仕事量を引き受けなければならない。勉強するにもお金が足りない状態が長く続くだろう。良いところがあるとすれば、休日を作れるところだ。
また結果をごまかそうとしてるな。考えた時点で大体の答えは出ていただろう。仕事を持つのが良い。出来れば金銭的余裕のできる環境で。共同体や新たな関係を気づくことが比較的容易なのが会社だ。どんな会社にいけば良いか分からないなら、
まずは作品の整理をすること。今、自分の出来ることの範囲をしっかり見せる。あと、何に興味があるのか。この2つだけだ。そこから始めよう。乗せることの出来る作品が少なくても良い。だってそれしかやってないし。やったことのないことはたくさんあるけど、出来ないことってのは物理学の新しい公式を見つけろとか、そういうあまりにも専門外のことだけなんで、そこまで考えなくて良し。理念とかもそんな深い要素ではないので、給料と休日と手当を見るようにして探してみるか。
またそれとは別に、作品を発表するネットでの場を日本語以外の言語圏で増やしていくようにしたいな。日本だけでちくちくやるのも欠かせないけど、そこ以外の国の人達にもアピールしてみたい。そしてら、品質も変ってくると思うし。
作れよ。寝る間を惜しんで作らないとダメなくらい遅れてるぞ。
7/27 今日やったことは資料を集めたこと。トミーウォーカーの課題キャラクターを描く為に、グーグルの画像検索を使った。プリントしたのは3枚。それだけ。ラフスケッチしなかったな。後でうんうん唸るとは思うが、いつも通りだ。習慣になっている。変えようと思いつつも、変えられていない。
あと、寝る前に父さんに落語家の動画を見せてもらった。面白い。落語家自体、あまり数を知らないが、良かった。
本当に書くことがない。昨日とえらい差だ。物理的にやっていることは少ないし、気持ちとしても上下することが少なかったからか、意識をしない一日は何も思い出せない。これはまさに時間を潰したと言える。行動、衝動、思想などを伴わない、感情のない言葉に力はない。よって、何を言っても情けなくなる一方なので、ここで切る。
7/28 ラフを描いたら資料が足りなくなったので、また資料集め。アバウトな情報の中から、形にする難しさを改めて感じた。でも、今までは「なんとなくそれらしい形」として描いていたのだから、どうしようもない話だ。資料があることによる説得力、自然さ、生々しさは心強い味方だ。
同じく感じたのは、構成する要素の数の多さ。一つ一つに深い意味をつける時間はないし、理解できない要素をいたずらに増やすのは感心しないので実行はしないが、必要最低限な量が分からない。量を描いて憶えていくしかないのだけど。課題の文章でも、解釈のしかたと、資料の選び方によって全く変ることが面白い。これはバリエーションも出せるはずだ。足し算とちょっとの割り算。
少し前まではそんなことは考えなかった。自分の中にある感情や衝動を、ひたすら見たことのある形として出していた。資料に頼るのは良くないと感じていたから、出来るだけ資料を憶えるようにはしていたが見ながら描こうとはしなかった。デッサン調に描いてしまうことで統一感がなくなるからという理由だ。事実、そうなっていた。頼りすぎて、その基準を崩せないのは問題だけど、時間が経ったり、枚数を重ねていくうちに何とかできると、今は思う。
好意を寄せられるほど進んではいないが、帳尻を合わせる癖はついている。最後が苦しくならないように、今のうちに苦しむ時期だと思えば良いんじゃないかな。友人達は何やら充実しているようだが、嫉妬と羨望と自慢が渦巻くぜ。大好きだからね。面と向かって言えないけど、そのうち言えるようになると思う。その時には、俺は少しはマシな人間になっているのではないかな。
7/29 まだラフ作業。進まない。やることが着せ替えごっこになってきたので、ペンタブを触っているわけだが、上手く使いこなせない。使いこなせないのは時間が解決するので良いとして、バリエーションとデフォルメが上手くいかない。バリエーションを増やすとき、衣装を考えていくわけだが、リアリティがない気がする。「医術士」ということで、回復や解呪などを担当する役割なので、やはり医療的なイメージがあると良い。さらに魔法使いの、うさんくさいイメージがあると良い。と言うことになるのだが、問題は「女装」という要素だ。ここがどうしても、難関。女の子にみえたらOKって、それだと規約違反になってしまう。だから、あくまで「わざとらしい女性らしさ」があると良いと思うわけだが。それって何だろうね。思いついたのはハイニーソックスとミニスカのいわゆる絶対領域だったんだけど。なんかこう、自分の中で折り合いがつかない。上手く描けない。
あと資料の服装の特徴を、誇張しようともしてるんだけど上手くいかない。でもやるしかないよな。色んな要素を組み合わせるにしても、まだ資料と工夫が足りない。無い無い尽くしだぜ。これは俺、勉強してるんじゃないか〜?上手くなっちゃいたいね〜。こういう試行錯誤は振り返ると楽しい。
7/30 違う課題にして気分転換を図っている。正直、なぜ女装キャラクターだけやっていたか分からなくなってきた。あと絵柄とか何とかのイメージは、もう無視して良いな。という感じもしてきた。そして新しく描いている方だが、楽だ。同時に、女装キャラと同じ悩みに突入だ。やれることしか出来ないから、頑張ろう。
fgでコマ撮り撮影をしている方がいて、ブログをみたのだがすごい。アレは見習いたい。そして、エイジング技法というのを生業にしているらしい。プラモデルのウェザリングみたいなものだが、精度がまるで違う。あと、公募に出すことで賞金を稼いだりもしているようだった。エイジング技法を使う業界で、美大芸大の連中は使えない、ということを書いていた点についてはカチンときたが、それは燃料としよう。とにかく、小物やセットに対して並々ならぬ技術力を披露していた。アレを目指すには大変だろうな。でも久々にグッとくるものが見れたので、アレを頭に置いておく。
2011年
8月
17日
水
書きための文
しかしなんかこう文面全体から、陰湿な雰囲気を醸し出してしまうのはどうにかならんものだろうか。目線をうかがうような気弱な感じ。嫌らしさ、卑下する感じ。読み続けるとだんだん元気がなくなっていく。
性格というか性分というか、そういったものがあまりハツラツ!としていないのかもしれないな。レバニラ!とかニンニク!みたいな勢いは無いかも。血がごうごうと身体の中を巡って、頭も身体もカッカしてエネルギッシュってのはそう多くならなかったし。
かといって冷静に計画的にやってきたかというと、そんなことはないし。
がつがつと進んでいく事はあまり無いな。そういった気も多くは起こらない。どこまでも無関心が一番近い気がする。いや、ちょっと違うか。関心が限りなく薄いというか。食事でいえば、全般に少し食べて、完食はしない、と言った感じかも。すぐお腹いっぱいになるから、それ以上要らないと。
その場ですぐ満足しちゃうから、そんなに執着しないのかもしれない。また調べた内容が、スルスルと抜けていくんだ。笑えるほどに。負荷と判断してるのかな?
あまり執着せずにどうでもいい感じに見えてきて、しかもそれが続くから暗く感じるのかも。
とてもおとなしい赤ん坊に会った。親せきの子供なのだが、泣かない。笑ってばかりだった。手足をばたばたと休みなく動かして、視線もキョロキョロとめまぐるしく移っていた。
興味の塊、と言う表現がぴったりくる。本当に何も知らない、常に違う世界を体感しているようだった。でもその動きが止まる事は少ない。一旦怖がって泣いても、すぐに目で追うようになる。
あの姿を見ているうちに、怖いものは本当は無いんじゃないかと思い始めた。あるのは身体一つ。もちろん休息の場として親と言うものがあるわけだが、本当に失うものと言うのは命しかないと思えた。実に力の抜けた姿だった。あの子の頭の中では様々な感情が、高速で動きながらも混雑していたのかもしれない。だが、しっかりと見ていた。興味あるものを、泣いた後も再び見つめていた。その気の済むまで自分の出来る事をする姿が、真摯だった。人間の原動力を見た気がした。
とかく理由を見つける事が上手くなった。と思う。やる理由、やらない理由。もうそういう事じゃない。興味がわいた、ということが、その時点でどれほど輝かしい事か。そしてそれを飽くまで消化し続ける事自体が、どんなエンターテイメントよりも刺激的で、どんなアートよりも心に残ることで、その人自体が素晴らしいことなんだ。
だから、俺は興味を潰すような真似は極力しないよう心掛けたい。何げなく放った言葉で、興味の種は潰れてしまう。
7/21 体裁を作ろうとしている。〜ぶろうとしている。頭がよいように見られるよう気をつけ始めている。それらは果てしなく気持ちの悪いオナニーだ。そしてその事自体が自然体であるように、見せようと動き始めている。良くない。頭の中も、気分もぐちゃぐちゃしていて非常に分かりづらい。でも確かなのは、ひたすらどうでもいいことを、権威付けようとする心の動きだ。とても卑しい事だぞ。軸を外している。人々が渦巻くスクランブル交差点の真ん中で、詐欺の勧誘をしているのと同じだ。形作る作らないの話しではなく、善悪の話でもなく、それぞれの良いところを探すと言う話でもなく、まさにあってはならないことだ。
ちょっと落ち着いてきた。流せてきている。自然体であろうとか、ポジティブに(だけ)いこうとか、ちょっとづつ清濁を合わせなくなってきているのに気をつけよう。
ツイッターは独り言だ。自分のつぶやきなんだぞ。あれは。お前が頭が良さそうに見えるとか、腑に落ちる言葉をつぶやこうなんて思ってたとしても、見てる連中にはなんの関わりもない。自意識過剰になっているぞ。たまたま、ネットに流した自分の思考に、他の人が交じっているだけだ。お前の考えを言え。その時の一言を。誰にも向かってない。お前に向かってくる言葉だ。過去の俺が未来のお前に気まぐれで残してしまったつぶやきだ。何の事は無い一言だ。好きに扱うんだ。色々と言い足りないが、眠くてしょうがない。頭もぼぅっとしている。こういう時にまとまったりはするんだけど、今日は無理だ。
7/22 一人でいる時間は大切。でも何かの集団に入っていたくなる時がある。今までは、学校や予備校だった。人によっては職場、友人関係になるのだろう。私にも友人がいるし、会おうとすれば会えるわけだ。しかし、何の為に集団にいるかと考えれば、恐らく自分の為になってしまう。他の人を利用するという意図ではない。ただ、何かの集団にいれば、その人間関係に沿っていくようになる。それは今までの自分とは違う価値観を得るようになることかもしれない。
何だかよく分からなくなってきたけど、ようは一人でいる時間が長いと新陳代謝が悪くなる。新しい考えに触れる事が少ないし、直接何か言われることもない。自分一人で完結してしまうから、独りよがりになっていってしまう。相手の機嫌をうかがうとかそういうことに気をつける必要は必ずしも無いけど、相手に対して誠実に答えられなくなってしまいそうなのが怖い。やはり何らかの形で、ほぼ日常的に会話、もしくは会う事の出来る場が欲しい。そして自分から進んで入っていくしか無い。でも今の俺が進んでいけるところはどこだろうか。
2011年
7月
16日
土
嬉しくない感じ
自分の言う「後ろめたさ」は何だ。親に関する事ーー親の言動に関する事ーー親の言動を体現する事が出来ないことーー「やりたいことをやれ」という言葉の通りに、自分の楽しんでいる姿を見せられない事。
上は親に向けての発言しか無い。自分に向けての発言は無い。パフォーマンスだ。勉強をしているようにみせかけるのと同じ。
見栄えが良ければいいというわけではない。体裁を整える事が、はたして重要なのかどうか。相手の機嫌がその場で悪くなるからと言って、その場その場で見栄えを変えていく事が正しいとは思えない。
衝突する事を恐れすぎているのか。少し、はき違えていたかもしれない。自分の考えをいう事が何より理解につながる。少なくとも家族の間では。
それが行き過ぎていたのかもしれない。自分の生活範囲を縛るように、趣味の範囲を縛るように。親に認めてもらう為に、親の気に入る形を求めていたのだ。それは親の都合だ。
親に嫌われる、というのはおそらく私の家族間ではないと思われる。
高校の時勉強をしなくなったのも、試験の前にひっそりと勉強をさぼっていたのも、ひょっとしたらそういった反抗だったのかもしれない。
こういった考えを、一旦認識したので今まで気にかけていた事(意識的にせよ無意識的にせよ)は、行動にも出にくくなるのだろう。重要視する比率が変わったはずだ。今までと何か違った結果が出てくるのだろうか。何かがキッカケで出てきても、恐らくそれほど心動かされないのではないか。それまでと比べる事が出来たなら、冷たい人間になった とか、そういう感想を持たれるのかもしれない。でも、その感想も響きづらくなるのではないだろうか。分からないな。
今までよりかは気楽にいられる事が多くなりそうだ。
2011年
6月
15日
水
思った事をそのまま出す
それが出来ていないなぁと、実感し始めました。
素直じゃないというのも自覚しつつあると思います。
何かを感じたり、思ったりすることはありつつも、それをこと細かく言葉にして、口頭、文章で出す習慣がついていないようです。もっと、形として外に出したいのですが、単語を知らないのと、口に出すことばと感覚が一致しないのがもどかしい。なるべく、大雑把に表現して終わるのではなく、充分に噛み砕いてから出すように注意深くしたいです。
さて、最近になってですが音楽を聴く時に、自身の状況によって曲を選ぶようになりました。自分の気分を肯定し、意識を高めるものとしての曲。単純な作業が続くようにする曲(予定通りに終わるように、時間をはかる意味もあります)。それまでは「なんとなく気分が乗るから」という理由で聞いていたのですが、集中できる時とできない時のムラが激しかったことが、多々ありました。なるべく単純作業をする時は歌詞のある歌は聴かないようにしていましたが、何故そうなのかを考えていませんでした。
今となれば単純でばからしい話ですが、歌詞に自分の感情・考えをかさねることで頭が一杯になっていたのです。また、歌詞にある強い言葉に感情を重ねていくことで、自らを認めていったことが「気分が乗った」理由でしょう。歌詞のない曲はそれをやらずにすんでいたから集中できた。それだけです。
サンボマスターやブルーハーツの歌詞から感じた高揚感は、自分の中にあっていまだに形に出来ない感情でした。そして自ら言葉にできず、他の表現によって刺激されたからこそ、自己肯定に受け取れたのでしょう。でもそれで良い。自然にふわりと気持が浮き上がっていける方法があるなら、幾らあってもいい。自らの内に入っていく曲と、作業の時に気がまぎれない曲。普段からビクビクしている事が多いと思うので、自分自身を鼓舞できる機会があるのはとても貴重な事なのです。
ひょっとしたらそれが、今まで求めていた「息抜き」なのかもしれません。とりあえず、一つ手に入りました。やりぃ。
2011年
1月
28日
金
卒制展
終わった。
正月が明けてもそのままずっと作業してました。予定はちゃんと立てよう。
でっかいのを作ってました。次くらいに画像あげておこう。今は小学生時代から憧れてた暇人です。何してても良い。時間がたっっっっっっっっっぷりある状況なので、気ままに動いていこうと思ってます。
さて今はとりあえず部屋の掃除から始めています。ごちゃっとしていて、ちょいと動きが悪くなるので整理中です。しかし、本格的に片づけようとして初めて気づいたんですが、全然終わらないですね。正直なめてた。部屋がきれいに整頓されてる人ってすごいな。24年生きてきて、やっと気づいた。Aを片づけようとすると、Bが障害になる事が分かる。そして、先にBを片づけようとするとCが障害になる。この条件が何十にも折り重なる事が、ごちゃっとなってしまう原因だと、やっと気づきました。しかし、さらに掘り進んでいくと、根本には何があるのか。気になります。
要素として、ものが多いことが一つあげられます。プラモデル、フィギュア、本、CD等の趣味に関するもの。高校、大学で買った教科書やプリント等の昔必要だったもの。昔着ていたけど今着ていない服、同様のカバン類などの生活必需用品。部屋はこれらで埋め尽くされている感じ。
捨てれば済む話なんですが、何故捨てないのか。教科書の類いは、あとで資料として使いたいと言うのがあります。趣味関係もそれと同じく、模写するなり何なりしてから処遇を決めたいと感じています。服の類いは、完全に怠惰で捨ててません。
ここまではいいんだけど、「整理できない」ってのは別問題だよなぁ。じゃぁ、何で整理しないのか。部屋が片づけられない人は、ものに囲まれる事で安心感を得るという話があります。やべぇ、俺完全にそのパターンじゃん。参ったね。みたいに全部鵜呑みに納得するのは悔しいから、もうちょい分析できないもんか。
確かに、ごちゃっとしているところは、ある程度好きよ。作業場とかがそういった状態なのはいいんだ。でも布団の上とか、イスの上とか、普段から気を休めたくて使う所とかは、ごちゃっとさせたくないよ。俗にいう感じの、「シンプルでものを少なく」した状態がいい。
じゃなんで部屋がごちゃっとするかって言ったら、それは多分公私混同状態であるからではないか。課題をやるのは自分のパソコンで、自分のスペースにパソコンが置いてあるから、必然的に作業場がそこにでき上がる。作業すると、資料が増える。もともと資料を置く場所が無い。積んでいかれる。元のスペースが狭くなっていく。の繰り返し。
作業場は、ある程度作業したあとに掃除をする癖がついているので、そこそこきれいになる。ごちゃごちゃしていると言っても、その大部分は次の作業で使う為の部品だったから、いつでも使える状態にしておくのが効率が良かった。細かいゴミをきれいにしておく事で、次に訪れて作品を作る時に、プライベートな目で見られるのでさらに作業が進む。今までは、そんな感じで自分の部屋の掃除はしていた。ほこりを払うとか。でも、もう作業場と自分の部屋と、完全に分けないと無理だね。落ち着かないし、作れないし。
ということは部屋にものがたくさんあると言うのは、俺の場合「落ち着くから」という理由ではなく、「材料だから」ということになるのか。倉庫の中に部屋がある感じ?落ち着けないよ、それじゃぁ。
趣味のモノはちゃんと飾ったりしたいし、部屋全体がもっと見晴らしが良い状態になってほしい。そのためには作業場が必要だ。しかし場所がございません。
やはり少しものを減らすか。ものが増えていく理由を突き詰めていけたら、モノを作らない理由ができると思うんだよな。
どなたか一軒家建ててくれませんかね。
2010年
12月
31日
金
年が去り、年が来る
2010年が終わりましたね。今年はそんなに「年越し」って感覚がありませんでした。
2010年始まったとき、どうなるかは全く予想をしていませんでした。なんとなく過ごそうとは思っていませんでしたが、何かの流れに乗るのならそのまま巻き込まれてしまおう、とは思っていた気がします。そのおかげか、様々なことに首を突っ込むこともできましたし、経験させて頂いたことの多い一年だったと思います。
相も変わらず、2011年にどうやって過ごしていくか、まったくイメージが浮かんできません。大学は卒業する予定ですが、就職を決めてないので無職という立場になる可能性が大きいです。これで、ようやく肩書きの無い存在となることが出来ます。今までは学生という肩書きがありましたが、これからは何も後ろ盾が無い状態になるのです。楽しみです。
人より少しだけ絵を描けたり、立体を作れたりするだけの人間がどこまで社会と関わっていけるか。そこが何より面白そうだと思います。無職の24歳。一体どんな目で見られるんでしょうか。楽しく生き活きと過ごせたらいいなぁ。生活っていうくらいだしね。生き活きしないと、生きてないみたいじゃないか。
というわけで、2011年もガッツリ好きなことやって好きなようにいきましょう。
2010年
12月
25日
土
クリスマス過ぎた
久々に日記書こうと思って開いたら、前回の記事がハロウィンネタだったのにビックリ。
2ヶ月近い放置。いやぁ、ブログっぽいなぁ。こう、忙しくて更新できませんでした!みたいな言葉が出てくると余計にそれっぽい。
12月入ってからだったか、その前にtwitterに登録しました。皆やってるし、流行ってる時期もちょい過ぎたということで入ったんですが。いやぁ中々に使い勝手が良い。140字しか打てません。っていうのが単純で良い。色んな人の思考の断片が、ワラワラと表示されるのも新体感です。整理されてない考えっていうのが、脳みそにムチを与える感じが新鮮。
チャットとも似た感じだと思うのですが、1対1でまともに議論しようと発言する間に、他の人の言葉でさえぎられるのがまたタマラン。広ーく色んな意見が一堂に集まって、好き勝手に言ってる中から「こいつは!」と思う人達をピックアップするのも面白い。言葉の波に飲まれて、頭がボケボケになる時も多々ありますが、「自分」は一体どういうものなのか固めていけるのが何よりの収穫。自分に出来ること、出来ないことなどを、一喜一憂しながら定めていけそうな気がします。
さて12月に入って思ったことなんですが、外で作業してると全然寒くないですね。たちっぱなしのせいなのか、指がちょいと赤くなる程度ですんでるのは意外です。シンナーを使う作業してるので、多分脳みそに若干の影響が出てると思うんですが、その弊害かな?ゆうきようざいまじきくわ
作業中に時々知り合いや友人の方々と会うのですが、その時はやっぱりホッとして元気出ます。人と話すことは、私にとってはエネルギーになるようです。彼らが去ると、脳内で「GETWILD」と「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」と、「セクシーアドベンチャー」のヘビーリピート。時々、鼻歌で「私とワルツを」や、「大神サウンドトラック」が流れるようになります。
といってもやってることといったら、ボンドを塗りたくったり、パテを塗りたくったり、アスファルト作ったりするくらいです。グラフィックデザイン専攻とは思えない材料のオンパレード。
そんな感じで今過ごしてます。就職はどうなんだろね?さっき風呂場でめちゃくちゃ不安になったけど、ボランティアとか真面目にやってみようとか考えたりしてます。元手もないけど、今は行き当たりばったりでいくしか無いんじゃなかろうかな。それじゃまた今度お会いしましょう。
2010年
10月
31日
日
ハロウィン
でしたね。
大学の方でサークルがやると聞いたので、準備していかせてもらいました。
今年は土日が30,31日という事で、予定自体が早まったようで、あたふたと用意をしていました。私の周りの人達もですね。すごい気合いの入れようで、頼もしく見てました。服をゼロから作るとか、なんですか、神の成せる業としか言いようがないですね。凄いよ皆。私は学祭の時に買った服を流用したんで、作るのは小物だけでした。スタイロフォーム最高。
それにしても今年は仮装人員が少なかったのが、少々驚きでした。多摩美と武蔵美の学祭が近かったせいかな?
まぁそれはともかく、仮装してる人達は実に良かった。デジカメを忘れたのが痛恨でした。その日に限って忘れるとか、そんな約束は守らなくていいのにね。
ジブリ関係の仮装をしたのが後輩達なんですが、正直すごかった。どれも再現度が高い上に、仮装する人達の雰囲気に合ってた。自然だったもの。あまりにも当然の空気感で違和感がない、なんてことがあるんですね。内ひとりに関しては、ツイッターと連動させて仮装してました。カオナシには負けたよ。メチャ似合ってたぜ、皆。
私は性懲りもなく女装ですよ。顔はマスクで隠させて頂きましたが、ね。なんかもう、抵抗ないのが逆に面白い。さぁここで小中高校の俺を知っている人達、想像してみよう。あの時の俺が、女装ですよ。「いつかやると思ってた」とか思ったやつ、ちょっと話するか。
学祭の時にマニキュア塗って思ったことも含められるんですが、不思議なもんでキッチリ準備すると、そこに目を向けてもらいたいと思うんですね。マニキュアがきれいに塗れた、だから見てほめてほしい、ほめ殺してほしい、といった感情がわき上がってきましたから。一方通行な感想ですけども。
だから仮装すると、やっぱり見てほしくなるのは当然なんでしょう。すげーリアクション欲しかったよ。女装だったけどね。お祭りじゃなきゃできませんよ。写真いいですか?って聞いて撮ってくれた方、ありがとうございます。ちゃんとポージングしてあげられなくて申し訳ないです。もしも次があったら、きっちり迷いなくやるよ!
さてじゃぁ画像を載せさせてもらいましょうか。本当に女装したっちゅう証拠に。女装が苦手な人は回れ右か、スクロールして飛ばして下さいな。
この通りですよ。しかし、写真あげてる時点で相当アレになってるね。胸がドキドキするよ。超気持ちいい。
頭に載ってるシテヤンヨを作った訳ですが、わかりづらいですね。製作期間は3日。しんどかったけど、楽しい時間でした。ああいった気味の悪いキャラクターは大好物です。スタイロフォームを削って、エポパテを盛り、ガッシュで色を塗った訳ですが、下地を施す時間を作れずにじかに色を塗ってしまいました。おかげでガサガサの手触りに。しかし、遠目から見れば違和感は無くなったので成功と言えるでしょう。マスクの上に取り付けるのも、色々と苦労しましたが、友人の手を借りて無事に装着できました。ありがとう!ただ、後ろから見ると新種のクモのように見えるらしく、ある意味ハロウィンらしくなったように思います。
なによりハロウィンなのは俺だっていいたいんだろう?わかってるよ、そんなこと。
持つべきものは友達です。みんな優しく接してくれました。そのなかでも特に一人、ノリノリでほめてくれましたよ。お気に入りが肩から胸にかけての筋肉ということをおっしゃってくれました。あとは、頭部と下半身が取り替えられれば、とも。残念、娘溺泉(ニャンニーチュアン)は存在しないんだ。
しかしちょっと不思議なのが、その筋肉。実はダンス練習の時からか、妙に発達してしまった気がします。体はガリガリなのに、胸の中心から肩にかけては微妙に肉が着いたのです。男らしいのかそうじゃないのか、判断に苦しみます。細マッチョよりも細いから、気にするだけしょうがないですけどね。
あと、写真もらって初めて気づいたのですが、胴の薄さに我ながら引きました。ドン引きです。画像操作でもしたんじゃねぇのってくらいペライんだもん。おかげで2.5次元と言われました。わーい。あとパンダマスクが怖い。
さて、こんな感じでハロウィンを過ごしていました。外は極寒でしたが、今の所元気です。女装なんて、なんだい!と言った所で締めさせて頂きます。仮装は楽しい。
2010年
10月
24日
日
もはやへろへろ
お久しぶりです。
実は22、23、24日と大学祭があったのです。初日は事情があり出られなかったので、2日目からの参加となりました。現時点で4年なので今年で最後となりました。
23日はダンスを踊ったのです。長らくやっていたZOO団という集まりだったのですが、前日に練習参加できなかったせいか、かなり息があがってしまいました。練習不足とか、言わない。しかし、最後ということもあり、今まで見てくれた方々にもお越し頂いて、とても充実したものとなりました。ありがたいことです。女装するのも、もう慣れたね…。
24日はマーケットに参加している友達のブースにお邪魔させてもらえて、似顔絵を描いていました。次々とお客様に来て頂けて嬉しかったです。人と話せる機会をもらえる上に、描いた絵で喜んで頂けるのは、最高に充実した時間でした。ブースを使わせてくれた友人に感謝の絨毯爆撃です。
2日続けて大学に行ったのと、ダンスの練習などで着々と蓄積してきた疲労(率先して動いてくれていた友人達の方がつかれているはずですが)、慣れない似顔絵描きのラッシュのせいかへろんへろんです。一気にどばっと出て一日中気持ち悪くなるのはもう嫌よ。ならないように祈ります。
上の画像は今日の似顔絵描きの時のものです。一応どんな絵を描くのかサンプルとして芸能人などの絵を飾っていました。しかしまだまだ描くのが遅く、お客様に足止めをさせてしまった感があります。精進していきます。
マニキュアが塗ってあるのはステージの名残ですヨン。全然落ちないんですね。ビックリしました。乾いている最中はあんなにも心細い柔らかさだったのに。
それからこの指のまま帰ったら、両親から意外な好反応が帰ってきたのが二度ビックリ。なんだよそれ。ちょっと嬉しくなっちゃうじゃないの。付けるわよ。あと父が「俺もやってみるかな」と言ったのに3度ビックリ。止めないけどさ。
そんなこんなな2日間、なかなか実のある収穫ができたと思います。やっぱりお祭りは楽しいね。
2010年
9月
28日
火
長い間
書いていなかった気がします。
実際にはそんなに空いていないはずなんですが、時間の感覚とは不思議なもんですね。
ちょっと前に海の哺乳類展に行ってきました。午後にちょうど大学に行く予定もあったので、よし午前中に見てしまおうと出かけたんです。
その日はちょうど雨で、
「これならわざわざ見に来る人は少ないんじゃないの?ラッキー!」
と、思っていたのですが博物館の方へ進んでいくに連れて、人がどんどん増えていくではありませんか。
「祭りでもやってんのかな?それにしても小学生くらいの子を連れた家族が多いな…」
平日にわざわざ学校を休ませて、博物館に連れて行くとはなかなか粋なことするじゃないの、パパママ達!と思いながら博物館入り口に着くと、そんな子連れがわんさかわんさかいたのです。校外学習を独断専行してる親御さん勢揃いだね、というにはあまりにも大人数。
「学校にきちんと通わせた方が良いんでない?」
5分前とは真反対の感想を(脳内で)述べながら並びました。それにしたって子どもが多すぎる。学校をなんだと思ってるの!?と内心いらだつフリをしつつ、周りの会話に耳を向けてみるとなんと祝日だったことが発覚。とんだ道化だね。玉乗りでもしようか?
そんなアクシデントもありつつ、無事入館。いやしかしとんでもない人の量だったね。展示品なんか見えやしませんよ。吊り下げられてる骨格くらいしか見えなかった。ゼウグロドン、意外とでかかった。
家族で来てる人達よりもよっぽど身軽に動けたのは幸いでしたね。「はぁ、ほぉ〜、これはなかなか…」と、知識人のふりをしつつ全ルートを走破。多分一人で来てた人ってそんなにいなかったんじゃないかな、当日は。アベックとかもそこそこ見かけましたね。子ども達に囲まれて大変だっただろう。へへへ。
そしてガシャポンやって終了。ナガスクジラのノーマルとシークレットが当たりました。まだ空けてません。
さてそして、サークルの後輩がイラストを描くように仰ってくれたので描いてました。ピクシブの方にのせてあります。サマーウォーズのキングカズマとラブマシーンです。どうやら後輩達のお眼鏡にかなったようでホッとしました。楽しかったよ。
やはり誰かが喜んでくれるようなものを描いたりするのは嬉しいですね。私の場合はどうも、(他の人が喜んでくれる)たぐいのことをするのがやはり好きなようです。それで自分も気持良くなるし、一石二鳥だと思います。
ただ、その時に「なあなぁ」に物事が進んでしまわないようにしたいですね。気をつけないとすぐにきがゆるんでしまう性格なので、ゆるゆるのフンドシをギッチリ締めます。じゃないといろんなものがでちゃう。
ちゅうわけで、何でも描かせていただきます。どんなもんでも描く所存です。エロでもグロでもどんとこいや。逆に言えば、言われるまでは何もやらんというのを公言してる訳だね。まぁ、いいってことですよ。
それじゃこの辺でおやすみなさい。
2010年
8月
24日
火
おお
実に貴重なのはこの熱い感情の流れよ。これこそまさに生きている感覚。
ちょいと書き物をしてる時に、「そういえば俺って成長してんのかな」などど若者らしく急速に自分の今までの人生を心配してしまう事態に陥ってしまい、昔使ったクロッキー帳を根こそぎ見ていったところ、「以外となんとかなってきたもんだ」と思い、この文章を書いている訳です。
自分が昔「これはイケルな。天下取れるだろ!(真顔でSAKEBU)」とか思って描き残しておいたものの、まぁつたないことと言ったらそれこそ天下が取れる勢いってなモンです。
しかしですね、過去残しておいたものの中には今の自分が思いつきもしないような代物も確かにある訳です。だからと言ってすぐに売り出すネタにできる!というわけではないのは当然ですよ。だって見ててわからないんだからね。しかも当時はどうすれば練れるか、それすらもわからなかった。
だけれど、今なら少々は練れる。納豆で言えば、10回かき回した状態くらいまでは練れます。プロは多分ペースト状になるまで練るんでしょうけど、いずれ時期がくるまで保存しておくというのがようやっとわかった気がします。まさに漬け物。
そして、明日にはよくわからなくなっている。それが私。
勢いでここまで書いたものの、恐らく今の熱い気持は一日寝ることで、私の中のめ組に消火させられていることでしょう。
我ながらいい性格してるよなまったく。
2010年
8月
05日
木
びっくり
するほど不快な夢を見た。
顔はおぼえてないんだけど、夢の中で俺は誰かに恋したらしいんだけど振られるのさ。現実のごとくね。
振られ方は憶えてないんだけど、とにかくそうなったあとに、俺は卒業式に出ないといけないってんで駅に向かって走るんだ。
その時に「そういえば作品がまだ出来てないんだった」、「でも卒業式に出ればなんとかなるだろう」っていう訳の分からない論理に支配されながら全力で走るんですよ。
と同時に先ほど振られたダメージが洪水のように記憶から湧き出てきて、脱力感にみまわれる。
そして電車に間に合わず。俺は歩道の上で仰向けになりながら目を覚まして、ソファーから起き上がり耳かきをしながら「ひどい夢をみた」と言った。
ここまでが夢。
ソファーで寝るとなぜ悪夢になることが多いの?
ソファーは寝転ぶものじゃなくて、座るものだからって言いたいのかい?
前見た内容は、胃から食道に猛烈に不快感がある夢でね。
ゲップをするたびに、のどにあるようなネバネバの塊がぎりぎり息を妨げない程度にちょっとずつ出てくる、っていう夢だったよ。
起きたら口の中は酸っぱくてうんざりだったよ。
短時間睡眠にはもってこいのソファーなのに、見る内容があまりにも反比例するのは、どうにかなりませんかね。
2010年
8月
01日
日
ごぶさた
しておりましたね。
平凡に、平和に、健やかに過ごさせてもらいました。
まさに人生の黄金期。
これからメッキが剥げるかどうかは、私次第!
どんなメッキかは知りませんがね。
さてさて、学校があった合間に手持ち無沙汰になりまして。
「こねくりまわせる可愛い子ちゃんはどっかにいねぇもんか」
と探した所発見。即こねくり回した結果こういうのができました。
可愛いでしょう。
別角度からまた一枚
セクシーでしょう。
また別角度から。
HOTの一言につきます。
生き物のそれっぽい角度ですね。
次はイッキ載せ。
タミヤのエポキシパテちゃんを初めてこねくったところ、非常に柔順ないい子でした。
あれよあれよと形が作っていけるので、フィーリングでやってても全然問題なし。
超気持ちいい作業感。
机の上をドラゴンみたいなもので一杯にするんだ。
その第一号兼実験ちゃんですね。
何となく角度が微妙なのはですね
目が合うようにしてあるからさ。
あと、これを見て男性の根的なものを想像してしまった方…。
素直、純粋、汚れない精神の持ち主とお見受けします。
こんな様々な陰謀渦巻く現世にいては、精神が汚されてしまいます。それはあまりにも悲しい話です。
そうそうに富士の樹海から天に昇られ、神になりますよう、お祈りしております。
2010年
7月
17日
土
ヨヨヨ…
と泣く。
訳がないですね、ハイ。
なぜならば、感動しないのでね。
おしいなぁ。泣きたい時は泣いて、怒りたい時は怒って、笑いたい時は泣いて、と素直にすりゃぁいいんですよ。でも、まぁ人と比べるのは意味がないのですが、人並みにそこそこ心を動かすようにしておけば適当に感情を出せますよと、いうことですね。
訓練になりますからね。モノを見る時の。
話は全く変わって、昨日ハウルの動く城がやっていましたね。
なんだか、ストーリー的にはキツキツに感じましたが、キャラクター達が良いので全然問題ない。
ソフィーの声が渋すぎるとか、キムタクの声がうんぬんとか、昔言われていた気がするのですが、何ら問題ない。
いいですね、ソフィー。いいですねハウル。
声優のように、きっぱりとしっかりと聞こえなくて良いじゃない。
ゆるゆるした感じが、絵柄に人間味を与えているじゃない。
キャラの背景にその人生が見えるようじゃないですか。特にソフィー。
良い仕事ですね。素晴らしい。
ああいった仕事、心意気、身につけたいですね。言ってるうちは身につきませんけど、さて。
あぁ、それからこの日記以降から、一人称がコロコロ変わるようになると思います。
私,俺、僕,我、自分、わし、我が輩、拙者、あたし、あたい、その他諸々。
気分更新だったら別に一人称が何になってもいいかなぁと思いましてね。
ということです。
2010年
7月
08日
木
かねてよりの
ウォーキングウィズダイナソーを見てきました。
アレを小さい頃に見れる、今の子ども達は良い経験をしたと思います。
CGと違って、やっぱり実物は見応えがありますね。
皮膚の質感で「うん?」と、感じたりする時もありましたが、それにも増しての迫力。
エンターテイメントを味わわせてもらいました。
あれに関わることの出来た人達がうらやましいです。
あんな仕事成し遂げちゃったら、仕事しなくなっちゃいそう。燃え尽きて。
良い刺激もらえた。
けど、感動しすぎたせいか同時にどっと疲れてしまった。
でも見れてよかった。
やっぱりあんな感じの生き物が好きなんだなぁ。
2010年
6月
18日
金
メジロが
巣を作っていたのですが。
どうやら、ひな達がすでに大きく成長していた様です。
しかし、今日一日観察していて、見ているこっちがひやっとする場面ばかりで驚きました。
ひなは大体、巣から出たあとよちよちと、危なげに枝を歩きながら、ジャンプ力を鍛えるようなのですが、今日見たひなはそれが出来ていなかったようで。
途中でずっこけて、地面に落ちてしまったんです。
彼(彼女?)は大変驚いたのと、痛かったのでしょうか。
周りをキョロキョロ見渡したまま、なかなか動かなかったんです。
そうしたら、メジロの親が騒ぐ騒ぐ。普段ほとんど鳴いている光景など見たことがないのですが。
チチチチチチチチチチチチチチチと、他の鳥などの囮になろうとしているのか、心配でげきを飛ばしているのか、大騒ぎです。
ついでに落ちたひなのまわりの枝にひっきりなしに止まって、しかしひなが自力で立ち上がるように見守っていました。
そのひなは、短い距離なら飛べるんですが、いかんせんとんでもなく低空飛行になってしまううえに、体力の消耗が激しいせいか、一度降りるとなかなか飛び立とうとしないひなでした。
あっち行ったと思ったら、壁にゴン。こっち行ったと思ったら地面にヘッドスライディング。
そしてまた飛ぼうとしたら、私の足下の近くにあったサンダルの上に不時着です。
それで休む。疲れて動けないから。あと、人間が近くにいるのが怖かったんでしょうか、飛びはじめてから、初めてピィと鳴きました。
いやしかし、人の近くに止まってしまうのはマズいだろう。野生の動物として警戒心を持とうよ。
でも、そのおかげでじっくり観察することが出来たんですけどね。
以前見た、別のメジロのひなよりも心持ち小さいように感じました。今回はゴルフボールくらいの大きさです。
それでまぁ、苦労してそこから頑張って木の上に上って、親鳥の声がしなくなったので、さすがに飛び立ったか、とおもって二階の自室に行ったら。
窓から見えたのは、上っていった木の上で休んでる。しかも、親からご飯をもらっているひなの姿が。
いやいや、独り立ちできるから、巣から出たんだろう?
なんでまだそこで飯をもらう?
というか、出るのが早すぎたなら、一旦巣に戻りなさいな。
という、見てる方からすると突っ込みどころ満載な光景でした。
ちなみに、もう一羽ひながいたのですが、こちらはまだ要領がいいのか、その木まで自力で上がってました。
親鳥からご飯をもらってましたけどね、最初のひなと一緒に。
だから早いって、出しゃばっちゃ駄目だろう。せめて、飛べるようにはなろうよ。飛べてないじゃない。
そのまま30分くらい、その木の枝を飛び移る練習をしながら過ごしたあと、無事に親共々飛んでいきました。
その時に1羽。むかいのアパートの壁にゴンとぶつかって、へろへろ落ちていきました。たぶん、最初のひなだと思うんですけど。
親が一羽戻ってきて、様子を確認したあと、2羽でしっかりと飛んでいきましたけどね。
なんというか、野生の世界でこんな光景があるっていうのが、信じがたかったです。
野生って、いつ死んでしまうか分からない世界だし、その中で隙を見せるなんて自殺行為そのものな訳で。
けっこう、向こう見ずというか、性格ってきちんと備わってるんだなぁと感じました。
それから、親の子どもに対する関心、みたいなものは凄いと、改めて思いました。
最初に上手く飛べなかったひなが、段差の近くに落ちた時に、その段差を一段一段ぴょこぴょことジャンプして、またひなを見るんです。
一気に遠くまで行こうとするな。着実にやれば出来るんだ。と言わんばかりの行動でした。
でもひなは無視してるんですけどね。あさっての方向向いて休んでる。
子育ての難しさまで見れてしまったような一日でした。
2010年
6月
11日
金
またもや
考え込んでしまう周期に入った様です。
色々と気にかかっていることの、それぞれの表面には出てこない共通点を見つけ出しているようです。
まったく、頭がグルグルと回って、湯気が出てきてしまいそうですよ。
大学から出たあと、就職したとしても、こんな風にグルグル回り続けるのでしょうか。
こういう時の、心の在り方は大抵、「あれもやらなければならないこれもやらなければならないとまっていたらぜったいにまずいまずはとにかくわからないままでもうごくしかない」と、書いたように急ぎすぎなんですね。
きちんと相手に伝わるよう考えられず、一つ一つ言葉を変換せずに、一気にやってしまおうという、わがまま。
しかも、後ろ向きにしか発言していない。
「あれもやっていい。これもやっていい。」と、こんな風に普段からできれば、いいですねぇ。
身の回りで、出来ることをする。
自分を否定せず、着実に、確実に、しっかりと進む方向を見据えていく。
しかし、私の足下は少々崩れ気味になってきている様です。
それも一つの見方なのでしょうが、やはり焦ります。
さて、これから先を楽しめていけるかどうか、その土台を作る栄養がまだまだ足りないようなので、なるべく早く根をはっていきたいと思います。
2010年
6月
06日
日
世の中って
つかみづらい言葉ですね。
この間調べものをしに、図書館に行ったんです。
目的のものをいくつか見て、ついでに他の本もあさったんですが…。
あさりはじめて10分位したら、なんだか猛烈に疲れてしまったんです。
なんだか、余計な情報に振り回されてしまったようです。
例えるなら、文字の海に投げ出されて、そのままもみくちゃにされてどこまでも流されてしまうような、そんな感覚でした。
それから、自分に必要なものっていうのは、やはり周りの状況から自ら感じ取っていかないと、まったく身についていかないものだとも思えました。
本を読むのは、いざ自分が相手に分かりやすくモノを伝える時の、言葉を見ているのであって、自分が欲しいものは実体験しかないと、本を読んでいて感じたのです。
もっとたくさん色んなものに出会い、何か感動を得なければ、つまらない感想しか持てなくなると言うのは酷です。
ただ、なんというか、その感動を得なければならない範囲がとてつもなく大きくて、少しひるんでしまいました。
だから物書いて生きてる人とか、ばりばり絵が描ける人って、凄いなぁと思うんです。
やっぱりもの作ってる人達は、なんつうか人生経験が豊富なんじゃないかと。
サイヤ人みたいな体質なんじゃないかと。
ますます、自分は毎日怠惰に生きてきたんだなぁと、打ちのめされそうですよ。
どうしようかなぁ…、本当に参りましたよ。
なんでたかが本を見にいって、ここまで打ちのめされにゃならんのだよ…
そして、日曜の夜になってから、「明日どこか遠出してみるか」とか欲が出てくるのか。
もっと早めに来なさいな。
2010年
6月
03日
木
久々に
会えた友だちと、遅くまで話し込んでしまいました。
同じ4年生なので、まぁ就職の話だったりしたんですが、色々と考えが出すことが出来ました。
とても有意義な時間を過ごさせてもらえて、ありがたいことです。
自分の指針と言うか、これからどうするか、といった部分の思いが、話しているうちにかなりはっきりしてきて、最終的にはどんな風になっていれば満足できるのか、といったことまで突っ込んでいけました。
胸につかえていたモヤモヤが、収まる所に収まりそうです。
段階を踏んで、自分のやりたいことを好きなようにできる状況を作っていきたいですね。
2010年
6月
02日
水
ふらふらと
意識をただよわせて、歩いてみても面白そう。
カプコンは駄目でした。連絡がなかった。
まぁ、おかげでパース云々に興味が行ったのでどっこいどっこいといった所でしょう。
最近、知識が増えれば増えるほど、余計な心配をしやすくなっていくんじゃないかと思いはじめてます。
もちろん、過去の膨大な人々が、研究を重ねて書き記したものや、それをもとに発展していった現代の法則やルールはあります。実際に、自らに重ね合わせられる記述があると、とても心強く思えて、正しくみえると思います。
ですが、どうにも私自身があまのじゃくのせいか、本当にそれでいいのか?と勘ぐってしまうことが多くなりました。
とかく、識者、博士、大家、といった方々が書いたものは、無条件に飲み込んでしまいそうになります。
はっきりと言葉にはできないのですが、無条件でひれ伏すというか、言うことを聞くというか、そんな縛られている感覚に陥ります。
でも、いくら本に書いてあっても、講演をしていても、それはその張本人が得心がいっただけだと思うのです。
そういった先人達の積み重ねたものの結晶である、科学や医療などを否定する訳ではないのですが、与えられた情報を、そのまま飲み込むのは自分に対して無関心すぎやしないかと思うのです。
不用心とでも言いましょうか、自らの生物として生きていくための感覚が鈍っている気がして仕方がないのです。
自分が生きていくために、これは必要、あれはいらない。そういった直感的な鋭さ、敏感さが十分に働いてない気がします。
そしてそれは無意識で行われることで、くだらない心配事から解放してくれるのではないかなぁと思っています。
私はまだまだ直感が働いてないですね。必要な知識と不必要な知識の選別、精進します。
また電車の中で描いてました。
フォトショで邪魔になった線は消しました。
いらん描きこみがあったりするのは、変な欲があるからですね。
悟れ!
2010年
5月
27日
木
遠近法とは
関係ないんですけどね。
上のはアレです。いつも通り、電車の中で描きこ描きこしてたやつです。
大きい樹が描きたくて…。
そしてそういったもののある世界の広さが描きたくて…。
まぁあんまり上手く行ってないんですよ。ご覧の通りの有様です。
幹しか描けてなーい。計画性が足りなーい。
一発描き果てしなく難しーいということでね。はい、そんな感じの一枚になってしまいました。
精進します。
今日は久々に本とCDを買ってウハウハしながら家に帰りました。
本当に楽しみですCD。雅楽。
雅楽なんて、小中高の音楽の時間にしか聞いた記憶無いですよ。
そういえばクラシックで魔王とか聞いたなぁ。私以外爆笑の嵐でしたけどね。
あとケチャも聞いたなぁ。私以外爆笑の渦でしたけどね。
雅楽を聞いた所でリアクションしづらいとは思いますけどね、授業じゃぁ面白くないんだもの。
ただ、街中でズンズンジャカジャカ流れてくるやつ曲よりも、私としては雅楽とか民族音楽とかの方が、なんかこう、あの世が見えそうで好きなんです。トリップしたいのです。
トリップするにはやっぱり、音が聞こえるといいのです。人の声がある場合も、極力人の声が、声として機能するのではなく、音として機能してる方が良いので、だんだん歌詞がない方を集めていくようになってしまうのです。
だから、コンピューター上で制作された音楽なんかも、ちょっと気になるものがあったりするのですが、そちらにはまだ手を付ける段階には至ってないのです。
大友克洋さんのAKIRAを小さい頃から見ていたせいか、最近熱がぶり返してきまして。
AKIRAのサウンドトラックは聞いてると本当に気持ちよい。心地良い。トべる。
おすすめですよ。一度キめるとクセになります。げへへ。
2010年
5月
25日
火
遠近法って
本当に難しい。
一点透視、二点透視、三点透視図法ですけど…。
ちょっと思う所があって、意識的にやってみたら描けないこと描けないこと。
もう、笑えるくらい描けません。
駅のホーム、ネットの画像、参考書など見て描いていますがいやはや。
こればかりは描くしかないですね、本当に。
描いてる最中に、何となくどうにかなるんじゃないかと思える時が多いので、おそらく枚数が答えを出してくれると思います。
これが出来るようになったらあれですよ、紙の上で世界が広がりますよ。
はがきサイズの紙の上に、東京都心が姿を現しますよ。
どれくらい先の話かはさっぱり分かりませんがね。
2010年
5月
20日
木
カプコンの
選考会に行ってどれくらい経ったかというと、三日ですね。
一週間くらい前の気がします…。
まぁそれはおいといて。
粘土をどうしても上手に使いこなすことができません。
実際に紙粘土でフィギュア作ってる人のサイトなどを参考にしてるんですが、全く上手くいきません。
心が半分折れました。
なのでパテを使うようにしているのですが…。
何度も何度もすき間を埋める作業の繰り返しです。
なんでしょう、賽の河原にいる様です。
もっとなぁ、サクサクと作って脚光を浴びるようなイメージだったんだけどなぁ…。
仕方がないですね。
と、これくらいどうでもいいようなことしか書けないくらい、何にも起きていませんが私は元気です。
2010年
5月
12日
水
とどこおりもなく
毎日は過ぎていきますね。
もう5月の中盤にさしかかっているのは、なんとも。
時間の経過が本当に早くなってきました。
一日が早くすぎるように感じているのは作業中だけとおもっていたのですが、そうでもなくなってきた様です。
ただ、時間に縛られずに日々を過ごせると言うのは、とても気持のよいものですね。
過ごしていれば、一日は終わる。
自分の思ったことを、思った時に、飽きるまで、自由に体を動かして、ひとつひとつ、ただただ解決していけるのは本当に贅沢だと思います。
体からの不調の声は聞こえず、やらなければならない義務も無く、ただ生きるために時間を使うことの、どこにケチをつける必要がありましょうか。
宮沢賢治が残した『雨にも負けず風にも負けず…』の言葉は、まさに悲願です。
おそらく、今年で24になる私の体は、これからの人生の中でも、一番体にエネルギーが満ちている状態で、精神と身体のバランスが絶妙な関係を保っていると思います。
無理をさせず、学習していく。
それも使わなければ意味が無いんですけどね。
ちょっとだけ「生きている」という意味の片鱗が、見えたような気がした一日でしたね。
でも外には出てないんですけど。ザ、ヒッキコッモリ。
2010年
5月
06日
木
車の
免許取れました。
2月からやっていたのですが、ついに終わった。
もう、空いてる隙間をぬって教習所に行かなくてもいいのは、気分的に楽です。
あとは保険に入るだけ。
これはすぐ終わるみたいなので、そのあとは運転して経験を積んでいくのみですね。
安全運転心がけていきます。
最近、「作品」と「趣味のモノ」の判断がつかなくなってきたというか、付けづらくなってきたんですが、皆さん何か基準みたいなものはありますか?
いまのところ、かろうじてある基準が「人目につくようにしているのが作品」で、そうでないのが「趣味のモノ」って感じなんですけども。
そもそもあまり、今まで「作品」としてキチンと責任を持って、発表(提出)していなかったのが原因かもしれないのですが、そのせいか「人に見せることのできるレベルの作品」という自負をもてていないのです。
作品とか創作物というのは、制作者からの問題提起や、思想、自己満足といったような様々な思惑が、こめられてしまうと思うんですが、特に「自己満足」の部分が強いと思う訳です。
他の人には出来なくて、自分だけにしか出来ない。自分は特別な人間だ。
私はこれに考えをこめるだけこめて、しかも伝わるように仕掛けを作った。だから見てくれ!
といったような部分が少なからずあると思います。そして、自分を伝え、相手になんらかのアクションが起きることを期待して作る所までいって、「作品」と呼べるんじゃないかなぁと。
自分の作った物が人に与える影響に対しての、大げさでなくともいい「自負」といいますか、それを作り上げることの出来た自分に対する「自信」がなければ、作品として発表するには覚悟が足りないのではないかと、考えている訳です。
一方趣味でやるっていうのは、自分だけで完結するので、下手だろうがなんだろうが構わないはずなんですが、中途半端ではダメだという、規律というか拘束というかそんな感じのものが内側からせりあがってくるわけです。
そうすると、しっかりやり尽くさねばならない。誰も追いつけないようにしなければならない、といった方向に進んできて、結局息抜きではなくなってくるんです。
どこまでいっても満足してはいけない(ゴールが見えない)ようになって、自分よりも上手い人、良い物と比べていく螺旋階段を延々とあがっている気分になります。
そうすると、「作品」の時の心の在りようと、「趣味のモノ」の時の心の在りようの差が、ほとんど無くなってきて、最終的に「作品」と「趣味のモノ」の差がわからなくなってしまうんです。
だから、今自分の作っている物が、果して何なのかよくわからないのが現状です。
まぁ、一つ言えるのは長く説明をして、自分の中で安心しようとしている不安があるってことですね。
自分を過度に信用してないから、自信がつかないんだよなぁ。読んで字の如くです。
2010年
5月
05日
水
ゴールデンウィークも
今日で終了ですよ。
最後の日らしく、贅沢に使ってしまいましたよ。
作業をし、昼寝をして、また作業をし、昼寝をしてのループ。
なんと、なんというブルジョアな時間の使い方だ…!
しかも、こんなにすごしやすい日にやってしまうなんて、最高の気分だ。
今日ばっかりは無駄使いしたと思う余地はないです。
アレやっておけば良かった…これやっておけば良かった…、そんな風に思わない日は最高。
そういえば、日記をこんな風に書いてるけども、何かこう、物足りない感じがするんです…。
うんちくがないからかな…?
あまりにも身の回りのことばかりで、独りよがりになってるからかな…?
なにかあれですね。ためになる所と言うか、読んでよかったと思えるような文章がいいですね。
プライバシーの延長線上であるこれに、そこまで手を入れるべきなのか、考える所でもあるんですが…。
やっぱり面白いものが見たいなぁと、思って私なんかはネットサーフィンしますし。
だったら面白いもの書いた方が得じゃないの?とも思う訳です。
そうなると毎日、面白いものを積極的に探していかないとダメですね。
アンテナ広げて、受信する幅増やして、常にドンと来いモードでいなければならないと…いうことですね…
おお…やっぱり手間かかるなぁ…
そこに面白さ、楽しさ、快感を求めるようにならないと出来ませんねぇ。
継続できるほどの中毒性を、得られるかどうかにかかってきますね。これは。
でも皆やってるんだろうなぁ…。そういうことやらないと世界広がらないから。
怠惰癖がついていると、どうにもいかんですね。
というかネットサーフィンて書いたけど、やっぱり外出た方が圧倒的に情報量違うんですよね。
それはなにもモノの多さだけではなくて、五感プラスαで感じる全てのものがもう、ズカズカと体の中に入り込んできて、頭の奥底をジィンとしびれさせて、冷静に自分の状況を含めた環境を、判断する力が麻痺してくるものですから。
そのぶん、なにかこうパソコンの画面からは得られない、生き生きとしたモノの存在感と言いますか、そうしたものを生で感じられるのは非常にありがたい話な訳ですよね。
だからやっぱり、外にはなにかしら理由がなくとも、散歩に出るのは非常によろしい訳です。
残念ながらGW中には少々、出る余裕が作れなかったせいもあって、今は体中ネ電子情報のみで構成されてる感じです。
だから、明日から外に出るもの!決めた!
2010年
5月
02日
日
暖かい
日が続くのは最高です。
作業がしやすいのはもちろんのこと、気分が良い。
元気が出る。活発になる。
こんなのが小春日和とでもいうのでしょうか。
春はこうであってもらいたいものです。
季節折々の天候も良いのですが、短いスパンで冬になったり夏になったりというのは、さすがに季節を楽しむ余裕ができません。
だからゆったり暑くなって、ゆったり寒くなっていってもらいたいですね。
最近は、体の具合がとても良くて、お腹の具合が悪くなるということがほとんどありません。
健康な、というか、自分のわがままがきく身体とはいいものですね。
その反動か、体調管理がゆるゆるになってしまっていて、体からのサインに気づきづらくなっています。
少し前は、ほんのちょっとでも刺激が強かったりすると、すぐに具合が悪くなってました。
食べ物で、例えばカレーだったら、それこそスプーン一杯食べるか食べないかの差で体調に気づけました。
今はなんというか、頭は感覚として「ここまでにしてね」というのが残っているのに、体が「ちょっと疲れるけど、まぁ大丈夫」という感じで、色んなことをこなしているかんじです。
だから簡単に無理が出来てしまうんですね。これはあまり良くない。
少しずつ少しずつダメージを蓄積しているんですから、何かキッカケがあればどっと吹き出してきます。
おっかないなぁ、もう。
だからまぁ、できるだけ夜更かししないで眠る癖をつけたいです。
夜は楽しいけど、朝やれっちゅう話ですね。
話の終着点がどこに向かってんのか、よくわかりませんね。
2010年
4月
28日
水
作る
ことって難しいですね。
なんだかそれを強く認識することが、最近多くなってきました。
まぁ、頑張りゃぁ本当は何とかなるんでしょうけど…。
一筋縄じゃいきませんね。
面倒くさがりで飽きっぽいと、なかなか前に進まないのが悩みの種。
進んでんのか、引き返してるんだか、よく分からないのもむずがゆい。
今まで経験してきたことを足跡にしてみたら、面白いことになるんだろうなぁ。
地団駄を踏んでる所がたくさんある気がします。
あと行って戻って行って戻ってでぐるぐる回ったりしてる部分があったりで。
それから、絶対にふにゃふにゃな歩き方になってると思います。
蛇行運転ですね。
普通に伝わるようにやるのって、難しい。
でもそれできないと、良くないよなぁ…。
ブレーキを上手くかけるようにしないと、とんでもない方向に行っちゃうんだもの。
近くの駅に行こうと思ったら、富士山に向かってたくらいの飛躍が多いみたいで。
きちんと目的地に着けるように、自分をナビゲートしたいなぁ。
よくまぁ皆出来るものだ。私もなるべく早くできるようになりたいです。
2010年
4月
25日
日
ららら
楽描いたうちのひとつ。
むっすり、というか、ぷんすか、というか。
表情は難しいですね。
クリックしたら大きくなったよ。
でも、こんな表情がだせるのは、紙の上だけだと思うのでしっかり練習せねばなりませんね。
ここ2日ほど、親せきで集まる用事があったので参加していたんですが、なんだかエネルギーが凄い。
私の周りの人達は、みんな大酒飲みで、おしゃべりが大好きで、いつも笑ってる人達なんです。
たまにしか会わないせいか、一度会う時の密度が濃いのです。
人生楽しんでいる、というか生きていくというのは、こういうことなのさガハハと言った感じで、こればかりは知識で知るとかそういうことではないと、全身で言ってるんですね。
何事もやらなきゃわからん、という一種凄みを帯びたものにあてられました。
すると自分の小さいこと小さいこと。
やっぱり血反吐は吐いてなんぼのものなんでしょうね。
そして血反吐を吐いていこうぜと言わんばかりに、私の胃袋がエネルギッシュに動き始めましたよ。
主にこう…のど方面にアゲアゲな方向に。
リアル血反吐や反吐はやめとこうよ、そっちはどうかとおもうなぁやっぱり自分のペースで行きた…っセーフ!みたいなことになりそうで怖いです。
ここで一発体調管理を手抜かずにやれば、平穏にすごせるのでそうしましょうか。
そして精神的に血反吐吐けば問題なし!
でもあれか、総合的ダメージはすべて胃袋にくるから、どちらにせよお腹を痛めなければいけないのか…
出産だな、まるで。
2010年
4月
21日
水
暖かく
なってきましたね。やっと…
大学も始まって2週間目の中盤にさしかかろうとしてるところですね。
今年から週4日は休みなんで、毎日を満喫してますよ。
学校に行くことが少ないので、友だちともなかなか会う機会がありませんが、どうやら周りは就活真っ最中の様です。
当然ですね。4年生ですからね。今こそ学生ですが、来年になったら別のレッテルが貼られますもんね。
私はと言いますと、絶賛立体作りに励んでますよ。
一応、会社を受けるつもりなんでポートフォリオにも使えたら、「まぁ、いいか」程度にやってるところです。
本当にこれからどうなってしまうのか…全く皆目見当もつきません。
なるようにしかならないんですけどね。私のやったようにしかならないですね。
いやいやそれにしても、立体作るときのパテの匂いがヒドイったらないです。
脳天直撃ですよ。若干風が吹いていると断然楽なんですが、道路に匂いが流れていくのが少々気がかりです。
異臭騒ぎになってもおかしくないような匂いですから、ドキドキしながら作ってます。
…話をそらしたかったけど、やっぱりダメだなぁ。
就職活動の文字が頭にちらつく…。
やらないよりやった方がいいんだけど、今ひとつ興味がわきませんね。
家から出た方がリアリティ増すんだろうか…?
2010年
4月
16日
金
頭が痛いのさ
なんでしょう、これは…
寒いせいなのか…?
それともいっちょまえに寝不足とか…?
さっきソファに寄りかかって寝たのがいけなかったのかなぁ。
ズッキンズッキンズッキンナァと痛みますねぇ。
今日はまぁ、平和に過ごしてしまいましたね。
というより何にも出来て無いじゃないの。
楽書きをしよう。そうしよう。そうしてから眠ろう。泥のように。
そういえば、新宿にYAMADA電機ができたとかで、騒いでましたね。
なんでも売り上げの秘密は多業化だとか。
うちは電化製品の他に、野菜、布団、おもちゃもあるよ〜って、
もはや小さいデパートですね。
まわりの店との競争をはかることによって、地域の活性化も担おうとする、なんてなこともYAMADA社長は発言してましたが、正直小さい所はすでにあなた方との戦いからは撤退してるんじゃないのって思いました。
安売り合戦なんてやられたら、物量の無い所なんか一網打尽ですもんね。
大手の余裕と言うか、気づいてないのか無視してるのか分からないですけどそんなものを感じましたね。
餅は餅屋の時代は、もうちょい先送りになるかもしれない。
あれもできる、これもできるって…個人的にはカッコいいですけどね!
同時に並列してやると、頭がパンクするんだものなぁ!まぁいいか!
2010年
4月
14日
水
なんなんだろう
今日一日ホントに動きたくなかったんです…
いや、引きこもり魂に火がついたって訳じゃなくてですね。
体が…こう…じっとしていろ!というか、はやく横になれ!というかですね、とにかくグダグダにしていないと、わりゃぁどうなるかわからんぞと、発していたんです。
もう、脳みそもとろとろの体もふにゃふにゃの状態で、今日授業なくてホントよかった。
絵を描くのもタルイし、頑張って立体に手を入れてもみたんですけど、終止タルかった。
せめてもうちょっと頑張る気が失せてからにしてほしかったなぁ
2010年
4月
12日
月
さぁ、
今年の大学生活は一体どうなっていくのでしょうか。
去年一昨年と、それほど大きな変化のないこの私。
今年は何か花を咲かせるのか、それともとくに咲かないのか。
注目の一年となるでしょう。
期待してるのは私一人ですがね…
ただ、ゼミが始まってきて、その中で色々コンペやら何やらに出さざるをえない状況になったので、去年よりかは、モノが増えてくるんじゃないかな?
何か見えればいいなぁ、もうけもんだよなぁ。
それはそうと、ドロワで版権絵を息抜きに描いてみたんですが、なかなか楽しいですね。
今更ながらな上に、流行の先端を追っている訳ではないですが、
あの単調なパーツ構成。楽ですね。
立体感とかも別に気にしなくていいから、少ない色で適当にポツポツ置けばできちゃうし、
気楽の一言につきますわ。
何にもやりたくなくなった時とか、どうしても手持ち無沙汰ででも考えて描きたくない時には、なかなかいいものだ。ということに気づき始めました。
さぁて、一体どうなるのかな?多分…
3日坊主で飽きちゃうんだろうけども…
2010年
4月
11日
日
可也屋怒りの
鉄拳
まぁ、いまさらなことでもあるんですけどね。
ちょっと前から、「ケフィアです」とか「ヨーグルトです」とか言って、顔やら体やらに白濁の液体がかかってるのってあるじゃないですか。
でもあれは精液を模したものっていうか、まぁ、そのままに見えるように描いてあるじゃないですか。
別に何がかかってようが、構いはしないんですけど。
節操ないなぁと、思う訳ですよ。
わざわざ別の言い方に変えて、表舞台に出しちゃって良いものなのかどうかっていったら、私はアウトだと思うんです。
モラルがない。アダルトな壁を乗り越えてしまってる。
ギャグだから構わないという場合もあると思いますが、それにしてはあまりにも多用されすぎている。
どうにかして描きたくてしょうがないなら、堂々とアダルトな世界で出していけば、それで十分だと思うんです。
目立つためとはいえ、何故表舞台まで姿を表さなければならないのか、その必要性がわからない。
エロと芸術の境があやふやとかよく言われているけど、そこは描く側がここまではやったらマズいだろうな、というブレーキを利かせないといけないんじゃないでしょうか。
といって、見る側がここまでは描くなというのも変な話です。
子ども達に悪影響が出るとか言う前に、自分たちで、何故君たちには読むのが早いのか、という説明をしなければならないでしょう。読もうが読むまいが、どうせ成人したら子作りするのですから。
互いに責任を押し付ければ、どちらかに分が出てくるようなことをし続けるのは、どこまでも馬鹿馬鹿しい。
まぁ、そんなことを考えてしまったわけです。柄にも無く。
全く頭の悪い文章だ。
だから皆、どこかの陰で頑張ってシコシコしてるってことを、想像するようにした方がいいじゃない?って話ですね。
絵をのせようか迷ったんですが、やめときました。ドロワのところから見れますよ。
さぁ、陰と陽の世界へレッツダイブ!めくるめく快楽の世界はあなたの中にありますよ!
2010年
4月
09日
金
ちょっとだけ
というかかなり変な感じ。
最近あきらかに思考回路がショートしてる。
一足飛びどころじゃないくらい、乱暴に考えるようになった気がします。
行き過ぎると良くないんですが、前よりも楽になるんですね、気持ちが。
アラを探すのはこんなに簡単なんだということを、実感してますね。
だからこそ、良いところを見つけるようにしないといけないんでしょうけど。
器が小さいなぁ…私は。
2010年
4月
05日
月
エイプリル
フールも
終わりましたね
まぁ、嘘つくって言ってもたいした嘘もつけませんけども
しかし毎日面白い事があったはずなのに、ここでは思い出せないという…
ところで、最近ポリエステルパテを買いました
立体を色々作ったりしてるんですが、紙粘土だけじゃどうにもうまくいかない
そこで試しに、タミヤのポリパテを買って試してみたら
超楽しい、たまらない
何がいいって、べったべった塗りたくって盛り上げていけて
数時間後にざくざく削れるってところがドツボにはまりました
土台に紙粘土を使用しているので、粘土も余らずちょうどいい
しかし、いかんせん匂いが強烈
脳が溶けそうっていうか、溶けてる状態をリアルタイムで体験しました
室内でやっちゃあダメですね
そして、このタミヤのポリパテは300g
今回買ったクイックパテは3,5kg
どんな匂いが脳天を直撃するのか、楽しみです…
でも正直、本当にラリるか昇天するかのレベルだと思うので
晴れた空の下で、さわやかにすすめられるときが待ち遠しいです
雨ばっかりで困りものです
2010年
3月
25日
木
色々
行ってきーの
昨日今日と展覧会をまわってきましたよ
昨日は大哺乳類展です
あらためて見てみたらほ乳類って面白い進化してますね
ニホンオオカミの標本もあってほくほくでした
ヒグマってでかいもんだったんですね
生き残る気がしない
ネイティブ・アメリカンやアイヌはあんな生物と戦ったりしたんですね
まさしく命のぶつあり合いだったというのを強く感じました
ツキノワグマとか立ち上がっても、私より背が低いのに人間より強いとか
勘弁してほしいわぁ
あと、神としてあがめられたりした生物って、ことごとく大きいですね
シンリンオオカミとかライオンとか、今日日目にする生物の断然でかい
剥製なのに圧倒される大きさでした
それと古生物もちょっとだけ展示されてました
インドリコテリウムって生き物の頭蓋骨でかすぎでしょ?
なにあれ、突っ立てたら私の首くらいまでが頭って変ですよ
全長はどんなサイズですか
脅威の一言でした
そして今日は、今の暮らし昔の暮らし展
なんとも一昔前の生活用品というのは、見ているとほっとしますね
デザインに人情味があるというか、ホントに生活に密着したものに思えます
落書き程度ですがスケッチしてきたのをのせようと思ってます
いやぁ、楽しかった
あと、本も買いました。骨から見る生物の進化って本です。数多くの骨(部分骨格含む)がていねいに美しく撮影されて収録されています。おすすめです。10000円近くするのが難点と言えば難点。おかげでお金が飛んでいきました…
なんだかどえらく大きく表示されちゃうなぁ
あらゆる汚い線がみえたり、解像度が微妙に荒かったりは勘弁して下さいね
まだまだ上手く使えないや
2010年
3月
20日
土
チケットも買い—の
展覧会も
見に行き—のですよ
何ヶ月も先が楽しみです
しかしあれですね
就職やら何やらがもう、ぎりぎりアウトな時期まで来てるじゃないですか
洒落にならん
しかしどう動くべきなのか、ふんぎりもつかない
そんなこと書いてもしょうがないですね
東大の「命の認識展」というものを行ってきました
いままで膨大な数の実験動物達によって、いまの研究の基礎が築かれているということを
認識するための展覧会だったので、学芸員の方々の雰囲気も厳かなものがありました
それから季節のせいか、カップルを多く見かけましたね
異常にべたべたしてない人達は、見ていても
うんうん、いいものだ。仲睦まじい男女というのはやっぱり素晴らしいものだ。
と、思えますね
とてもうらやましく、同時に私にもそんなことが来てくれないかなぁと思うばかりです
2010年
3月
17日
水
おもったおこった
ついにきた
ついに日本にもやってきましたね
Walking with dinosaur!
ベストハウス撮っておいてよかった
動く恐竜はいままで数多く作られてきましたが
現時点でもっとも精密で、もっとも生き物らしい動きをすることので きるアニマトロニクス
技術の結晶とエンターテイメント魂の融合ですね
4年ほど前から動画で見かけてはいたんですが、本当に嬉しい
チケットの予約もかなりパンパンになっていたようで、取れるかどう かはギリギリでしたが
しつこくひっついた結果取ることができました
7月に公演ということで忘れた頃にやってくるプレゼント!
それまで死なないようにしないとね
死んでも観に行きますけどね!
引っ越した
さてそろそろ新しく出ようということで、こち らに来てみました
とりあえず作り、煮詰めていこうと思いますよ
さぁ、見やすくしていこう